以前の記事(『自分を知る』ことの難しさ)で、無意識が我々に“秘かに”及ぼしている作用について少し触れましたが、今日は、「意識と無意識」について、少し詳しく取り上げてみようと思います。

カール・グスタフ・ユングによると、人間のこころの中心には、「自己(ゼルプスト)」があり、「自我(イッヒ)」とつながっているとされています。

ここでいう自我とは意識の中心のことで、この意識部分は、日常の言動など、我々が自分自身で認識できているこころの領域です。

一方、自己は先述の自我を含んだ意識と、その何十倍にも及ぶ(無限に広がっているともされる)無意識の領域(こころの構造において、双方が占める割合は、意識が3%、無意識97%という一説もあります)の全てを含んだ、こころの全体像の中心となります。

まとめると、

・意識も無意識も含めたこころ全体の中心が“自己”

・意識の中心が“自我”

というわけです。


ユング心理学では、意識より無意識の領域がはるかに広いので、全体の中心である自己も、必然的に無意識内に位置することになります。

そして、この自己は意識の表面に出てくることがないので、普段ははっきりと自覚されることはありません。

そのため、まれに表に出てきたときには、自分には全く未知なものとして感じられるのです。


自分でもコントロールできない様々な心的症状や、日常的な事例では、例えばお酒を飲んで、普段とは別人のような行動を起こして突発的に何かをしでかしてしまう、なんていうケースも、その人の無意識にあるものが、本人の意識を超えたところで、自律的に動いてしまったという可能性があります。


このように、我々は普段気づいていないだけで、自身のこころの内側にある巨大な無意識に、多くの影響を受けているのです。

職場を始めとする他人との関係性、もっと身近な両親や伴侶や子供との仲、そして愛しさと時には苦しみが交差する異性への想い、何より自分自身への肯定感。

それらに関連する多くのカギは、自分の内側にあるのです。


ユングは言っています。
        内なる声の力を意識に受け入れられる人のみが人格を統合する


私たちは、この見過ごしてしまいがちな、内界からの声に注意を払うことによって、穏やかな受容ととらわれない心、さらには人生の意味の認識を得ることが可能になるのです。


自分のこころのワークに目を向け始めることで、何かが、明らかに変わっていくかもしれません。



※ちなみに、今日ご紹介したこころの構造については、これはあくまでもユングの理論であり、例えばユングにも大きな影響を与えた、オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイトが唱えたこころの構造では、無意識よりも意識の方が圧倒的に広いとされています。
ただし私個人としては、自分の体験からも、ユングの理論が妥当であると、それを受けいれています。


               “ありがとうございます”
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