ひと月ぶりのブログ更新です・・・。
前回の記事で、
「分析を受けることは、私が意識する以前から既に決まっていたように思われるからです。
(その夢については、また後日ご紹介したいと思います。)」
と記しましたので、今日は、その夢について書いていきたいと思います。
私は夢分析を受ける少し前にも、今でも記憶に残っているような、印象的な夢をいくつか見ていました。
その中に、(名づけて)「RPGの夢」というものがありました。
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私は夜、テレビ画面の明かりだけが付いている暗い部屋で、その画面の前に座っていた。
テレビにはゲーム機が接続されていて、今から、あるRPGを始めなければならなかった。
それは全編がダンジョンのゲームで、しかも相当長いものらしい。
暗い雰囲気、時間がかかる、ということから、楽しんでゲームを始めるというよりは、
「大変そうだな」という重圧感のような気持ちのほうが大きかったが、でもやはり、
それは“しなければならないこと”と決まっているようだったので、
私も始めることに関しては何の迷いもなく、淡々と取りかかろうとしていた。
ただ、他にもやるべきことが色々とあるようで、
「ゲームにばかり集中しているわけにもいかないし」と、どうバランスをとってやっていこうかと、
その戸惑いのほうが大きかった。
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この夢を見た時には、もちろんその意味など分かるはずもなく・・・、というより、
そんなことまだ考えてもいませんでした。
でも分析を受け始めてかなり経った頃、ふとこの夢を思い出し、
「面白いなー」と、しみじみと感じ入ったわけです。
・夜、ダンジョン(夢ではまさしく“地下迷路”のイメージ)→無意識
・RPG→無意識への旅(冒険)
だとすると、私が「夢分析を受けること」はどうも、
私の内的世界では現実でそれが始まる以前に既に決まっていたのだなと、
そう思えたのです。
確かに、「分析」というこころの未知の領域へ足を踏み出すことは、「RPG」そのものの気がします。
主人公はプレーヤーという自分一人。
途中で仲間に出会うこともあれば、恐ろしいモンスターが出てくるかもしれない。
迷路に迷って立ち往生することもあるかもしれない。
でも、思いがけず宝を見つけることだってあるかもしれない。
そして、そんな中をくぐり抜けていく過程で、少しずつ成長していけるはず。
(まだまだ途上なので希望を込めて)
楽しいこともあれば苦しいこともある、本当に“ハラハラドキドキ”の「冒険」のような気がします。
しかもそのRPGが全編ダンジョンだなんて、言いかえるとそのまま、
“無意識への冒険”と訳せるなと、夢が用いた表現には、
その意味が自分の中でストンと納得がいった場合には、いつもつくづく感心させられます。
また、夢の中で“私”が感じていた気持ちも、今になって振り返ればまさに全て合点がいきます。
無意識という内的世界と意識という現実世界の、両方に足をかけている状態は、
思ったほど楽ではありませんし(あくまでも私の場合はですが)、
確かに、あちら(ダンジョンRPG)ばかりに気をとられているわけにもいきません。
日々、実際に生きているのは、現実の世界なのですから。
そして、重圧を感じながらも、「やらなければならないこと」と捉えていたことについては、
“冒険(ゲーム)”への心の準備もそれなりにできていたのかなとも思えました。
もちろん、その時の意識の私は全く気付いていませんでしたが・・・。
その他にも、分析開始前に見たいくつかの夢、
そして以前ブログに書いた二つの夢(※どちらも分析開始前後に見たもの)を振り返ると、
やはりダンジョンRPGを始めること自体は、私の意思云々ではなく、
どうも決まっていたように感じます。
(※1 どしゃぶりの雨 ※2 夢の中の“広大な海” )
自分のこころの未知なる領域への冒険は、決して誰にも代わりを任せる事は出来ません。
サポーターの存在はとても大きいですが、プレーヤーはやはり“自分”です。
そして、ゲームは始めない限り、そこにある新しいストーリーにも出会うことはできません。
“その時”がやってきているのであれば、多分無意識が冒険の準備は整えてくれるはずです。
私の夢の中では、既にゲーム機はテレビにセットされていました。
そして現実には、その後分析家の先生に出会ったのです。
夢分析であれ、カウンセリングであれ、自分のこころの内側に向かうこと。
もし準備が整っているのであれば、
あとは“ゲーム”を始めるのも、続けるのも、休むのも、止めてしまうのも、
全てはプレーヤー次第ですね。

コメント
コメント一覧 (2)
再度のコメント、ありがとうございました。
〉このブログを毎日見ています。
更新がいつも遅くてすみません・・・。
〉象徴的に死と再生をしなければ
私も夢の中で、自分が死ぬ夢を見ました。その後、我が子を自らの手で殺し、また新しく(我が子を)誕生させなければならないと思っている夢を見ました(それは「自分自身のこと」と分析を受けて知りました)。そして、今度は懐妊、赤ん坊の誕生と、まさに数カ月〜数年の間で、死から再生まで、見事に夢は一連の流れを伴って進みました。夢がただの荒唐無稽なものではないことを、体験を持って確信できた一つの事例でした。
「頑張らないことを頑張る」
先生の言葉は深いですね・・・。
とても大切なことだと思いますし、そしてそれは普通に頑張るよりも意外と大変だと、私も取り組みながら実感しています。
お互い“頑張りましょう”。