前回まで3回にわたり、
『量子もつれ アインシュタイン 最後の謎』
の番組内容に添って記してきましたが、今回は量子もつれを研究した方々とユング心理学の個性化について、思ったことを書いていきます。
前回記事の最後に挙げましたが、物理学の世界では長く、「量子もつれを研究するのは奇妙な連中」とされ、タブーとみなされていたようです。
歌手の宇多田ヒカルさんの番組内でのナレーションです。
量子力学を研究し続けたボーム博士は、「人生の終盤においても葛藤し、悲しみを抱えていたと思う」と、友人のハイリ―博士が番組内で語られていました。
自身が提唱した理論を強く批判され、なかなか世の中に受け入れられず長い時を過ごさねばならなかったボーム博士の不遇の余生を想像すると、えも言われぬ思いがしました。
しかし、宇多田ヒカルさんのナレーションはこう続きました。
ボーム博士の論文に感銘を受けたというジョン・スチュワート・ベル博士が現われます。
ベル博士は、当時のボーム理論への評価を踏まえ、「ひとり密かに量子もつれの謎に取り組み」はじめ、量子もつれの研究を大きく前進させる〔ベルの不等式〕を編み出します。
そして「無名の雑誌にひっそりと投稿した」その論文を、後にノーベル物理学賞を受賞することとなるジョン・クラウザー博士が手に取ったことをきっかけに、量子もつれの研究の糸は途切れることなく後に繋がっていきます。
(クラウザー博士がその雑誌を目にするまでのいきさつが、まさにユングの共時性、“(意味のある)量子もつれ的現象” で非常に興味深いのですが、詳しくは番組をご覧ください)
しかし、ボーム博士やベル博士同様、クラウザー博士の量子もつれの研究も、一筋縄ではいきません。
周りから、「そんな馬鹿げた実験をやる奴はいない」と言われる中、実験をおこなう環境すら簡単に整わない状況を孤軍奮闘どうにか打開するものの、それでもなお、クラウザー博士の孤独な逆境は続き、その後、アントン・ツァイリンガ―博士など志を同じくする研究者において「量子もつれの実験の成果が証明される」まで、結果的に何十年もの歳月が費やされることとなりました。
ボーム博士からはじまり、ベル博士、クラウザー博士へとつながっていった量子もつれの謎への取り組みは、前述の宇多田ヒカルさんのナレーションにあったとおり、それぞれが「研究者として生きていけなくなる」危険を孕んだ、命を賭けてと言っても過言ではない挑戦だったのではないかと、感銘を受けました。
実際、ボーム博士は人生において研究者としての輝かしい前途を絶たれたのかもしれませんが、でも最終的には量子力学の世界で、いえ今後もっと研究が進んでいけば、人類史上にその名を残すのであろうと思います。
“用心して”独り研究に取り組んだベル博士は、現在では、彼に出会った物理学者はみな“ヒーロー”と呼んだ と番組内のテロップで紹介されていました。
「重要なことは何もしていない。君は他の仕事を探すべきだ」とみんなに言われ、研究室を去り転職した(せざるを得なかったであろう) クラウザー博士は、約半世紀をかけて、2022年にノーベル物理学賞を受賞しました。
それぞれの研究者としての歩みを知る中で、私は、ユングや河合隼雄先生が述べられていた「個性化を生きる厳しさ」を思わずにはいられませんでした。
森の中に一人で分け入り、道なき道を進んでいく茨の険しさ。
童話や昔話でもよく登場する主人公の行動パターンとして、「通常の人では選ばない道、行かない方向」を進んでいくというものがあります。
(ユング派で童話や昔話を分析する意味については、下記の河合隼雄先生の著作などをご一読ください)
そして往々にして、奇妙な道を選んだ主人公はなにかしらの「宝物」を手にします。
(もちろん絶対ではなく、身を滅ぼす場合もあります)
量子もつれの研究に取り組んだ博士たちも、各々が困難な状況に耐え、ご自身の「謎」に真摯に向き合いながら、まさに「そのような生き方」を現実で体現されたのであろうと、番組内でのベル博士やクラウザー博士の穏やかで温かな表情を見て、そう感じました。
【参考・引用テレビ番組】
NHKスペシャル:『量子もつれ アインシュタイン 最後の謎』 NHK(2024-12-28)
【引用文献】
C・G・ユング『エセンシャル・ユング: ユングが語るユング心理学 創元アーカイブス』創元社(2021-09-07)
※実際の引用書は1997年版
河合隼雄『無意識の構造 改版 (中公新書)』中央公論新社(2019-03-15)
『量子もつれ アインシュタイン 最後の謎』
の番組内容に添って記してきましたが、今回は量子もつれを研究した方々とユング心理学の個性化について、思ったことを書いていきます。
前回記事の最後に挙げましたが、物理学の世界では長く、「量子もつれを研究するのは奇妙な連中」とされ、タブーとみなされていたようです。
歌手の宇多田ヒカルさんの番組内でのナレーションです。
量子の世界の意味を追求し、量子もつれの謎に手を出したら、研究者として生きていけなくなる。
物理学者たちはますますこの問題から距離をおいていきました。
量子力学を研究し続けたボーム博士は、「人生の終盤においても葛藤し、悲しみを抱えていたと思う」と、友人のハイリ―博士が番組内で語られていました。
自身が提唱した理論を強く批判され、なかなか世の中に受け入れられず長い時を過ごさねばならなかったボーム博士の不遇の余生を想像すると、えも言われぬ思いがしました。
しかし、宇多田ヒカルさんのナレーションはこう続きました。
誰もが否定したボームの理論が、やがて革命をもたらすことになるのです。
ボーム博士の論文に感銘を受けたというジョン・スチュワート・ベル博士が現われます。
ベル博士は、当時のボーム理論への評価を踏まえ、「ひとり密かに量子もつれの謎に取り組み」はじめ、量子もつれの研究を大きく前進させる〔ベルの不等式〕を編み出します。
そして「無名の雑誌にひっそりと投稿した」その論文を、後にノーベル物理学賞を受賞することとなるジョン・クラウザー博士が手に取ったことをきっかけに、量子もつれの研究の糸は途切れることなく後に繋がっていきます。
(クラウザー博士がその雑誌を目にするまでのいきさつが、まさにユングの共時性、“(意味のある)量子もつれ的現象” で非常に興味深いのですが、詳しくは番組をご覧ください)
しかし、ボーム博士やベル博士同様、クラウザー博士の量子もつれの研究も、一筋縄ではいきません。
周りから、「そんな馬鹿げた実験をやる奴はいない」と言われる中、実験をおこなう環境すら簡単に整わない状況を孤軍奮闘どうにか打開するものの、それでもなお、クラウザー博士の孤独な逆境は続き、その後、アントン・ツァイリンガ―博士など志を同じくする研究者において「量子もつれの実験の成果が証明される」まで、結果的に何十年もの歳月が費やされることとなりました。
ボーム博士からはじまり、ベル博士、クラウザー博士へとつながっていった量子もつれの謎への取り組みは、前述の宇多田ヒカルさんのナレーションにあったとおり、それぞれが「研究者として生きていけなくなる」危険を孕んだ、命を賭けてと言っても過言ではない挑戦だったのではないかと、感銘を受けました。
実際、ボーム博士は人生において研究者としての輝かしい前途を絶たれたのかもしれませんが、でも最終的には量子力学の世界で、いえ今後もっと研究が進んでいけば、人類史上にその名を残すのであろうと思います。
“用心して”独り研究に取り組んだベル博士は、現在では、彼に出会った物理学者はみな“ヒーロー”と呼んだ と番組内のテロップで紹介されていました。
「重要なことは何もしていない。君は他の仕事を探すべきだ」とみんなに言われ、研究室を去り転職した(せざるを得なかったであろう) クラウザー博士は、約半世紀をかけて、2022年にノーベル物理学賞を受賞しました。
それぞれの研究者としての歩みを知る中で、私は、ユングや河合隼雄先生が述べられていた「個性化を生きる厳しさ」を思わずにはいられませんでした。
因襲が次から次へと繁茂しているという事実は、非常に多くの人間が自分の道を歩まず、因襲に従っているということを証明していることにほかならない。その結果、自身を発展させず、その人自身の全体性を犠牲にしながら集合的な生き方を発展せしめてしまうのである。因襲への屈伏は自己の全体性を放棄することであり、最後までその人自身を貫徹するのを回避することを意味しているからである。自己の人格を発展させていくことは、人のやらない企てである。それは民衆から逸脱することであり、部外者から見たら、風変わりな修道士がやるようなものである。(略)もし彼らすべてが愚か者だったなら、われわれは彼らを精神的に「特別な人」と見なして安心して捨て去り、関心の外に置くこともできたであろう。しかし残念ながら、このような人々は概して人類の“伝説的英雄”なのである。彼らは花であり、実であり、人類という樹を豊かに育て上げる種である。このような歴史的人物に言及することで、(略)なぜ個人主義という非難が中傷にすぎないのか十分明らかになるだろう。彼らの偉大さは、因襲〈に〉無条件降伏したことにあるのでは決してなく、逆に、因襲〈から〉自己を開放したことにある。彼らは、自分たちの集合的な恐怖、信仰、法則、機構にしがみついている群衆のなかにあって、山頂のように屹立し、あえて自己の道を選んだのである。目標の分かっている踏み慣れた道から外れ、未知へ通じる険しい細い道に踏み出すというのは、普通の人から見たらそれはつねに奇蹟にしか映らないものである。英雄や指導者、救世主というのは、より偉大で確実なものに至る新しい道を発見する人々のことである。
【C・G・ユング】「人格の発展」
個性化の道を歩むものは、腹背に敵を受ける厳しさを体験する。それは『尋常な人入場お断り』の道であることを覚悟しなくてはならない。【河合隼雄】『無意識の構造』
森の中に一人で分け入り、道なき道を進んでいく茨の険しさ。
童話や昔話でもよく登場する主人公の行動パターンとして、「通常の人では選ばない道、行かない方向」を進んでいくというものがあります。
(ユング派で童話や昔話を分析する意味については、下記の河合隼雄先生の著作などをご一読ください)
そして往々にして、奇妙な道を選んだ主人公はなにかしらの「宝物」を手にします。
(もちろん絶対ではなく、身を滅ぼす場合もあります)
量子もつれの研究に取り組んだ博士たちも、各々が困難な状況に耐え、ご自身の「謎」に真摯に向き合いながら、まさに「そのような生き方」を現実で体現されたのであろうと、番組内でのベル博士やクラウザー博士の穏やかで温かな表情を見て、そう感じました。
【参考・引用テレビ番組】
NHKスペシャル:『量子もつれ アインシュタイン 最後の謎』 NHK(2024-12-28)
【引用文献】
C・G・ユング『エセンシャル・ユング: ユングが語るユング心理学 創元アーカイブス』創元社(2021-09-07)
※実際の引用書は1997年版
河合隼雄『無意識の構造 改版 (中公新書)』中央公論新社(2019-03-15)
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