今日は、今までの記事に何度も登場してきた「投影」の、その定義について一度きちんと触れてみようと思います。

「防衛機制」とは、心の安定をはかるための、自我による種々の無意識的な働きで、不安や不快の発生を防ぎ、人格の安定を得るためのメカニズムです。

私たちはみな日常生活の中で、欲求不満や葛藤による破局を予感すると、さまざまな(投影以外にも色々あります)防衛機制により、無意識的に自らの心を守ろうとしているのです。

そして「投影」もそんな防衛機制の諸機能の一つです。

投影は原始的な防衛機制で、自分がもっている望ましくない感情を相手がもっていることにして責任を転嫁しようとする反応です。


たとえば、どうしても好きになれない相手がいるとします。
「あの人のこんなところが嫌いなんだ」

でもそれは、自分自身の中の影やコンプレックス(意識が否定したがっていたり、ないほうがいいと思っているこころの要素)を相手に見出して、他人事として否定しているだけなのかもしれないのです。

そして実はこの投影が、「大人のいじめ」に関係していることが多いようです。
(子供の場合は、投影とは異なる原因が多いようです)

相手の嫌っていた「こんなところ」は、本当は自分のことだったと気づければ、これは投影を引き戻したということになり、嫌いだった相手に対する感情的な反発は収まり、うまくつきあっていくことができるようになるでしょう。


親密な男女関係においては、双方がさまざまに「投影」し合っている可能性が高くなります。

「アニマやアニムスの投影」は、事実上自分自身の欠けている(とは認めたくない)部分を現実のパートナーに投影して、恋に落ちたということで、もしかしたら元々その相手も「そんなに完璧」ではなかったのかもしれないのです。

でも投影した側もされた側も、そこに気づいていないと、だんだんと関係を続けていくうちに、
「あれ?私が“こうだ”と思っていた人とは違うじゃない」
「“そんな”ことばかり要求されても、応えられないよ」
と、不協和音が聞こえ始めてくるようです。


投影と途方もない秘かな期待を手放したとき、人はパートナーの他者性によって自分を広げることができるようになる。

かつては認めてもらうことを求めた場所で、今や違いを受け入れなければならない。

かつては同一感に浸れる甘い恋愛を求めた場所で、今や他者(パートナー)の他者性を愛するという課題をこなさなければならないのである。

互いに尊敬し支え合うことや、反対のもの同士で対話できることなどが、ふつう男女関係が与えてくれる最大のものである。

                    『ミドル・パッセージ』


「言うは易し行うは難し」で、私もついついダンナさまに、自分を棚に上げて色々とお願いしているかも・・・と思うことはあるのですが、この心の働きを頭の片隅にでも置いておけば、たまには自分自身の気持ちや相手の立場などをゆっくりと考えてみる良い機会になると思います。

そしてそんなところから、ふと何かに気づくという、宝物を見つけられるかもしれません

自分で気づけて納得できれば、それは何かの変化を生む大きな原動力につながっていくことと思います。