
鬼 / Kinden Kuo
先日、twitterでフォローさせていただいている、脳科学者の茂木健一郎さんのツィートで、
興味を惹かれるものがありました。
それは、
「自分の無意識内には鬼がたくさんいる。」
という内容でした。
私は、その“意味”にとても共感したのですが、同時に、私自身の以前見たある夢も思い出しました。
それは、「ツノ探しのワークの夢」
少しその内容を紹介させていただきます。
(※一部抜粋)
「グループワークの場面に戻り、指導員が次のワークの説明を始めた。
それは、『私たちの頭には沢山の小さなツノが生えています。
今から二人一組のペアになり、相手のツノを探してください。』
というものだった。」
この夢の分析を受けたとき、分析家の佳代先生に、
「ツノから何を連想しますか?」と聞かれ、
私は、「ツノといえば、・・・やはり鬼ですね。」と答えました。
そしてその後の対話の中で、どうもツノ探しとは、
「自分の影を探す」という意味では、との解釈に行きつきました。
今まで、このブログでも「影」については、度々取り上げてきましたが、
私たちは自分の内側(無意識)に、影とか鬼などにイメージされる“暗い要素”を抱えています。
でもこれは、抱え込んでいるからこそ、影であり、鬼であるわけで、
このダークな(ものに“自分”がしてしまっている)要素を、茂木健一郎さんがツィートされていたとおり、
「活かさなければならない」んですね。
ユングは、「個性化」という言葉で、人間の自己実現について語りましたが、
私たちは元来、それぞれが自分の創造的な生を持っているというのです。
そして、それを「実現」していくことが、究極の目的でもあります。
それは、誰にも真似が出来ない、「自分だけの創造的な生き方」であり、
そのプロセスでは、自分の内側にいる「影や鬼」とも向き合い、
それを活かさなければならないというわけです。
少し話が脱線しますが、神経症を始めとする「こころの病」は、
「本来の、その人が生きるべき道から、現実のそれが大きく逸れてしまっているとき、
それを修正させるべく、無意識が引き起こす作用である」と、
ユングは言っています。
苦しみを発端として、自分の内側(こころ)に向き合わざるを得なくなる。
無意識がその人の生き方の転換を促しているとも言えるのです。
(無意識が要求してくる、生き方の転換を促す事象は、受け入れがたい「出来事」など、
「こころの病」だけではない場合もあります。
このあたりは、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)にも繋がる要素があります。)
どちらにせよ、私たちの内側には、実際に「色々」あるし、
実はそこにあるものが、もろもろの“根本”のようです。
(前回記事で取り上げた、西田幾多郎もそのように言っています)
そういえば、子どもたちと一緒に読む“昔話”の中でも、「鬼」は欠かせない存在です。
鬼がいなければ、話が成り立たない昔話は沢山ありますね。
そう思えばやはり、鬼もそれなりに重要な役割を果たしているような気がします・・・。
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