我が家には男の子の双子がいます。
もう4歳になり、日々、体も行動も話す言葉にも成長が見られます。
親としてはまだまだ大変な時もありますが、でもそれ以上に、
「そんなことする?」というような、子どもならではの仕草に大笑いすることもあり、
毎日とっても楽しませてもらっています。
大分、周りの状況や他の人の思いを察知できるようになってきたようで、
少しずつ自分を抑えることもできるようになってきましたが、
でもそこはまだ小さな子ども・・・。
感情が爆発することは、しょっちゅうです。
お互い年が一緒なだけに、興味の対象も同じレベルなので、
良い時はラブラブで(笑)遊んでいますが、
衝突することも多いのです。
親としては、
「またそんなことでー!!」
と、彼らのケンカにイライラ、げんなりしてしまうことは日常茶飯事ですが、
でもそんな中でもたまに、私自身の気持ちに余裕があるときなどは、
「こういった、素直な感情の表現を、大人も意識して見習うべきなのかなー」
などと思いながら、一歩離れて見つめていることがあります。
いわゆる、怒り、悲哀、不安、嫉妬などの負の感情は、
大人になると表現しにくくなります。
社会では、このような感情を表に出すことは、
一般的に受け入れられることではないですし、
対人関係にも大きな障害を及ぼすことになりかねないので、
誰しもが自然に抑えているものです。
でも、そのような負の感情を、
「そんなことを感じてはならない」
「そんなことを感じる自分はだめな人間だ」
と完全に否定し、その感情を亡きものとして殺そうとするのは、実はとても危険なことです。
「こんなにいろいろな感情が絶え間なく流れてくるのに、
私たちはよく処理しているものです。
しかし、こんな湧き出てくるものにいちいち責任を感じなければならないものでしょうか。
確かにオフィスで憤怒して椅子を投げつけたりするのはよくない。
他人が迷惑します。
しかし怒っているのが確かなら、それは怒ったままにしておいてはいけないのでしょうか?」
【 斎藤学 (精神科医・医学博士)】
人間の感情は、「喜怒哀楽」が自然であり、それらは本来、
私たちが生まれながらに持っているものです。
決して、「喜」と「楽」だけでは生きていけないのです。
でも「怒」と「哀」は、完全に抑え込もうとしてしまう時が、
大人になった私たちにはないでしょうか。
それら負の感情を、表面的に抑えることに一時的に成功しても、
その認めたくなかった感情は、決して消え去ったわけではありません。
抑え込んだ分だけ、それらは、私たちの気づかない無意識の世界に留まり続けます。
そしてそこで、生き続けています。
「まずいのは、怒りや嫉妬を感じている自分に責任を感じて、
これを何とか抑え込もうと戦うことです。
怒りそのものでさえ辛いのに、それを感じる自分が許せないというのでは、
辛さが何倍にもなります。
「そのまま」にしておきましょう。
怒ったままでいいのです。
ただ何度もいうようですが、他人にとって迷惑なものは、あちこちに撒きちらさないでください。
怒りもそうですが、感情はやってきて、しばらくすると去って行きます。」
斎藤先生が言われるように、自分が感じている感情そのものと戦う必要はなく、
それが自然に過ぎ去るまで、そのままにしておけばいいということです。
「こんな思いを感じる私がいけない」
でも「こんな思い」は、必要だから“自然に”湧きあがってきたのです。
必要だから出てきたものを認めず、抑圧し続けていると、
いつか、それらが蓄積された無意識の世界から、
意識ではもはやコントロールできない、破壊的な形で表面化してくることもあります。
そのような例は、小さい事件も大きい事件も含めて、
たしかに、私たちの周りに存在しています。
決して「人ごと」で済ませられる話ではない。
私たちにだって起こり得ることだという自覚が大切だと思います。
だから・・・、
「こんな思い」を感じた自分にも優しく。
そして、他人に迷惑をかけないようにしながら、その認めたくない思いも殺さないように。
そういえば、今はエコが叫ばれる時代です。
“エコロジー”とは、
「人間も生態系の一員であるとの視点から、人間生活と自然との調和・共存をめざす考え方」
を意味します。
感情の“自然” も大切にし、自分のどんな感情とも“共存”していくことにも目を向けたいですね。
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