話が前後しますが、「つぐみの髭の王さま」に登場するお姫様は、望まぬ結婚をさせられ、お城まで追い出されて、それまで味わったことのない貧しい暮らしに身を落とすことになります。

でもこれこそ、「ほんものの幸せ」への第一歩となるのです。


お姫様は、「こんなことなら、あの時(求婚者の)王さまと結婚しておけばよかったわ!」と悔やむのですが、時すでに遅しです。

そして、この段階での姫の反省はまだまだ本物ではないのです。


(以下は河合隼雄先生の著書から抜粋)
アニムスの発展の過程がこの段階で停止している女性は、偽りの反省の名人である。彼女は常に現状に満足できず、「ああすればよかった、こうすればよかった」と反省しているかのように見える。
しかしそれが真の反省でない証拠に、彼女はそれによって自分が責任をもって生き方を変えようとはしない。
まだまだ、お姫様の苦難の旅は続くようです。



その後、お姫様は大きな屈辱を味わい、すっかり自信をなくしていきます。
高慢ちきの鼻はだんだんと低くならざるを得ないようです。

アニムスと真の対話をつづける人は、自分の無能さを嫌というほど思い知らされる。
アニムスにいかれている人は他人の無能さが嫌というほど目に見える。
 意味深い文章です。


物語の中で、大きな屈辱を味わい、だんだんと自信をなくしていくお姫様ですが、途中ほっと一息つける場面もあります。
お姫様だって苦難の中、少しずつ成長していく過程で休息もないと、辛いことばかりでは本当に壊れてしまいかねません。
しかしその安らぎも束の間。
またしても突然壊され、更なる苦難が始まります。


そして、束の間の安らぎを与えてくれたのも、それを壊しにやってきたのも、実は同じアニムスの力によるのです。
その時を見極め、正負の場面を用意するのが、無意識なのです。


こうしてお話が進み、物語も終盤、お姫様が最後の階段を登りきるためには、痛烈な卑小感を味わわねばなりません。

このときのお姫様の言葉です。

「わが身の不運が思われて心もくらくなり、自分をこんな身分にひきずりおろし、貧乏のどん底にまでつきおとした、われとわが身の増上慢(ぞうじょうまん=自己を過信して思いあがること)を呪う」

人をあざけり笑い物にしていたお姫様が、このときには「われとわが身の増上慢」を心から悔やんでいます。
もう誰のせいにもしていません。
お姫様はようやく、本物で純粋な反省の境地に至ったようです。


そしてこのときにこそ王子様が登場して、大どんでん返し(相互反転)が起こるのです。
幸せな結婚をもって物語の幕が閉じるのです。

彼女はひたすら苦しみに負けず生きてきたのだが、今はその意味を知ることができたのである。



ご紹介してきた「つぐみの髭の王さま」のお話を始めとして、ユング派ではおとぎ話はおとぎ話にあらず、これらは私たちの人生(こころ)そのものを表すとして分析しています。

視点を変えて、‟現実”にこのお話を当てはめてみると、「なるほど」と気づくことがあるのではないでしょうか。


苦しみの渦中にあっても、どこかでそれが「必然のプロセス」だと捉えることができれば、乗り越えようとする力に代えていけるようになるのかもしれません。


〈参考文献〉 「昔話の深層」 河合隼雄著 講談社



                           
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