今日は、「夏目漱石の自己本位」の話に触れてみたいと思います。
夏目漱石は、その生涯の中で、幾度か「神経衰弱」に陥っています。
一説には、「5年の周期で悪化と回復を繰り返していた」とも言われています。
私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって
何をして好いか少しも見当がつかない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。
『私の個人主義』
このような虚無感を、若いころから抱いていたのです。
そんな漱石は、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、
英国留学を命ぜられます。
当時、西洋の地へ降り立つ日本人はまだまだ少ない時代。
慣れない異国の地で、英国(西洋)の文化を日本に持ち帰る責務を負う一方で、
それに対する違和感が拭えない中、東洋人であるとの理由で差別も受けます。
そうしてついに、ひどい神経衰弱に陥ってしまいます。
しかし、その苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。
それが「自己本位」です。
今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、
そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。
夏目漱石は、「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで、
後の、文豪への新たな一歩を踏み出したわけです。
「自己本位」も「自己中心」も決して自分勝手になるということではありません。
自己の個性の発展をし遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない。
自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない。
自分を主体に生きるということは、自分に責任を負うということでもあります。
でも、漱石がそうだったように、「他人が主体」になっていると、
結局はそのことで自分自身が苦しむことになります。
自分の気づかない間は、自我(意識)で何とかやり過ごせていたとしても、
いつか自分の心の深い部分から、何かの形をとって(それが神経症だったりします)、“気づき”を促されるようになります。
ユング心理学での究極の目的は、「個性化」といわれています。
これは、「自己化」「自己実現」ともいい換えられます。
ユングのいう「自己(self)」は、一般的に使われている「自己」とは意味合いが異なりますが、どちらにしても、他人ではなく自分を主体にすること、の大切さに変わりはありません。
漱石が英国で苦しんだのも、大事な気づきを促すための必然の出来事だったのかもしれませんね。
苦しみが大きいほど、それを乗り越えたとき、人は大きく成長することができるのです。
ユング心理学研究で有名な山中康裕先生の言葉です。
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