Atoll Island
./Christina Spicuzza

ブログ更新、いつもにも増して日が空いてしまいました・・・


さて、前回6/2の記事で、“(少なくとも私もそうだと感じている)本当の自己実現”とは、

「自我を滅すること」と書きました。

しかし、短絡的にそれだけで話を終えてしまっては、一方では危険さえ伴うとも感じています。

自我は、当たり前ですが決して不必要なものではなく、この現実の世の中で生きていくには、

やはり基本となる「私」。

それは、決して失ってはならない「私」です。


河合隼雄さんはこのように言っておられます。

夢を覚えることにばっかりエネルギーを注いでいたら、この世では生きていけないでしょう。

この世に生きていく上で、自我というのは非常に大事なわけですね。


ユングもこう言っています。

無意識の統合は自我が持ちこたえるときにのみ可能である。



自我は、私たちがこの世で生きていくための「主人格」です。

だから、例えばこの自我が無意識に飲み込まれて崩壊などしてしまったらどうなるか・・・。

あまり書きたくありませんが、少なくとも私にとっては自明の理です。


そして、意識と無意識それぞれの、心の全体像における割合を考えてみると、

ユングが、

無意識は、それが盛んに働きかけてくるのでなければ、そっとしておくのが一番よい。


と言っているのも、よく理解できます。



でもだからと言って、やはり自我は、あくまでも「偽り?の我」であることに変わりはないようです。

西田幾多郎は、著書『善の研究』で、

「偽我を殺し尽くして」こそ、真の自己が現れると書いています。


殺し尽くすなんて、とても激しい表現ですが、それをしなければ本当の我は出てこない。

でもだからといって、自我を完全に失ってもいけない。

偽我を殺そうとする「自我」はやはり必要で、それがなくなってしまっては元も子もありません。

まるで禅問答のようですが、でもある意味これこそ、ユング心理学には欠かせない要素ですね。

ここにも「メルクリウス」が表されているような気がします。

メルクリウスについて書いた過去記事


やはり、対立物の合一とは、錬金術で言うところの「困難な業(opus)」であり、

「卑金属を金に変える」ような、とんでもないことなのかもしれません。

河合隼雄さんの、

「自己なんて実現しようと思ったら、途方もないことがいっぱい起こる。」

の言葉の重みを、ずっしりと感じます。


           
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