この度の大震災の様々な状況が、メディアを通じて伝わってくる中で、

色々と思うことがありました。

そして、被災者の方が味わった、地震・津波に襲われた当時のパニックとも言える

その場面がどんなものであったか、想像すると息が詰まるような思いがしました。


私は昔、母がまさに命の危機に瀕している場面に、突然向き合った経験があります。

その時は、今一体ここで何が起こっているのか理解できないパニック状態の中で、

とにかくその状況に自分なりに対処しようと、ただただ必死だったことしか覚えていません。

反面、今でもその時の一瞬一瞬の映像は、鮮明に記憶に残っています。


震災にあわれた方とは全く状況が違いますが、でも、突然予想もしない出来事に

出会った時の無我夢中ともいえる状態がどんなものであるかは、

自分の経験を通して想像すると、やはり胸が締め付けられる思いがしました。



昔、人は本当に恐怖を感じると、叫び声すらあげられない。ただただ言葉を失うしかない。

という話を、どこかで聞いたことがあります。


人間は、深いレベルで本当に感情が動く時、そこでは言葉は失われるのだと、

私も思いました。


恐怖だけではなく、嬉しいや悲しいはもちろん、

とにかくその感情がとても深いレベルのものである場合、

言葉で表現などできなくなるのだと思います。



カウンセリングでも、クライアントさんのとても深い感情に直面する場面があります。

そんな時は、こちらも何の言葉も出なくなってしまいます。

でも、私はそれで良いのだと思います。

下手な声がけをするより、その思いにこちらも真剣に向き合っていれば、

そこに言葉はなくてもいいのだと。



過酷な「現実」に立ち向かっている方々への言葉は、私にはやはり見つかりませんが、

その立場におられる方のお気持ちを、真面目に想像して、痛みのような何かを感じるだけでも、

深層心理学的には全くの無駄ではないのではと、勝手ながらそう考えています。