心とこころを響かせて

ユング派の教育分析を受けるカウンセラーが、ユング心理学などをベースに「こころ」や「自己実現」などについて、自分の考えや思いを書き綴っています。

心理カウンセリング

「よいことをするには時間がかかります」

(※ロジャーズ一番の代表作とのこと。未読だったので、今日をきっかけに読み始めたいと思っています。ちなみに今日の記事の講師の先生が翻訳されています。)


新年が明けて早一ヶ月。
昨年は結局、たった4度しか記事を書けません(書きません)でしたが、今年はもう少し、しっかりと整理していきたいと思っています。(あくまでも抱負です・・・)

さて、前回書いた老子や夏目漱石、無為、個性化については、まだまだ整理したいことがあるのですが、今日は全く違う内容にします。


昨年、ロジャーズ派の(某大学教授の)先生の講義を受ける機会がありました。

カール・ロジャーズ(Carl R.Rogers)といえば、今日のカウンセリングの3つの主要理論、精神分析療法(精神分析理論)、行動療法(学習理論)と並ぶ、「来談者中心理論(client-centered therapy)」の創始者として有名ですが、1940年当時のアメリカで、それまで主流であった指示的アプローチを批判し、非指示的方法を提唱したその背景には、「人は自分自身を発展・成長させる力を内在している」といった、技法よりも“人間中心”の人間観があり、また、カウンセラーとクライエントという2人の人の“心理的接触が人格変化の生起に必要な条件”とされている点、「潜在的な自己(potential self)を体験する」などの自己理論における体験を重視したその概念は、ユングの考え方に(かなり!と私は思います)通ずる点も感じられ、改めて、その共感できる興味深い理論に、受講中ワクワクしながら耳を傾け、ペンを走らせていました。

ロジャーズによる自己概念と生命体的体験の一致・不一致による人格の適応理論
「心理的適応とは、自己概念が、ある水準以上の象徴化において、生命体の知覚的・直感的な体験(sensory and visceral experience)の全体を自己概念と一致した関係の中に取り入れているか、あるいは取り入れることができるときに存在する。」(Rogers,1951)

やはり私たちの心の安定には、「適切な意識化」、「無意識と意識の適切な関係」が重要なのだと、つくづく考えさせられました。



たった1日の講義ではありましたが、ご存命のロジャーズの直弟子の談話についてなど、紙面ではなかなか伝わってこない、講義ならではの貴重な情報も得られて、もう、あれもこれもとこの場で取り上げたいことは沢山あるのですが、その中でもあえて今日は、カウンセリングに関するあるデータに的を絞って書いていきたいと思います。

下記は、そのデータです。

・カウンセリングに申し込んだだけで、セッションを一度も受けずに症状が消える人・・・14%
・セッションを2回目まで受ける人・・・3割超え
・ドロップアウト(カウンセリング中断)・・・46%(それ以外は長期継続となる傾向)
・一応の問題解決が出来たとクライエント本人が感じる・・・セッション60回前後(個人差あり)
                                  

上記データ分析が具体的にどのような統計を基にしているのかは、「ロジャーズ派のみならず、他のセラピー法でも大体共通しているデータ」としか聞かなかったので、私も詳細については分かりません。
しかし、流派を超えた“カウンセリング”におけるデータとして、このような数字が出ているのだということには、強い関心を持ちました。

まず、「申し込んだだけで」症状が消える人が1割もいることに、色々と考えさせられるところがありますし(本人がそう思っただけなのか、本当に問題症状が無くなったのか、その辺も詳しくは分かりませんし)、次のステップの2回目を受ける人が3割ほどというのも、ある意味、「なるほどな」と思いました。
(一度は受けたけれどそれっきり、の方のほうが多いという事ですね)

そして、数回受けたけれどドロップアウトする人は約半数。
このドロップアウトには、その後、またカウンセリングを再開する人は含まれていないのか、などについては不明ですし、厳密なことは確言できませんが、でも多分この半数とは上記の「3割」に係るものだと考えられるので、こうしてみると、「カウンセリングを続ける」ということだけでも、なかなか高いハードルなのだと、このデータは物語っているような気がしました。

なおかつ、「一応の問題解決が得られた」とクライエントさんご本人が感じるのは、「“セッションを60回前後”続けた時点において最も多い」というのですから、「カウンセリング」というものがいかに“お手軽”ではないか。
その事実だけは“分かりやすく”、数字が説明してくれているなと思いました。


多くの場合、「カウンセリングを受けよう」と実際にカウンセラーのところへ来られる方は、かなり切羽詰まった問題や辛い思いなどの早急な改善を求めておられると思います。

「今すぐに解決したい」
そう強く望まれているからこそ、手間やお金を使ってまでカウンセリングを受けてみようと思われるわけで、日常の中で多少感じているような問題であれば、あえて“そんなこと”をしなくても、何とかやり過ごしていけるはずですし、実際大抵みなさんそうしておられるのではないでしょうか。

「カウンセリングに行けばどうにかなるかもしれない」
そんな気持ちを抱えて相談に来られる方が多いにもかかわらず、でも残念ながら、“実際”はそう簡単ではないことを、先の「カウンセリングに関する統計データ」は明らかに示しています。
セッション60回となるとかなりの長期戦ですが、その時点においてやっと、「問題解決」に至ったと感じる方が一番多いわけですから、多くの方がカウンセリングに求めている(であろう)“早期解決”とのギャップは著しいものがあります。
これでは、「なんだ、こんなものなのか」と、多くの方が継続しなくなるのはある意味当然だとも思えますし、「カウンセリングなんてやっても意味ないよ」という意見が出てしまうのも致し方ないのでしょう。
でも私には、それはカウンセリングというものの「本当のスタート地点」にすら立ったことのない人の感想であるような気がするのです。
(ちなみに私が分析を受けている佳代先生に、「本当のスタートは(セッション)20回目ぐらいから」と、教えていただいたことがあります。)


河合隼雄先生も、「カウンセリングに対する批判」として、この「時間がかかりすぎる」点について解説されています。

カウンセリングに対する批判として、まず言われることは、「時間がかかりすぎる」ということです。
そんなのんきなことをしてはいられない。(略)すぐによくしたいのだ。
それに一週間に一時間会って・・・などとゆっくりしたことはしておられない。
(略)待ちきれない。もっと早く解決する方法はないかという批判です。

時間がかかりすぎるという批判に対して、もし正面から答えるとするならば、「よいことをするには時間がかかります」と言わねばなりません。よいことをするのに時間がかかったり、お金がかかったりするのは当たり前のことなのです。

われわれの第一のねらいとしている、クライエントの可能性に注目してゆこうとする仕事は、どうしても時間を必要とするのです。たしかに、時間がかかることは残念ですけれど、これはまったく仕方のないことなのです。
カウンセリングの実際問題
 
河合 隼雄
誠信書房
1970-08-10





なぜ、カウンセリングとは時間がかかるものなのか、「これはまったく仕方のないこと」なのか。
その点については、“こころ”についての深い意味合いが絡んでいますので、今日はとてもそこまでは触れられませんが、抱えている問題に取り組む際、“根っこからのホンモノ”の解決に至るためには、時間がかかるのはやはり「仕方がない」のです。

もちろん、「取りあえずの解決」という道もありますが、それでは、またいつか同じような問題に悩まされることになるとも限りません。

そのときは一見成功したように見えても、結局は発展させるべき可能性に目をつむることによって得た一時の安定にすぎないときもあるわけです。                    (河合隼雄)

“一時の安定”という早急な解決は往々にして、根本的には何も変わっていない、また同じような問題をくり返すことにもなりかねないのです。


「よいことをするには時間がかかる」カウンセリング。
進むスピードも様々ですし、時には休憩もOKなのだと、私は思います。
ゆっくりでも休みつつでも良い。
一度ドロップアウトして、環境や体調を整えて、また始めるのでも良い。
(カウンセリングを始めることによって、“状態が悪くなる”場合も十分あり得ます。しかしそれは、乗り越えなければならない道であることが多いのです。その点についても、またいつかこの場で書いてみたいと思っています。)
歩みを止めない限り、自らの秘められた可能性への扉は、ずっと開かれているはずです。

そしてゴールは、60回というデータが示すような、遠いものかもしれません。
でも、フィニッシュテープを切った者にしか分からないカウンセリングの醍醐味。
味わって後悔することはないと、個人的には強く、そう感じています。
そしてその味わいは、確実に新しい私の血肉となるものです。


※今日ご紹介したデータについては、根拠の出典はなにも明示できません。
あくまでも、私が講義のなかで聞いて書きとめたものを取り上げただけなので、その旨ご了解いただいて参考にしてくださればと思います。
(と言いつつ、個人的体験としては、私は“納得”しています)


心理療法家の姿勢

ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)
ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)

まず、前回の記事について、言葉足らずの点がありました。
ユングの自伝の言葉を紹介しましたが、以下のとても重要な部分が抜け落ちていました。

「私は 患者たちを除いて 人々に対して辛抱強くはなかった。」

ザビーナとユングの出会いは、ザビーナが当時抱えていた重度の精神的疾患がきっかけですが、ユングの治療を受け始めたあと、その症状は劇的な回復をみせたそうです。
彼女は後に、自らが精神分析家となりますが、ユングとは、病院を退院した後も、学問的援助を受ける中でありつつ、恋愛関係にも発展したのです。

前回記事で引用したユング自伝の文面については、だからそれは、ユングの自身の“患者”
についての態度ではありませんし、また、自伝の中で、ザビーナの名前は一度も登場しませんので、ユングが誰を思いながらその文章を書いたのかも定かではありません。


どこまでが“患者”なのかも、心理的な分野ではその判断は大変難しいと思います。
余談ですが、ユングの著書の中には、ユングがある精神科医の夢を分析した際、(外的には)全く問題ないと主張していたその医師の内面(無意識の心理状態)は、破綻一歩寸前だったというある事例が紹介されています(内的現実はあとから外面に顕現してきます)。
自身も省みながら、心理的にみて「完全な健常者」などいるのかどうかさえ、私には疑問です。

ユングはこのように論じています。

精神病院にまで行くのは、いわゆる精神病質者のほんの一部にすぎない。
その圧倒的多数はいわゆる「正常」な人々の一部を成しているのである。
「正常」という概念は理想的な観念にすぎない。

正常の概念はある限界内で振れがあり、厳密な定義はできないのである。
その振れがある程度大きくなると、その心理的現象は異常の領域に入ったことになる。
こうした許容幅の逸脱は、きわめて頻繁に起るのだが、病的としか言えない現われ方をしない限り、気づかれずにすぎてしまう。

(精神病質の)軽いものは無数にあり、重症のものはまれである。
一時的であれ慢性的であれ、あれこれの面で正常の許容幅を、わずかながら踏み越える人間の数はきわめて多い。

(潜在的なケースは)なるほど発病に至ることは少ないが、その物の考え方や行ないは、いかに表面正常であっても、無意識の病的で倒錯的な影響に支配されている。
潜在的な精神病には、もちろん参考になるような医学的な統計などありはしない。


ユングとザビーナの関係に話を戻しますと、私の解釈では、2人の恋愛関係は破局に終わったものの、その後、それぞれが心理学者として自身の理論を構築していく際に、その「生きた体験」、「生々しい感情」を味わった“経験”が、大きな影響を与えたであろうと推察していたため、その部分を念頭に置き、前回の箇所を引用してしまいました。

ユングとザビーナの関係が、いつまで「医師と患者」だったのか、恋愛関係と並行していたのか、私には分かりませんが、ユングが同じ自伝のなかで先の一文を書いていることは、ここで改めてきちんと記しておきたいと思います。


ユングは偉大な心理学者であり精神科医でもありますが、例えどんな心理療法家であろうと、「こころのやりとり」をクライエントさんとしていくのであれば、その責任に重い軽いの差はないはずです。

どこまでの心の領域に踏み込んで行くのかという点で、浅い深いはあったとしても、それでも必然的に、面接を続けていくうちにどうしても無意識まで含めた2人の人間の人格のやりとりとなってくるはずですから、その関係性がどんなものであるか、外側から簡単に“優劣”がつけられるはずもありません。

だからこそ、「聴く側」に置かれている者は、クライエントとの関係を続ける間は、「相手にとって」一番ベストな態度を取り続けるべきですし、「カウンセリングをするということ」がどういうことであるのか、その意味のしっかりとした自覚が必要だと思います。

当たり前ですが、カウンセラーが、例えばクライエントに嫌われまいとして保身をはかったりしているようでは、適切なプロセスの妨げにはなっても、そこに目指すべき真の変容は臨めないはずです。

見えない「こころを癒す」、「こころのやりとり」をするということは、双方適度な距離を取りながらの、“当たり障りのない”人間関係とは、望む望まないにかかわらず、全く異なったものにならざるを得ません。
ペルソナという仮面を被った日常の他者とのやりとりとは、質が全く違ってくるのです。

そこにこそ、心理療法の価値が見いだされるはずで、そうでなければ、それを受ける意味自体がなくなってしまうのではないでしょうか。
そもそも、日常の人間関係だけで心の癒しや変革が起こり得るのであれば、カウンセリングなんて必要ないはずです。

表面だけではなく、心の深い部分でのやり取りも始まるわけですから、どうしても、心理療法家は自分自身を試されることになるのだと、ユングも語っています。

極端な話、クライエントの負の感情を呼び起こさせるようなことになっても、それが変容のプロセスとして必要なのであれば、そこから逃げずに一緒に居続けること。
そしてその強さを持っていることが、心理療法家の役目であり、ユング派で長時間にわたる“自身のこころのトレーニング”が重視されている理由でもあります。


長い間の苦痛に満ちた経験から学んだのですが、ある人をコンプレクスから救い出そうとすることは、その人の最良の資源を奪うことになるのです。

傍からできることは、本人がそのコンプレクスにはっきり気づき、彼の内部で意識的な葛藤が始まるように仕向けてやることくらいです。

そうするとコンプレクスは生の一つの焦点になります。              (C・G・ユング)



だいだいみんな(中略)しんどくて、脇道に行きたがるんです。その脇道のことを、みんな『何かよい方法はありませんか』と言われるんです。そのときにだいたいわれわれは『ありません』と非常にはっきり答えるわけです。つまり『この道を行きなさい』ということを言うわけです。

この道というのはいちばん苦しい道です。ただし、私も一緒に行きますからというのが、カウンセラーの仕事なんです。
                                                 (河合隼雄)


その苦しい道を一緒に行くカウンセラーが、「ただ話を聞いているだけ」では、きちんとした仕事ができていないことは明白です。
クライエントさんが苦しい思いをしているのに、自分はなにも感じない、カウンセラー側のこころが全然疲れないのであれば、同じ道を本当に歩けているかどうか疑わしい限りです。

そしてそれは、ただ共感するとか、同情するとかいった性質のものでもありません。
もっと深いところでの相互的関係によってもたらされる“感情”です。

河合隼雄さんほか、ユング派分析家の先生方が、転移・逆転移や布置、体験という言葉を使って、療法家のこころの動きについて説明されていますが、今日は次の一文だけを紹介しておきます。

自分のこころを通してしか、他人のこころを理解することはできないのである。  (織田尚生)
 

クライエントさんの苦しい道を一緒に進むカウンセラーが、自分のこころをきちんと道具として使えているのであれば、その道中で、“道具”にも少しずつ傷がついたりダメージを負ったりするのは、避けられないはずです。

だから、カウンセラー側は、自分の道具をメンテナンスする必要がありますし、道具の状態を常にチェックしておかなければならないのだと思います。
そしてそれは“見えない道具”だけに過信は禁物ですし、難しい作業でもあります。
カウンセラー側も、共に「自分の道」を歩んでくれる、他者の存在が必要となってくるのです。


今日は、自戒の記事となりました。
そして、最後に。

本当の自分の道を進み続けるか、脇道にそれてしまうのかを、最終的に選ぶのは「自分」しかありません。
そして、脇道はあくまでも脇道ですから、結局、元いた本道の場所からは一歩も進めていないことにもなりかねません。
苦しくても本当の道を少しずつ歩めば、それは確実な進歩となってくるはずです。


【参考文献】
C・G・ユング『現在と未来―ユングの文明論』平凡社(1996-11)
河合 隼雄『カウンセリングを語る(下)』講談社(1999-10-20)
河合隼雄編集『ユング派の心理療法 (こころの科学セレクション)』 日本評論社 (1998-06)


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辛いと幸せ

星野富弘詩画集カレンダー2012年版
星野富弘詩画集カレンダー2012年版


先日、とても胸に響く素敵な一文を見つけました。

「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。 (星野富弘)」


この言葉を見つけたとき、「わー、本当だ」と、正直感動しました。

どちらも、今まで生きてきた中で、いろんな場面でよく目にした文字なのに、

こんなに似た形をしていたなんて、全く思いもしませんでした。

本当、「辛」に横線を一つ足しただけで、「幸」になるんですね。


「どうして今まで気づかなかったんだろう・・・」

少し考えてみました。

やはり、これら二つの漢字が意味する内容、受け取るイメージが真逆であることから、

この二文字の(字画という)類似点に、全くアンテナが立っていなかったんだと思います。

要するに、「意識したことがなかった。」

そういうことだと感じました。



カウンセリングやコーチングでも、結局目指しているのはこのような、

「気づけていないことに気づく」 「意識化する」

ということだと、私は考えています。


変わらぬ環境、変わらぬ状態の中でも、自分の気づけていないことに気づくことができれば、

その人の思いに大きな変化が現われます。

例え、「“辛くて”、八方ふさがりで、もう自分の力ではどうしようもない」と、

大きな絶望感に苛まれるような困難にぶつかっていたとしても、

ほんの少しのきっかけで、

「まだ希望が持てる。もしかしたら、“幸せ”にだってなれるかもしれない。」

と、全く新しい考え方を手にすることができるようになるんですね。


どんな人でも、その人特有の「メガネ」をかけて、世の中を見つめ、また捉えています。

そこには、親からの影響など、個人の成育歴が大きく作用していますし、

また今回の私の事例のように、いわゆる「先入観」のみで、

物事を判断してしまっている場合もあります。


「辛と幸」については、私が今まで、「意味」という先入見のみで捉えていたから、

二文字の共通点に気がつかずにいた。

見えていたのは一部、「全体は見ていなかった」ということです。



星野富弘さんの素敵な言葉は、

「少し見方を変えるだけで、思ってもみなかった新しい発見が出来る」

ということを、改めて私に教えてくれました。

そして「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。」

この一文は、ただ形だけではない、とても奥の深い真実を秘めているような気が強くしました。

何故そう感じたのか。

そのお話はまた次回に・・・。


―といっても、(更新は)多分年明けになると思います。

皆さま、良いお年をお迎えください。



○●○●○●○●○

もう数十年前に亡くなった祖母の自宅には、いつも星野富弘さんのカレンダーがかかっていました。

「これは手足の不自由な画家さんが、筆を口に持って描いたものなんだよ。」

と私に説明しながら、

「手足が使えないのに、こんなに素晴らしい絵を描く人がいる。

この絵を見ていると、とても慰められる。」

と、普段は気丈な祖母が、しんみりと語っていたことを久しぶりに思い出しました。

・・・少し胸がジーンとしてしまいました。

          
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思いもしなかった新しい考えが自分の中から出てくる


Forest Bud /
Dominic Alves


前回の記事で、カウンセリングにおけるカウンセラーの関わり方、

「何もしないこと」について書きました。

今日はその続きです。


カウンセリングに来られるクライエントさんは、大抵、何かの「答えや解決」を求めておられます。

中には、「とにかく話を聴いてくれればいい」、「誰にも言えない思いを吐き出したい」と、

抑えきれない感情を吐露する場を求めてお越しになる方もいらっしゃいますが、

そのような方でも、気持ちが落ち着いてくれば、やはりその、「抑えきれない感情」を

引き起こした原因をどうにかしたいと、今度はそちらに意識が向き始めます。

特に心を悩ませるようなことがないのに、カウンセリングを受けようと思われる方は、

私が知っている限り、まず、いらっしゃいません。

というより、かなり切羽詰まった思いを抱えておられるからこそ、

カウンセリングを受けようと思われる方が、やはり多いと思われます。


そんな思いを抱えておられるクライエントさんに、河合隼雄さんが言われた、

「カウンセリング(カウンセラー)とは、何もしないことを一生懸命することだ」というお話をしても、

ピンとこないかもしれません。

「カウンセラーが何も答えてくれないのなら行く意味がないではないか」

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。


何より私自身が、初めてこの話を聞いたとき、その意味するところがよく分かりませんでした。

「答えはクライエントが持っているのだから」という言葉の意味は何となく掴めても、

「じゃあ、カウンセリングを受ける意味って?」と、頭に疑問符が出てきてしまったのを覚えています。




では改めて、カウンセリングとは何なのか。

何のために、貴重なお金と時間を使ってまで受ける意味があるのか。


この点について、河合隼雄さんがご自身の著書の中で、

「カウンセリングの秘密」という言葉を用いて、とても分かりやすく書かれています。


「私(クライエント)が私の現在の立場で私の考えだけで考えても答えは出てこないんです。

答えが出ないからカウンセラーのところへ行っているわけです。

ところがそのときに、そういう場所もきまっているし、時間もきまっているし、

きまった人が会ってくれると、自分でも思いがけないことが出てきます。

きょうは全然言う気のなかったこととか、そこまで話す気はなかったことが、

その場でいっぱい出てきます。

ここにカウンセリングの秘密があります。

出てきたことに自分で驚きながら、それを自分で考えて、クライエントが自分で成長していくわけです。

クライエント自身が自分でもいままで思いもかけなかった新しい考えが出てきて、新しい力を獲得し、

新しい生き方を発見して治っていく場を提供しているということです。」


「カウンセリング」という、安心して全てを出せる自由な場において、

カウンセラーという他者と対話を重ねることによって、クライエントさんが自分自身の内にあった、

「新しい考えや新しい力」に気づいていく。

これが、「カウンセリング」なんですね。

(だから、カウンセラーとクライエントの相性は大切なのです)


私自身も、教育分析という場において、内側を見つめるワークを続けていますが、

確かに河合先生がおっしゃるとおり、毎回のセッションがどのように進んでいくか、何が出てくるかは、

一言で言うと、「分からない」んです。

でもだからこそ、「えっ?」という、自分でも思いがけない何かが出てくることもあって、

しかも時に、その何かが「大きく自分(の考え方や捉え方)を変える」こともあって、

そうなると、もう誰に何を言われるでもなく、自分の中で悶々としていたことが

氷が溶けるようにスーッと自然に消えたり、こだわっていたことが気にならなくなったり、

思い切って行動を変えることができたり、ということに繋がってくるわけです。



人って、他人に色々言われても、結局は、

 「自分で本当に納得しなきゃ、変わらないし、変えられない」

のだと思います。


だからクライエントさんが、いくらカウンセラーに答えを求めていたとしても、

その答えが「何か違う」と思ったら、やっぱりどこか釈然としない・・・。

「そうなのかなー」と思いつつも、やっぱり何も変えられない。

場合によっては、

「そんな“答え”は私が本当に望んでるもんじゃない!」と反発したくなったりするのかもしれません。


そして、その「自分自身の納得」ですら、いわゆる“本物”でなければ、

結局は何も変わらないということになるのかもしれません。

だから、頭だけで変えようとしてもダメなんですね。

自分自身のまだ知らぬ内側、“無意識の声”を聴いていく必要があるのだと思います。

河合隼雄さんが書かれている、

「クライエント自身が自分でもいままで思いもかけなかった新しい考えが出てきて」

というのはいわゆる、“無意識の声”なのだと、私は思います。



他にも、河合先生はこのようにも言われています。

「クライエントというのは、われわれ(カウンセラー)のところへ来て、われわれを土台にして、

その中で、いろんな心の中の探索をして、その中から新しいものを何か見つけだしていかれるという

感じがするんです。」

「カウンセリングというのは、一回一回、また、全体を通じて、それは一つの創造活動である、と思うと、

非常におもしろいと思います。」


私たちはみな、自分自身の内側に秘められたままになっているものがあり、

それを見つけ出すことによって、自らを変えていく力を持っているんですね。


だからこそ、カウンセラーは「何もしてはいけない」わけです。

それは、カウンセラー側の思いで、クライエントさんの創造性を阻害してはいけないということです。

決して、「何も考えずにただお話を聞いている」ということが、「何もしない」ということではなく、

クライエントさんが持っておられるこころの可能性を信じて、一緒にそのプロセスを歩んでいく。

これが、カウンセラーの本来の役割なのです。


「こころの可能性」を、少なからず実感できるようになってからは、

河合隼雄さんが言われた意味がやっと分かるようになってきました。

そして今では私も、「カウンセラーの本来の役割」を忘れないよう努めていきたいと思っています。



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「何もしない」でいられるか


(今日も雨の一日かな・・・)

カウンセリングの場面で、クライエントさんから、

「私はどうすればよいのでしょうか?」 

 と、こちらの判断を求められることが少なからずあります。

それはもちろん、クライエントさんご自身に関わる事柄であり、

本来、カウンセラー側が「こうするのが良い」などと、決められることではありません。

でも、そう聞かずにはいられないほど、ご本人が何かに迷ったり悩んだりしているから、

カウンセリングを受けているとも言えるわけで、そのお気持ちは私にもよく分かります。

カウンセリングの難しさというものをつくづく感じる瞬間です。


ユング派分析家だった河合隼雄さんは、

「カウンセリングとは何もしないことを一生懸命すること」 であり、

「これが一番難しいのだ」

とも言われています。

何もしないとは言っても、本当にただ聴いているだけで何もしないという意味ではありません。

クライエントさんのお話、それがどんな話の内容であっても正面からきちんと受け止め、

深く共感しながら、なおかつ「何もしない」でいなければならない。

それは、カウンセラー自身がよほど腹が据わっていないと出来ることではない、ということが、

私も、カウンセラーとして実際のカウンセリングの場に身を置くようになってみて、

よく分かるようになってきました。


クライエントさんのお話に、カウンセラー側が動揺してしまっては話になりませんが、

でも、それが生じかねないような、とても深い背景を抱えておられる方も実際いらっしゃいます。

非常に重い、どんな内容のお話をうかがっても動じることなく、なおかつ「何もしない」でいられる。

そのためには、カウンセラー自身がまずは自分のこころに向き合わなければならないわけです。

自分のこころ(無意識も含め)の要素を理解し体験しておかなければ、どんな“こと”に

思わず情動的に反応してしまうか、それは大抵無意識的に起こるわけですから、

コントロールはもちろん、反応に気づくことすらできないかもしれません。

だからこそユング派では、分析家になるまでに何百時間も自らのこころのトレーニング(教育分析)を

受けることが必須となっているのです。


私自身を振り返ると、まだまだ「何もしない」ことを徹底できてはいません。

「余計なことを言ってしまったかも」と、あとで振り返って反省することもしばしばです。

ただ時に、その「余計なこと」が、カウンセリングで有効に働くことがあるのだと感じる時もあります。

だから、カウンセリングとは「生き物」だと。

何が絶対に良くて何が絶対に悪いかと、簡単に決めつけられるものではないのだとも思います。

でも、基本は必要なわけで、その基本はやはり「何もしないこと」なんですね。


カウンセリングもコーチングも、生身の人間同士の真剣な対話です。

そこでは、重ねていくうちに、二人の間に「見えない関係」(布置)も作られてきます。

そうすると、不思議なことが起こり始めたりすることもあって、本当に「おもしろいなー」と感じますし、

見えないこころの世界への関心は益々深まります。


自ら生きることの意味を求めて苦闘し、解決への努力を払っていないで、

どうして他人の生きることの意味を見出す仕事に役立てることができようか

                                     (河合隼雄)
常に肝に銘じておきたい思っている言葉です。



次回は、なぜ「何もしないこと」が大切なのかについて書いてみたいと思います。


○●○●○●○●○

真剣に向き合い、必要なサポートをしっかりと行いながら、基本は「何もしない」

どこか子育てにも通じる気がしますね。 


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心にあるものをまず出してみる


(近所の桜も今が見頃です)


カウンセリングにおける「話すこと」について、先日ある事例をご紹介しましたが、

コーチングのクライアントさんからも、同じようなことを言われたことがあります。


セッション後に、

「昨日のセッションでは、色々と話したことで、あとでとても気持ちがすっきりしました。

そして、自分が本当にどうしたいかが分かりました。ありがとうございました。」

という、嬉しいメールをいただきました。

その日のセッションでは、「聴く」ことを中心に進んでいったのですが、

コーチングでも、質問よりむしろ聴くことが主体になるケースがあります。


ある経営者の方もこう言われていました。

「自分がコーチに求めることは、“とことん聴いてもらう”ことだ。

自分がどうしたいかは、自分が一番良く知っているので、それを会話の中から引き出してほしい。

話すことで、考えや気持ちの整理をつけていく。自分にとってコーチングを受ける意味はそこにある。」


もちろん、コーチに積極的に関わってほしいと望まれるクライアントさんもおられます。

コーチングの場合は、カウンセリングに比べて、聴き手も能動的に関わっていくことが

求められますが、でもやはり基本は「話すことで自己洞察を深めていく」。

コーチが投げかける質問は、あくまでもご本人の自己洞察を深めるための二次的なものです。

自分の内にあるものを表面に上げる。気づき。意識化。

これがまさに、カウンセリングにおいても、コーチングにおいても重要なんですね。


私自身のことですが、過去に気持ちが固まってしまっていて、今考えたら「そんなこと」と思えるような

些細なことすら、「誰にも話せなくなっていた」時期がありました。

客観的にその時を振り返ってみると、正直とてもしんどかったように思います。

そして、一人で抱え込んでいるその重みに、心は確かにSOSを出していたのだと、

当時の体調などを思い起こすと、今になってみてよく分かるのです。



その人が無意識内に抑圧し忘却していた内容を想起し、

それに伴う情動を表出し解放することによって、

結果的に意識の拡大と支配力の増大が生じることを

『カタルシス効果』 といいます。

ここでいう、「情動を表出し解放すること」とは、非言語であれば、

絵を描くことやいわゆる箱庭療法のような何かを作ること、

その他とにかく“表現すること”で可能になります。

そして、ただ話すこと。

それだけでも私たちは確かに、「心にあるものを出してすっきりする」ことが出来ますよね。

(ただし、聴き手が誰でもよいわけではなくて、そこは「安心して何でも話せる場」でなくては

いけません。だから、カウンセラーやコーチが存在する意義があるわけですし、

さらに“相性”も大事なのです。)



こころの「無意識」に押し込んでしまったもの、また元々そこにあるものによって、

確かに我々の表面(意識)は色んな影響を受けているわけですから、

心の奥底にあるものを出すことは、本当に大切なんです。

出してこそ、それに対する「意識できる(知ってる)私」による支配も可能になってくるのですから。



では今日は最後にユングのこの言葉を。

「“自己認識”というと、ふつう人は、おのれの意識的な自我人格に関する知識のことだと思っている。

そもそも自我意識を持つことのできる者はだれでも、自分自身を知っていると、

あたりまえのように信じ切っている。

ところが自我は単なる自我意識の内容を知っているにすぎず、無意識やその内容はまるで知らない。

自分にはほとんど隠されていて見えない本当の心的要素は、度外視しているものである。」

※ユング心理学では、自我とは意識の中心部分であり、
  自己とは意識と無意識を含めたこころの全体像(及びその中心)を指します。



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話すこと=放すこと


Blue butterfly kite./Jack Wolf

私は以前、あるカウンセリングルームで勤めていたことがあります。

そこでの出来事ですが、あるクライエントさんが、ルームに初めて電話をしてこられました。

そして、電話応対をしたスタッフから、

「かなりお気持ちが乱れていて、受話器の向こうでも泣かれていました。」

との報告を受けました。

その後、実際にお会いしてカウンセリングを始めたのですが、部屋に足を踏み入れた途端、

涙があふれて止まらないといったご様子で、

「ここに来るまで、どれだけ辛いものを抑えておられたんだろう」

と、私も胸の詰まる思いがしました。

お話を始めてからも、涙と一緒に抑えていたものが言葉になって、次から次へと出てきました。

そして、当初の予定だった50分を90分に延長され、その間、私はただうなずくしかできないといった

感じで、その方のお話は途切れることなく続きました。

それから90分を経過しても、まだ話足りないご様子でしたが、一応その日のカウンセリングは

終了となり、最後にそのクライエントさんはこうポツリと言われました。

「話すって、とても大事なんですね。今日、つくづく感じました・・・。」 と。

私が、 「そうですね。話すだけでも少し心が軽くなりますよね。」 

と答えると、大きくうなずかれていました。


セッションを始めてすぐは、とにかく感情が溢れ出て、

それがそのまま言葉になって飛び出してきているといった感じでしたが、

90分話し続けた終盤には、 「うーん、それは・・・」 といった感じで、自己洞察に入られ、

「もしかしたら○○なのかもしれない・・・」 と、何かに気づいたご様子でした。


カウンセリングの進み方は、一つといって同じものはないというほど千差万別なので、

この方のように、初回から「洞察」に入られる方ばかりとは限りません。

しかし何より、「話すこと」。これが大事。これが心を軽くしていくのです。


カウンセリングの場でよく使われる言葉ですが、「話すこと」は「放すこと」といいます。

 「話すだけ」でも、それが心を軽くしていく。 『カタルシス効果』があるんですね。

 『カタルシス効果』については、また詳しく取り上げたいと思いますが、

このクライエントさんを始め、1回のセッション内でも、お部屋に入ってこられた時と、

出ていかれる時とでは、明らかに表情が変わっておられる方がいらっしゃいます。

話すことで、自分の内にあったものを外へ出し、そうすることによって、

こわばっていた気持ちがどこか解きほぐれたとき、それが何なのか、

例えはっきりと説明のできないものであったとしても、

(無意識内の何かであった場合こそ、簡単に言語化なんてできないわけです)

間違いなくそこに「変化」はあったはずなんですね。

それは、“すっきり”とか“軽い”というような、感覚として感じられるものだとも思います。

このように、見えない部分で変化が起こってくるからこそ、カウンセリングの場で、

「ただ話しているだけ」でも、そこに意味はきちんとあるわけです。


□■□■□■□■□

ただし、「変化」は軽くなるばかりではありません。

カウンセリングプロセスの中では、逆に重く感じられる場面も出てきます。

「カウンセリングに行ったのに、何だか逆にしんどくなった」というとき、

それは何か新たな塊、若しくは山に出会っているときなのかもしれません。



□■□■□■□■□

精神科医「斎藤学」先生(家族機能研究所代表)によるIFFのツイッターでも、

ちょうど話すことによる有効性についてツイートされていました。

「自然な会話をし、そっとそばにいることの力は計り知れないものだと思います。 」

とも書かれています。合わせてご覧ください。



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心の病はどこから来るのか


fresh green./naitokz

先日、NHKで放映された「追跡!A to Z 『広がる“新しい心の病”〜混乱する精神科医療〜』」

の番組を視聴しました。

内容は、薬の多量服用及び処方の仕方の危険性や、薬が効きにくい新型うつの増加、

薬の依存性など、精神医療の問題を浮き彫りにするものでした。


私は医師ではありませんし、薬の知識も持っていません。

しかし、「こころの世界」については、自身の体験や、ユング派分析家の佳代先生の教育分析を

受け続けていることで、少しは垣間見ることができていると思っています。

そして、心の問題については、それが目では見えない世界のものだけに、

それぞれ個人によって一つとして同じケースはないと言ってもいいぐらい多様で、

しかも、大抵は根深いものであると感じています。


番組では、あるクリニックが、薬の処方と並行して、医師やカウンセラーによる“対話”を取り入れ、

その人が抱える問題の根本(家族関係などの環境)に、じっくりと焦点を当て、

必要なサポートをすることで、ある患者さんの症状が緩和され、薬の量も減り、

社会復帰にまで至ったケースを紹介していました。


その患者さんは、

「カウンセリングと先生(医師)の治療を並行してやっていったことによって、

だんだん良くなっていったっていうのが実感です。

怪我とかそういう病気ではないので、心の病気なので、

薬だけ飲んで寝てれば治るっていうものでもないと思うんですよね。」

と、治療の体験談を語られていましたが、私も個人的にそのお話に深く共感しました。



私は、既に数十年前に亡くなった母が、統合失調症を患っていました。

その当時、まだ未成年だった私は、母の症状・・・、というより、

母が飲み込まれていた、こころの“無意識”の世界を、

ほとんど理解してあげることができませんでした。


しかしその当時、幻覚や幻聴に襲われていた母の世界がどんなものであったか、

わずかな自分の(不思議)体験、そしてユング心理学に出会い、

佳代先生の教育分析を受け始め、ユングの理論と、自分の無意識に向き合い始めたことで、

少なからず理解できるようになってきました。

他人からすると、“幻覚や幻聴”でも、

本人にとっては、それはまぎれもない「現実」だということが、やっと分かったのです。


もちろん、うつ病や統合失調症など、心の病気にはその症状に大きな差がありますが、

でもユングは、神経症などを始めとするいわゆる「心の病」は、

無意識からの作用であると言っています。

そして、その無意識とは、我々の自我でコントロールすることなどできない、

強大な別世界ともいえるものです。


だから、心の問題に「薬だけ」で対処して、

それで、どれだけの根本的な治癒的効果があるのだろうと、

私も少なからず疑問を感じていました。

もちろん、辛い症状を和らげる効果はあり、

薬も、治療の過程で大きな役割を果たすことは間違いないことだと思います。


でも、根本的な解決を目指そうとするとき、前述した患者さんが言われていたとおり、

「心の病気は、薬だけ飲んで寝てれば治るっていうものでもないと思うんですよね。」

という意見は、全くそのとおりであると、私も思わずにはいられません。



心の病を引き起こしている“根”が、どこにあるのか。

そこに焦点を当てない限り、やはり本当の治療はなかなか進まないのかもしれません。

そして、その“根”を見つけ、癒していく作業も、そんなに簡単なことではない。

「こころ」という、目には見えないものはそういうものであるというのが、私の実感です。



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インタビュー記事掲載 2 【こころ相談.COM】


Sunrise in New Forest /
davidgsteadman


前回ブログでご紹介した、インタビュー記事の続きが、

こころ相談.com」HPに掲載されました。



今回で、残り全てのインタビュー内容をご紹介いただいています。
        ↓          ↓

カウンセラーインタビュー『無意識の中に』
(相談者とカウンセラーの無意識でのやりとり、対人関係、カウンセリングの効果)

カウンセラーインタビュー『投影(projection)』
(好き・嫌いという感情や人間関係におけるこころの働き)

カウンセラーインタビュー『無意識のやりとり』
(男女関係におけるこころの仕組み)


興味があればご覧ください。

それほどの情報量ではないので、さらっと全体に目を通していただけると思います。


ご意見・ご感想があれば、お気軽にご連絡ください。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/22207e75140121



□■□■□■□■□

昨日、ツインズの一人が、自転車の“コロ”を完全に卒業できました。

今月に入って一度本格的に練習させてみたところ、昨日卒業できた方は何度かこけながらも、

自らやる気を持って頑張ったおかげで、帰る頃には発進さえ手伝ってあげれば、

そこそこ乗りこなせるようになっていました。

片やもう一人は、始めからやる気なしで、まともに練習する気配もなし・・・。


そんな二人が、昨日2度目の挑戦となったわけですが、

前回乗れるようになっていた方は行く前からワクワクで、その気合が大きな後押しとなり、

乗り始めてすぐに、完全にマスターしてしまいました。


渋っていた方はというと、昨日も始めはやる気なしだったのですが、

乗りこなせるようになった相方にさすがに感化されたのか、

大分経って、ようやく「練習してみる」と言い始めました。

最後に、親がほんの少し手が離せる程度には進歩が見られましたが、

その横をもう一人がスイスイと走っていくので、少し面白くない様子でした・・・。


親の都合とはいえ、いつも一緒で、同じ環境で同じように育ててきているのに、

やはり、二人の性格も、好みも、得手不得手も本当に違います。


「私たちはそれぞれに独自の存在であり、一人ひとりにその人らしさがあるのだな」

と、子育てを通しても感じさせられます。

そして、大人になっても、その本来の自分らしさを失わずにいれば、

多分、私たちはとても生きやすくなるのだと思います。


ユングが言った、いわゆる「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」で、

私たちは、その「本来の自分」というものに、どうしても向き合わざるを得なくなるようです。

そして私自身は、佳代先生の教育分析を受ける中で、

「子供のころの私」を思い返すことが増えました。

それは、長い間、忘れていた私でもあったのですが・・・。


さて、自転車はイマイチ側の彼の名誉のために書き添えますと、

最近二人揃ってやってみた“ぬり絵”は、とっても上手に仕上げていました。

そして、自転車スイスイの彼はというと、

「何で僕のはぐちゃぐちゃになるん?」

と、地団駄を踏みつつ、怒り泣きで私に訴えかけてきていました(笑)


親の役目は、「個性を延ばすお手伝いをすること」と、

ついつい親の都合を優先してしまいがちな自分に言い聞かせている私です。



              
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インタビュー記事掲載 1 【こころ相談.COM】


Leaves Mondo Grass Green Kanahapa Gardens./Christopher Sessums

前年12月に、「こころ相談.com」からのご依頼でインタビューに応じたのですが、

その内容の一部が、昨日から同社HPに掲載されております。

               
今回掲載された内容は、私自身が受けている「教育分析」、

そして「無意識」などについて簡単に触れています。


よろしければ、ぜひご覧ください。

   ↓      ↓   

カウンセラーインタビュー『教育分析』


インタビュー内容全体は、これから数回にわたり、随時掲載されるとのことです。

次回記事が出ましたら、またこのブログでお知らせします。



□■□■□■□■□

昨日、知り合いのコーチ主催の「子育てコーチング座談会」に参加してきました。

私の友人も、この度初めて参加したのですが、

座談会終了後、二人でランチを摂った時、このように言っていました。


「こういった会に参加したのは初めてだったけど、

こうして自分を振り返ることって、とても大事なんだなーと思った。

日頃の生活では、まず『しない』ものね・・・。

でも、だからこそ、定期的にこういうことをしている人と、していない人とでは、

何かが決定的に違ってくるように思う。」


このようなグループワークでは、お互いの意見をシェアし合うことによる、

気づきや感動があったりします。

そして、カウンセリングや私が受けている“分析”などでは、

自分自身の内に深く目を向けることによる作用が。

意識・無意識も含めたこころ全体に、

「何かが」(それは気づきだったり、“動き”だったり・・・)出てきます。


では、今日はコーチング的に、最後に「質問」を。

『あなたは最近、今の自分を“振り返ったこと”がありますか?』
                                           

そして、このユングの言葉を。

『人生はそれを単に生きるというだけでは真の人生とはいえない。

 それが自覚的に生きられてはじめて人生は人生となるのである。』




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