Sea Lion Cove at Point Lobos./Don DeBold


前回まで、グノーシスやソフィアなどについて書いた流れで、このまま続けようかとも思ったのですが、ふと、自分の中でストップがかかってしまいました。

ということで今日は、神話や女神のお話からはちょっと離れて、主観的に“現実目線”で書いてみたいと思います。



ユング心理学(深層心理学)では、意識の背景に広がる無意識というこころの領域の存在を前提としていること。
このブログを以前から読んでくださっている方、そしてユング心理学に通じている方はご承知のとおりだと思います。

我々が認知できている“自分”や世界の基盤に、より大きな知らない世界(無意識)があることを認めており、それは、心的な病はもちろんのこと、「生き方」という人の根本的課題についても、決して無視することのできない重要な存在として位置づけられています。


さて、ここからは“イメージ”も取り入れながら、話を進めていきたいと思いますが、
「無意識と意識」の象徴として、「海と陸」が、多くの人の夢などに登場するようです。

今までのブログ記事でも何度も書きましたが、私の夢にも実際、「海」がよく出てきます。
夢分析を受けることにより、言ってみれば無意識が活発になるわけですから、
それを表す“海”が頻繁に夢に出てくることはある意味当然とも言えますが、
とにかく「夢の意味」だけに焦点を当てて考えてみても、海が無意識を表していることには納得せざるを得ません。
(無意識の象徴は“海”だけではありませんが、今日は割愛します)


一方、「現実の海」は、よく“生命の源”とも言われます。
私たちヒトの遠い祖先は、始めは海でしか生きられませんでした。
そして、進化の過程で陸に上がってきて、ようやくそこで、文明を持ち得る人類になったわけです。

外的現実でも心理学的にも、海から陸、無意識から意識において、
“発展”を遂げてきた人間という存在。


哲学者の西田幾多郎やヘーゲルも述べていますが、我々は、「意識」という場においてしか、精神を発展させることはできないのです。


実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。

意識においては凡てが性質的であって、潜勢的一者が己自身を発展するのである。                                                【西田幾多郎】 『善の研究』



自然の精神は隠れた精神である。それは精神の形をとっては現われない。
それは認識する精神にとってのみ存在する。
     
                【ヘーゲル 】『精神現象学』




ユングも、『旧約聖書のヨブ記』を、そのような心的(神的)発展という観点から読み解いています。

ヨブへの答え
ヨブへの答え



自覚のあるなしに関わらず、私たちは今日でも、内外の世界で海から多大な影響を受けていますが、でもその我々が生きられる場所はやはり、「陸」しかあり得ません。

しっかりと地に足をつけて「現実を」生きること。

足の裏に大地の感覚を感じ取りながら立ちづづけることは、心理学的にみても、自分を見失わないために、とても大切なことだと思われます。


無意識は、断じて無視すべき存在ではありませんが(このテーマだけでも色々書けそうです・・・)、だからといって、現実・意識という立脚点を失って、あちらの世界に軸を移すようなことになってしまっては、それは「生」の意味を放棄することになると言っても過言ではありません。

そして同時に、本来果たすべき正しい個性化への歩みを、閉ざしてしまうことにもなるのです。

だから、ただの神秘主義に陥ってしまわないための、「現実的感覚」をきちんと持ち続けることが、まず、必要とされるわけです。



ユングはもちろんのこと、河合隼雄先生を始めとするユング派の方々は、無意識を相手にすることを論じる際に、「自我の強さ」の重要性と、脆い自我で無意識に向き合う危険性という点について、それぞれの言葉で次のように言明しています。

無意識の統合は自我が持ちこたえるときにのみ可能である。

無意識は、それが盛んに働きかけてくるのでなければ、そっとしておくのが一番よい。                                               【C.G.ユング】


クライエントの状況によっては、夢分析を行わないときもある。
クライエントの自我があまりにも弱く危険な場合や、むしろ日常的な実際生活を整えることに 重点を置くべきだと考えられるときなどである。

まず自我を相当に強化し、その強い自我が自ら門を無意識の世界に対して開き、自己との相互的な対決と協同を通じてこそ、自己実現の道を歩むことができる。
                                                     【河合隼雄】



(アクティブ・イマジネーションを実践する条件として)
*アクティブ・イマジネーションとは日本語で「能動的想像法」と呼ばれる、夢分析に並ぶ無意識に向き合うための手法のひとつ。
ユング自身の示した条件は、分析プロセスの後半にあること、あるいは人生後半の課題に 取り組んでいることである。
 「分析プロセスの後半にあること」についてだが、これは裏を返せば、そのアナリザンドには少なくとも分析プロセスの前半で遭遇する試練に耐えるだけの強さがある、ということである。
分析プロセスの前半では、内的にも外的にもさまざまなことが起こり、自我は以前から抱えてきた諸問題への直面と対決を迫られる。
曲がりなりにも日常生活をこなしながらこの重圧をくぐり抜けたのだとすれば、自我にある程度の強さが備わっていることはまちがいない。

自我はアクティブな態度を保つ必要がある。
(無意識から沸き起こってくるイメージに)容易に圧倒されないだけの備えが要求されるのである。
さもないとイマジナーは、現実を見失うなどの症状を呈したり、何度も同じパターンで敗れ去ったり、イメージの内容と一致した現実での危険に共時的に巻き込まれたりするかもしれない。  
                    【老松克博】

無意識に足をすくわれる危険があることも忘れてはならない。                         

                     【豊田園子】




ここで話は変わりますが、私はユング心理学に出会うまで、昔話の「浦島太郎」について、ずっと疑問に思っていたことがありました。
善行によって竜宮城にまで招かれた浦島太郎が、なぜ、お話の最後にあんな理不尽な目にあうのか。
何の責めも負うはずのない人の良い浦島太郎が、なぜ、ひとりぽっちで老人になってしまった場面で、話が終わってしまうのか。
“その後”(数ある「浦島太郎伝説」の中には、玉手箱を開け老人になったばかりでなく、そこで死を迎えて話が終わるものもあるそうです)の浦島太郎を考えるとあまりにも不憫で、どうしても納得できずに、どこかでひっかかっていました。

しかし、ユング心理学から解釈した昔話の心理学的意味を知り、浦島太郎の謎についても、私のなかでやっと霧が晴れました。
浦島太郎は、「陸」から離れすぎたのです。海(あちら)の世界に浸かりすぎてしまったのです。

(詳しく知りたい方はこちらを)
昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)
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無意識の世界に分け入ることの難しさと厳しさを、善人だからこその浦島太郎が、身を持って(?)教えてくれていたのかもしれませんね。



前回までに書いた、グノーシス神話のプレローマ(上位世界)やアイオーン(超越神)についても、それらが“本当に実在するか”どうか、そんな、神の存在自体に関わるようなあまりにも大きなこと、逆立ちしても立証不可能なことを、いくら頭で考えたからといって答えなんて出せるはずがありません。

あくまでも“心理学的に見て”、それらの話がとても意味深い心的内容を物語っていると、ユングは自らの臨床経験に基づいて考察したわけであり、そこで、どっぷりと神話の世界に入り込んでしまうのではなく(でも、実はそれが必要な時もあるわけで、だから難しいのですが)、論理的立場を崩さないこと、そこで持ちこたえることがやはり必要とされるわけです。

前記した『昔話と日本人の心』の著書の冒頭に、筆者である河合隼雄氏が引用している一文が、その“関わり方”を端的に表しています。


むかし語ってきかせえ!―
さることのありしかなかりしか知らねども、あった
として聞かねばならぬぞよ―
                       ―鹿児島県黒島―




どちらにせよ、「無意識に向き合う」ことは、我々の生き方を豊かにすることに間違いはないと私は信じています。

そしてその豊かさとは、現代社会で一般的に多くの人が求める豊かさとは少し質の違うものかもしれません。

だけどその質の違いこそが、実は「ホンモノ」なのかもしれないのです。

だからやはり、それぞれが“自分の竜宮城”を見つけられるよう、海に潜る価値はあると思います。
ただし、浦島太郎の二の舞を踏まないように、という条件付きであることを、くれぐれも忘れないようにしたいものです。


【参考文献】
河合隼雄『ユング心理学入門培風館 (1967-10)
老松 克博『無意識と出会う ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1』 
                トランスビュー (2004-05-05)
河合隼雄編集『ユング派の心理療法 (こころの科学セレクション)』 日本評論社 (1998-06)


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