Paul_Gauguin_-_D'ou_venons-nous








 D'ou venons-nous ? Que sommes-nous ? Ou allons-nous ?


先日、とても興味を掻き立てられる番組を見つけました。

即、録画予約をして、まとまった時間がとれたときにじっくりと視聴したその番組は、予想を超える、
ドキドキワクワクものの内容でした。
 
それは、いつも優先順位の後ろに追いやってしまっている、このブログの更新に、集中させてくれる
エネルギーを私に与えてくれました。




案内役が"モーガン・フリーマン"ってだけでもう、直観的に「これは!」などと思ってしまったのですが、
観た後には「まさに!」と、これまた一人で勝手に納得してしまったわけです。(その理由は後ほど)



後で知ったのですが、この「時空を超えて」シリーズは、以前既に放送されていたようですね。
その時には全く知らず見逃していた私ですが、この度、事前に情報をキャッチできて本当に
良かった、とつくづく・・・。
正直、「こんな番組が作られていたなんて」と、いろんな意味で感動でした。




NHK Eテレ モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「死後の世界はあるのか?」

各学問の研究者が、自身の専門分野を切り口にして様々な観点から検証。
脳神経外科の権威、ハーバード大学のエベン・アレクサンダー博士の"臨死体験談"や、多くの臨死体験者達が語るそのような体験の共通点、ちなみに、ユングにも臨死体験にまつわる興味深いエピソードがあることは有名で、自伝にその詳細が残されています。そして、ユングの体験にも共通点が語られていることを確認できます。)、その他、意識や魂についてなど充実の内容でしたが、その中でも私が特に惹きつけられたのは「量子もつれ」の話でした。


以下、番組からの引用です。


アリゾナ大学 意識研究センタ―所長のスチュワート・ハメロフ博士は、麻酔科医として多くの患者を診るうちに、脳の活動と意識との関係性を知りたいと思い、イギリスの著名な物理学者  ロジャー・ペンローズと共同研究を始めた。


・脳細胞の中にある「マイクロチューブル」と呼ばれる構造
マイクロチューブルは、脳細胞の中にある管のような構造で、「細胞骨格」の一種であり、細胞の構造を決定づけている。
マイクロチューブルは、細胞を一種のコンピューターとして機能させる役割を果たし、分子レベルで情報を処理していると考えられる。
脳を「量子コンピューター」として機能させる役割を担っていると考えられるのである。

脳は一つのニューロンが活動すると、シナプスを通じて他のニューロンに、そして脳全体に信号が送られていく。
これが従来の考え方だが、量子コンピューターでは
「量子もつれ」という未知のプロセスを経て
  情報が伝達される。




ハメロフ博士はこのように述べます。

「量子もつれ」は意識と深い関係があると考えている。

ある場所でニューロンの活動が起きたとする。
すると空間的に離れた全く別の場所で、それに対応した反応が起きる。
直接、接触していないのに、瞬時に情報が伝わる。


量子論によれば 「何もない空間でも情報が伝わる」 というのです。


「量子情報」は全ての空間、宇宙にも存在している。
あらゆる方向に情報が伝わるため、ある場所で何かが起きると、影響がすぐに離れた場所にも及ぶ。

この説が正しければ、マイクロチューブル内の情報が、脳の外にある広大な空間と繋がる可能性がある。
脳内の意識が、「量子もつれ」によって、広く宇宙全体に存在する可能性もある。

人間の意識は脳を構成するニューロンよりも、もっと基本的な宇宙の構成成分のようなもので
出来ている。
                                          
   
                                 

さらに、ハメロフ博士が定義した「原意識(プロトコンシャスネス)」について、そしてその他の研究者の意見も含め、全編を通して、まさに番組内でモーガン・フリーマンが口にした問いかけ、「意識とは
何か
という問題です。意識とはどこから来て、死後、どこへ行くのでしょうか。」という知的好奇心を、
十二分に刺激してくれる話ばかりでした。



ハメロフ博士は、「生物学上の様々な現象が、量子論を応用することで説明可能だと(近年になって)分かってきている」とも、述べられていました。

「ユング心理学の"シンクロニシティ"の現象が、いつか、量子論によって説明できる日も来るのかも
しれない。」などと、量子論なんてまったく分からないけど、ただの門外漢としての一個人の夢は
膨らみました。



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さて、ここからは少し話題を変えて、前述した(その理由は後ほど)について書きます。


2014年に公開された映画 『LUCY/ルーシー』


「10%しか使われていない人類の脳が徐々に覚醒し、100%使えるようになるとどうなってしまうのか!」というようなフレコミを見て咄嗟に、
「10%しか意識化できていない人類が、100%意識化できるとどうなってしまうのか!」
という置換を、私の頭の中のマイクロチューブルが勝手におこなってしまい、チラリと見た予告編と、
「主人公の名が"Lucy"」という点にも淡い期待を抱きつつ、映画館に足を運びました。

さてその(個人的)感想はというと、鑑賞前の"淡い期待"は脆くも崩れ落ち、近年見た映画の中でも
トップクラスの衝撃を与えてくれた、大傑作でした。
(よって、我が家の「DVDコレクション」にも当然仲間入りです)

今日の記事、ご紹介した番組の内容に関心が高い方であれば、多分、この作品を「トンデモ映画」
ではなく、とっても"面白く"観ていただけるのではないかと思います。


ちなみに、当時鑑賞後につぶやいた私の一言感想です。 ↓
意識化が極限になると「人」はどうなってしまうのか。
そのイメージが見事に表わされていたように思いました。

個体化の全過程は弁証法的であり、いわばその「終極」は、中心の「空虚さ」と自我が直面することです。
ここには、あらゆる経験の可能性の限界があります。
自我は認識の参照点として解消されるのです。
しかし、自我は中心と一致することはできません。
もし、一致したとすれば、われわれは無意識になってしまうでしょう。
つまり、自我の解消は、最善の場合でも無限の近似にすぎないのです。
自我がこの中心を簒奪すれば、自我は対象を失ってしまいます。
                                              【C・G・ユング】



前置きが長くなりましたが、この映画に、権威ある脳科学者役で、モーガン・フリーマンが出演して
います。

映画とドキュメンタリー番組と、どちらの出番が先だったのかは知りませんが、とにかく「LUCY」→
「時空を超えて・選 死後の世界はあるのか?」と観た私は、「これは!」「まさに!」と、
モーガン・フリーマンが、2作品の共通の全体像への橋渡しをしてくれたような感覚を持ったのです。

上手く表現できませんが、モーガン・フリーマンが"案内役"でなかったら、タイトルにその名前が
なかったら、私は「時空を超えて」を、未だ知らずに見過ごしてしまっていたかもしれません。
そして、2つの作品の相乗効果が、(あくまでもイメージではありますが)理解の一歩を確実に
推し進めてくれたのは間違いありませんでした。


現在ではまだ仮説にすぎない意識や魂、こころについての理論も、これから少しずつさらに発展して
いくのだろうと、未知の世界の広がりや可能性を思い、心が解放されていくような気さえしました。



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「時空を超えて・選 死後の世界はあるのか?」も「LUCY」も、"脳科学"の視点から人間を探求して
いますが、その視点を"こころ"に置き換えても、探求の道は同じ方向に向けて、交差しつつ、
繋がりあいながら、開けてくるのではないでしょうか。

エベン・アレクサンダー博士が自身の臨死体験を「神経生理学や神経解剖学の様々な知識を駆使して自分の体験について考えてみた。しかし、私の身に起きたことを神経科学によって説明することは不可能であるという結論に至った」という話や、ハメロフ博士が「脳死宣告を受けた患者の、血液が流れていない脳に、ニューロンが爆発的に活動している現象を確認した。驚くべきことだが、まさにこの目で見たのだ。」といった話など、やはり、 脳とこころは決して切り離せるものではなく、深いレベルで相当に影響しあっているのだと、今まで夢分析を受けてきた自分の体験も重ねて、強くそう思います。


というより、西田幾多郎が述べていることそのものだと、私はその考えに深く共感しています。

我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、
その実はただ一種あるのみである。


我々の世界は意識現象の事実より組み立てられてある。
種々の哲学も科学も皆この事実の説明にすぎない。
                                     『善の研究』




それでは、ユングの自伝からの言葉で、今日は終わりにします。


理性はわれわれにあまりにも狭い境界を設定している。そして、われわれに既知のこと―それに対しても限界をもって―のみを受けいれしめ、既知の枠組の中で生きてゆくようにせしめる。
それは、ちょうど、われわれが生命がどの程度の範囲までであるかを確信しているのと同様で
ある。
実際のところ、われわれは毎日毎日、意識の限界をこえて生きている。
つまり、それに気づいていないが、われわれの中で無意識の生命もまた、続いているのである。


心の一部は、時空の法則に従わないという徴候がある。

顕在的な世界の背後にある異なった体系をもつ世界の存在の可能性は、避けることのできない問題となり、われわれの世界は、その時間、空間、因果律と共に、その背後あるいは、下に存在する他の規範によるものと関係している事実に直面しなければならない。