
103/ 夏天来了
今年、年明け早々に巷で話題となった小室哲哉さんの引退発表。
発表の契機となったここ最近の時世に辟易する思いとは別に、「僕1人の言動で社会が動くとは思っていませんが、こういったことを発信することで、何かが響けばいいなと思っています」と小室さんが結ばれた言葉に、「私に響いてきたこと」を今回は書こうと思います。
(「響いてきた→書きたい→書こう」と思ってはや数か月。相変わらずのタイムラグと葛藤。そして思い起こす「第三の道の本論はいつになるの?」という自分への問い。)
産経ニュース@Sankei_news
妻が女の子に…小室哲哉さんが明かした家族を追い詰める「高次脳機能障害」つらさと苦労
2018/02/12 13:05:36
→ネット上では介護のつらさや苦労に共感する声が広がっている
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―高次脳機能障害ー
私の母も、亡くなる前の数年間、「高次脳機能障害」を負っていました。
それだけに、小室哲哉さんが語ったKeikoさんの病状や、上の引用記事の内容には、おのずと色々と考えさせられ、簡単には表現できないような思いが蘇ってくると共に、深く共感する部分がいくつもありました。
引用記事にも書かれているとおり、この障害を持っている人の介護の大変さについては、日々の生活を共に過ごしている家族などにしか分からない、短時間接しただけでは分からないものがあると思います。
どんな介護でも、傍目には分からない当事者の苦労は必ずあると思いますが、この障害の特徴は、当人が「自分のことをどこまで認知できているか」という点においての家族に与える複雑な心理的負担、そしてそれを周囲に理解してもらうハードルの高さということが挙げられると思います。
私の母の場合は、自分が置かれている状況、立場、そのような認知能力が著しく低下し、日々の生活でも、誰かが常についていてあげないといけない状態で、例えば着替えのひとつすら、周りで指示してあげる人が居ないと、何日も同じ服を着続けていることになってしまう。
さっき食べた食事のメニューも数分で忘れてしまう。
数十分経つと、食べたことすら忘れてしまう。
多分、周りが声がけしない限り、お風呂にすら入れなかった(それが必要と認知できない)だろうと思います。
そのように、日常的な記憶はすぐに飛んでしまうのに、何十年も昔のことは覚えていて、その時代を回想しながらの欲求は、今までの人生の時間の経過などまるでなかったかのように、とても生き生きとしていて、現実には到底無理なことをやりたがるし、周りにも求めてくる。
そんな母は、もうそれまでの、子を守り育ててくれた私たちにとっての‟お母さん”ではなく、小室さんが現在のKeikoさんを表現した状態と同じ、‟女の子”の人格になってしまっていました。
でも、もちろん外見だけではそんなことはなかなか分かりません。
例えば外で誰かに会った時など、挨拶程度の会話であれば普通にできるのです。
何時間も一緒に過ごしていれば、「あれっ」という部分が見えてくるのでしょうが、少し接したぐらいでは、「どこに問題があるの?」といった感じです。
実際、そう言われたこともあります。
確かに、介護者への周囲の理解といった点でも、高次脳機能障害は「見えない障害」といえると思います。
だからといって、そんな身内の障害を、直接関係もない他人様に、細かいことまでベラベラ話す気になんてなりません。
「細かいこと」を知ってもらわない限り、実際のことはなかなか理解してもらえないとはいえ、同時にそれは、色んな意味でとても「伝えにくい」のです。
少なくとも、私や私の家族はそうでしたし、現在、同じような思いを持って介護している方も多くいるのだろうと、私は思います。
あくまでも、高次脳機能障害のこと、その介護について「私が知っている」のは、「私の母に関すること」だけです。
引用記事には、
「記憶障害」=新しいことが覚えられない▽昔のことが思い出せないと書かれてありましたが、先述したように、私の母の場合は、遠い昔のことはよく思い出していましたし、文中で渡辺教授が言われているとおり、
「症状は重複していることが多く、障害の状態は個人差が大きい」のでしょう。
個人差が大きいのであれば余計に、介護者の家族の抱える悩みも、多岐にわたるはずです。
どんなことでも、「見えにくい」ものはなかなか周りの理解や共感を得られないし、それどころか、誤解や偏見が生まれることすらあります。
小室哲哉さんも、何年もKeikoさんの介護をされてきて、そういうことをよく承知したうえでのあの会見、語られた内容だったのではと、私にはそう感じられました。
私が、こんな風に母のことを、この場で語れるようになったのは、母が亡くなってもう何十年も経っている「今」だからこそです。
(それですら、少し決意が必要でした)
もっと言えば、分析を受けて、こころの中で生き続けていた、母への‟意識されていなかった”想いも、「本当の意味で決着がついた」からです。
夢を通じてもたらされたその体験は、大きな戦慄と共に、私に、‟こころの世界”というものへの理解を促してくれました。
この件については、またいつかこの場で書ければと思っています。
少し脱線してしまいましたが、前記したとおり、母の介護をしていた当時の私は、とても母のことを口外するなんてできませんでしたし、逆にそれは、あまり知られたくないことでした。
そのときの‟私自身”がまだ、とても受け止めきれていなかった「認めたくない、重くて辛いこと」だったからです。
人は、自我ではまだ、とても受け入れられない自分の内的なことについて、語る(内から外へ出す)ことすらできないときがあります。
「言語化」はもちろん、形にして表現するということはどんなことでも、それほど簡単ではないし、目に見えないエネルギーも消耗しますから、「態勢が整っていない状態」の場合は、そもそも表現すること自体が無理なのだと思います。
そして「内的なこと」には、自我である程度気づいている場合もあるし、自分ですら全く気づいていない場合も(多々)あります。
でもどちらにせよ、「話せない(出せない)」ことが更なるこころの負担となり、様々な「問題」につながっていくことも十分考えられることです。
個人によって症状や病状の重さも違うのですから、看る側の家族が「どれほど大変か」を簡単に量れるものではありませんし、小室さんが言われていたとおり、身体的な介護の大変さと比べると甘いという意見もあるのかもしれません。
でも、自我が大きく損傷してしまった、アイデンティティを失った当人に、「それまでのその人」をとてもよく知っている家族として寄り添い続けなければならない辛さは、身体的介護のそれとそもそも同じ土俵では量れない気がします。
どちらにも(どんなことにも)、体験した人にしか分からない感覚や感情が絶対にあるはずです。
今日は「私に響いてきたこと」というタイトルで書いてきましたが、もうひとつ、小室哲哉さんが引退発表をされるまでの経緯について「私に響いてきたこと」。
夏目漱石の言葉を借ります。
見方で色々な結論も出来るし、そう白でなければ黒といった風に手早く相場をつけるわけにも行かないし、要するに複雑な智識があればあるほど面喰うようになります。
なるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしか取れませんが、その幼稚で気の毒の事を大人なる我々が敢てしているのだからはなはだ情ない次第で、(中略)かえって大人もまたこの例に洩れぬ迂愚なものだという事を証明したいと思ってちょっと分り易い小児を例に用いたのであります。
没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないで済しているのが至当であり、(中略)とかく最後の判断のみを要求したがります。
その最後の判断といえば善悪とか優劣とかそう範疇は沢山ないのですが無理にもこの尺度に合うようにどんな複雑なものでも委細お構いなく切り約められるものと仮定してかかるのであります。
中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、(中略)内容に余り合わない形式を拵えてただ表面上の纏りで満足している事が往々あるように思います。
【夏目漱石】『中味と形式』
事柄の「中味の内に生息している人間」である当事者にしか分からないことがあるのだから、「知らぬことを知らないで済している門外漢」が勝手に、「とかく最後の判断のみを要求」しないようにしたいものです。
漱石は「なるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしか取れませんが」と書いていますが、事によると確かに、よほど「大人なる我々」のほうが「はなはだ情けない次第」であると、自省を込めつつ、その自覚は意識して忘れないようにしたいと改めて思いました。
また、「没分暁漢あるいは門外漢」は、自分のことも「知らないで済して」いるが故に、他人のことを鏡にして「表面上の纏りで満足していることが往々あるように思います。」
メディアを賑わす他所様事の人間模様をはじめ、様々なことに、「中味を知らない」からこそ無意識的に「多くの思弁を弄」すのであれば、やはり自覚すべきなのは、「委細お構いなく切り約め」るようなことはせず、複雑さを理解しようとする姿勢なのでしょう。
私もきちんと‟面喰って”いけるよう、学び続けたいと思っています。
(夏目漱石はやはり偉大です)
人は自分の理解できない事柄についてこそ最も多くの思弁を弄し、最も多くの意見を持つものなのである。
【C.G.ユング】
私は小室さんのファンだったわけではありませんが、でも小室フィーバーとカラオケ全盛期が重なった時代には、自然、小室楽曲をよく聴いたし歌ったものです。
渡辺美里の『My Revolution』は、今でも私の favorite songs の1曲。
globe の『DEPARTURES』も好きでした。
もしかしたら小室さんとkeikoさんも、今、「中年の危機」に立ち向かっておられるのでしょうか。
乗り切っていただきたい、と願わずにはいられません。
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