先日、分析家の藤南先生がスイスから帰国されたので、半年ぶりの対面セッションに行ってきました。
いつもの電話セッションの倍の時間をとって、じっくりとお話を聞いていただきました。
やはり対面だと、電話よりもダイレクトなやりとりができるので、理解も深まるし、得られるものがいつもにも増して大きいような気がします。



さて、私が受けている夢分析(精神分析)は、決して安価なものではありません。
約1時間のセッションで、“諭吉さん”が必要となります。

しかしそもそも、正式なユング派分析家のセッションといえば高額であるのが通常で、私の場合はまだ、良心的な金額で設定していただいているほうなのです。


私は、「夢分析」がそれだけ高額であることは当然だと思っています。


まず、日本でユング派の資格を持っておられる方が少ないということ。
しかも、多忙な方が多いということ。
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“クライエントの枠”は少ないということです。

このように条件的なことはもちろんですが、本当の価値は「分析」そのものにあります。


世間ではまだまだ「夢分析」や「精神分析」に関する理解が広まっておらず、それどころか偏見の方が大きい気がして、私はとても残念なことだと思っています。


夢分析や精神分析は確かに、現時点で神経症や心身症で苦しんでいる人の、その苦しみの原因を探り、最終的にはご本人自らの力で克服していくことを目指すものでもあります。

実際クライエントとして分析家のところを訪れる方も、苦しいからこそ、藁にもすがる思いでドアをノックしてくるケースが多いようです。

でもユングが、「苦しみを乗り越え、分析が一応の成果を見たと思える場合でも、その後も引き続き分析を受けに来る人たちが多くいた」と述べているように、分析は悩みがあるなしに関わらず、多くの人に有効なのです。
(苦しみを克服してもなお分析を止めなかった人たちは、分析が何をもたらすのかを経験で理解したのだと思います)

いわゆるユング派の分析とは、自分自身の無意識に向き合うためのものです。


苦しみを乗り越えたからそれで終わりではなく、自分の無意識と向き合うことは、人生をより良く生きていくためにとても大事なことですし、その作業は一生続くものでもあります。


自分の無意識を無視続けていたり、ゆがんだ形で(それはアルコールだったり薬物だったりします)接点を持とうとした場合は、悲惨な結果を招いてしまうことになりかねません。

無意識は、どんな形で、どれほどの威力を持って、私たちの日常にいつなんどき“表面化”してくるのか分からないのですから、そこにあらかじめ意識を向けておくことは、人生で起こる最悪の事態を未然に防ぐことにもつながると思います。(もちろん、避けようのない運命もあると思いますが、それはどうしても通り過ぎなければならない「必然の出来事(ステップ)」なのだと思います)


そんなわけで、今回のセッションでも「私はこれからどうしていけばいいのか」という、とても重要なヒントを得ることができました。

私の自我は「こんなふうに思ってたけど」、夢(無意識)は「本当は○○なのに、△△な(自我との)ギャップがあるみたいね」と語っているということが分かりました。


夢の意味を解くことは、まるで暗号を解析するような感じですが、でもピタッと腑におちたときは、本当の気づきにつながっています。

一人ひとりの夢は、通常“あなたのためだけ”の意味を持っています。
“隠された真実”を多く語っているのです。



                             
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