
森-FOREST-./
(ユング派の)夢分析を受けていると、本当に色々と面白いことが起こります。
でも、その内容を他者に伝えることはほとんど出来ません。
まず相手によっては、「そんなもの」と一蹴されてしまう可能性があり、それを考えると、
ユング心理学にある程度通じていて、なおかつその理論を受け入れている方でないと、
迂闊には伝えられないからです。
一歩間違えれば、変人扱いされるかもしれませんし(笑)
そして何より、自分にとってはスゴイ!シンクロニシティであっても、
その背景を事細かに第三者に説明することは、
自分のプライバシーを全てさらけ出すことに繋がるからです。
だから、自分にとってはあまりにも感動的な偶然(シンクロニシティ)が起こっても、
その感動を大勢の人と共有することは、ほとんど不可能に近いんです・・・。
また、自分はそれが真実だと知っていても、“その場面”に遭遇していない人からすると、
その信憑性を疑われても仕方がありません。
逆の立場だったら私だって、「そんなことってあるの?」って、思いっきり疑います。
前もって夢を提出している分析家の佳代先生や、一緒に日々を過ごしている家族(主人)などは、
「面白い出来事」が本当に起こったことを、
その事実を共に経験してくれた存在として理解してくれますが、
それ以外の人に、分かってくれという方が無理。
何の確証もなく、安易に信じる人のほうが、ある意味危険なのかもしれませんし。
ユングはいわゆる経験論者であり、自らの体験から、
一般的には(まだまだ)荒唐無稽と言われるような様々な概念を見いだしました。
近年には、そんなユングの考え方を支持する人たちはかなり増えてきたようですが、
でも一方で、「ただのオカルト」と切り捨ててしまう人々も多くいるようです。
ユング心理学については、それを認めないという意見があるのは、ある意味当然で、
何かを(ユングの言うところの“こころ”の)体験できていない方にとっては、
確かにただのオカルトとしか捉えられなくても仕方がないと、私もそう思います。
だから、もしユング心理学に興味がある方には、
何より、「まずご自分が分析を受けてみてください」と私は言いたいんです。
自分の内側(無意識)に目を向け始めたら、
ユングの理論を「現実として」体験できる可能性が出てくるはずです。
(といっても、無意識とのパイプの太さには個人差があるようです。だから、“必ず”とは言えません。)
ただし、「無意識」という、それまでほとんど意識をしていなかった世界に向き合い始めるということは、
それほど楽なことではありません。
あちらの世界は、私たち(の自我)が存在している世界の道理は通用しませんし、
あまりにも深遠で、何が出てくるやら見当もつかない、素晴らしくもあり恐ろしい世界でもあるからです。
私も数年分析を受けている中で、「もう止めたい」と思ったことが何度かあります。
“色々と”出てきて、確実に楽になった面がある一方で、何と言ったらいいのか、
肩にのしかかってくる責任感と緊張感のようなものは、徐々に増している感じがするからです。
でも途中で立ち止まってしまったら、結局、中途半端な重みを進展のないまま引きずり続ける
ことになりそうで、「踏み出してしまったからには、もう立ち止まれない」というのが実感でしょうか。
あとは、分析家の佳代先生と出会う前に見ていた夢も、その気持ちを後押ししています。
分析を受けることは、私が意識する以前から既に決まっていたように思われるからです。
(その夢については、また後日ご紹介したいと思います。)
日本だけではなく、世界レベルで混沌とした今の時代だからこそ、
ご自分の無意識の声に、勇気を持って耳を傾ける人が一人でも増えればと、
卑小な身ながら、そう感じている今日この頃です。


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