星野富弘詩画集カレンダー2012年版
先日、とても胸に響く素敵な一文を見つけました。
「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。 (星野富弘)」
この言葉を見つけたとき、「わー、本当だ」と、正直感動しました。
どちらも、今まで生きてきた中で、いろんな場面でよく目にした文字なのに、
こんなに似た形をしていたなんて、全く思いもしませんでした。
本当、「辛」に横線を一つ足しただけで、「幸」になるんですね。
「どうして今まで気づかなかったんだろう・・・」
少し考えてみました。
やはり、これら二つの漢字が意味する内容、受け取るイメージが真逆であることから、この二文字の(字画という)類似点に、全くアンテナが立っていなかったんだと思います。
要するに、「意識したことがなかった。」
そういうことだと感じました。
カウンセリングやコーチングでも、結局目指しているのはこのような、
「気づけていないことに気づく」 「意識化する」
ということだと、私は考えています。
変わらぬ環境、変わらぬ状態の中でも、自分の気づけていないことに気づくことができれば、その人の思いに大きな変化が現われます。
例え、「“辛くて”、八方ふさがりで、もう自分の力ではどうしようもない」と、
大きな絶望感に苛まれるような困難にぶつかっていたとしても、
ほんの少しのきっかけで、
「まだ希望が持てる。もしかしたら、“幸せ”にだってなれるかもしれない。」
と、全く新しい考え方を手にすることができるようになるんですね。
どんな人でも、その人特有の「メガネ」をかけて、世の中を見つめ、また捉えています。
そこには、親からの影響など、個人の成育歴が大きく作用していますし、
また今回の私の事例のように、いわゆる「先入観」のみで、
物事を判断してしまっている場合もあります。
「辛と幸」については、私が今まで、「意味」という先入見のみで捉えていたから、
二文字の共通点に気がつかずにいた。
見えていたのは一部、「全体は見ていなかった」ということです。
星野富弘さんの素敵な言葉は、
「少し見方を変えるだけで、思ってもみなかった新しい発見が出来る」
ということを、改めて私に教えてくれました。
そして「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。」
この一文は、ただ形だけではない、とても奥の深い真実を秘めているような気が強くしました。
何故そう感じたのか。
そのお話はまた次回に・・・。
―といっても、(更新は)多分年明けになると思います。
皆さま、良いお年をお迎えください。
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もう数十年前に亡くなった祖母の自宅には、いつも星野富弘さんのカレンダーがかかっていました。
「これは手足の不自由な画家さんが、筆を口に持って描いたものなんだよ。」
と私に説明しながら、
「手足が使えないのに、こんなに素晴らしい絵を描く人がいる。
この絵を見ていると、とても慰められる。」
と、普段は気丈な祖母が、しんみりと語っていたことを久しぶりに思い出しました。
・・・少し胸がジーンとしてしまいました。
コメント
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コメント拝読いたしました。
本当ですね。美術館、いつか行ってみたいと思います。