心とこころを響かせて

ユング派の教育分析を受けるカウンセラーが、ユング心理学などをベースに「こころ」や「自己実現」などについて、自分の考えや思いを書き綴っています。

ご紹介

「意識とは何か、どこから来て、どこへ行くのか」


Paul_Gauguin_-_D'ou_venons-nous








 D'ou venons-nous ? Que sommes-nous ? Ou allons-nous ?


先日、とても興味を掻き立てられる番組を見つけました。

即、録画予約をして、まとまった時間がとれたときにじっくりと視聴したその番組は、予想を超える、
ドキドキワクワクものの内容でした。
 
それは、いつも優先順位の後ろに追いやってしまっている、このブログの更新に、集中させてくれる
エネルギーを私に与えてくれました。




案内役が"モーガン・フリーマン"ってだけでもう、直観的に「これは!」などと思ってしまったのですが、
観た後には「まさに!」と、これまた一人で勝手に納得してしまったわけです。(その理由は後ほど)



後で知ったのですが、この「時空を超えて」シリーズは、以前既に放送されていたようですね。
その時には全く知らず見逃していた私ですが、この度、事前に情報をキャッチできて本当に
良かった、とつくづく・・・。
正直、「こんな番組が作られていたなんて」と、いろんな意味で感動でした。




NHK Eテレ モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「死後の世界はあるのか?」

各学問の研究者が、自身の専門分野を切り口にして様々な観点から検証。
脳神経外科の権威、ハーバード大学のエベン・アレクサンダー博士の"臨死体験談"や、多くの臨死体験者達が語るそのような体験の共通点、ちなみに、ユングにも臨死体験にまつわる興味深いエピソードがあることは有名で、自伝にその詳細が残されています。そして、ユングの体験にも共通点が語られていることを確認できます。)、その他、意識や魂についてなど充実の内容でしたが、その中でも私が特に惹きつけられたのは「量子もつれ」の話でした。


以下、番組からの引用です。


アリゾナ大学 意識研究センタ―所長のスチュワート・ハメロフ博士は、麻酔科医として多くの患者を診るうちに、脳の活動と意識との関係性を知りたいと思い、イギリスの著名な物理学者  ロジャー・ペンローズと共同研究を始めた。


・脳細胞の中にある「マイクロチューブル」と呼ばれる構造
マイクロチューブルは、脳細胞の中にある管のような構造で、「細胞骨格」の一種であり、細胞の構造を決定づけている。
マイクロチューブルは、細胞を一種のコンピューターとして機能させる役割を果たし、分子レベルで情報を処理していると考えられる。
脳を「量子コンピューター」として機能させる役割を担っていると考えられるのである。

脳は一つのニューロンが活動すると、シナプスを通じて他のニューロンに、そして脳全体に信号が送られていく。
これが従来の考え方だが、量子コンピューターでは
「量子もつれ」という未知のプロセスを経て
  情報が伝達される。




ハメロフ博士はこのように述べます。

「量子もつれ」は意識と深い関係があると考えている。

ある場所でニューロンの活動が起きたとする。
すると空間的に離れた全く別の場所で、それに対応した反応が起きる。
直接、接触していないのに、瞬時に情報が伝わる。


量子論によれば 「何もない空間でも情報が伝わる」 というのです。


「量子情報」は全ての空間、宇宙にも存在している。
あらゆる方向に情報が伝わるため、ある場所で何かが起きると、影響がすぐに離れた場所にも及ぶ。

この説が正しければ、マイクロチューブル内の情報が、脳の外にある広大な空間と繋がる可能性がある。
脳内の意識が、「量子もつれ」によって、広く宇宙全体に存在する可能性もある。

人間の意識は脳を構成するニューロンよりも、もっと基本的な宇宙の構成成分のようなもので
出来ている。
                                          
   
                                 

さらに、ハメロフ博士が定義した「原意識(プロトコンシャスネス)」について、そしてその他の研究者の意見も含め、全編を通して、まさに番組内でモーガン・フリーマンが口にした問いかけ、「意識とは
何か
という問題です。意識とはどこから来て、死後、どこへ行くのでしょうか。」という知的好奇心を、
十二分に刺激してくれる話ばかりでした。



ハメロフ博士は、「生物学上の様々な現象が、量子論を応用することで説明可能だと(近年になって)分かってきている」とも、述べられていました。

「ユング心理学の"シンクロニシティ"の現象が、いつか、量子論によって説明できる日も来るのかも
しれない。」などと、量子論なんてまったく分からないけど、ただの門外漢としての一個人の夢は
膨らみました。



□■□■□■□■□

さて、ここからは少し話題を変えて、前述した(その理由は後ほど)について書きます。


2014年に公開された映画 『LUCY/ルーシー』


「10%しか使われていない人類の脳が徐々に覚醒し、100%使えるようになるとどうなってしまうのか!」というようなフレコミを見て咄嗟に、
「10%しか意識化できていない人類が、100%意識化できるとどうなってしまうのか!」
という置換を、私の頭の中のマイクロチューブルが勝手におこなってしまい、チラリと見た予告編と、
「主人公の名が"Lucy"」という点にも淡い期待を抱きつつ、映画館に足を運びました。

さてその(個人的)感想はというと、鑑賞前の"淡い期待"は脆くも崩れ落ち、近年見た映画の中でも
トップクラスの衝撃を与えてくれた、大傑作でした。
(よって、我が家の「DVDコレクション」にも当然仲間入りです)

今日の記事、ご紹介した番組の内容に関心が高い方であれば、多分、この作品を「トンデモ映画」
ではなく、とっても"面白く"観ていただけるのではないかと思います。


ちなみに、当時鑑賞後につぶやいた私の一言感想です。 ↓
意識化が極限になると「人」はどうなってしまうのか。
そのイメージが見事に表わされていたように思いました。

個体化の全過程は弁証法的であり、いわばその「終極」は、中心の「空虚さ」と自我が直面することです。
ここには、あらゆる経験の可能性の限界があります。
自我は認識の参照点として解消されるのです。
しかし、自我は中心と一致することはできません。
もし、一致したとすれば、われわれは無意識になってしまうでしょう。
つまり、自我の解消は、最善の場合でも無限の近似にすぎないのです。
自我がこの中心を簒奪すれば、自我は対象を失ってしまいます。
                                              【C・G・ユング】



前置きが長くなりましたが、この映画に、権威ある脳科学者役で、モーガン・フリーマンが出演して
います。

映画とドキュメンタリー番組と、どちらの出番が先だったのかは知りませんが、とにかく「LUCY」→
「時空を超えて・選 死後の世界はあるのか?」と観た私は、「これは!」「まさに!」と、
モーガン・フリーマンが、2作品の共通の全体像への橋渡しをしてくれたような感覚を持ったのです。

上手く表現できませんが、モーガン・フリーマンが"案内役"でなかったら、タイトルにその名前が
なかったら、私は「時空を超えて」を、未だ知らずに見過ごしてしまっていたかもしれません。
そして、2つの作品の相乗効果が、(あくまでもイメージではありますが)理解の一歩を確実に
推し進めてくれたのは間違いありませんでした。


現在ではまだ仮説にすぎない意識や魂、こころについての理論も、これから少しずつさらに発展して
いくのだろうと、未知の世界の広がりや可能性を思い、心が解放されていくような気さえしました。



□■□■□■□■□




「時空を超えて・選 死後の世界はあるのか?」も「LUCY」も、"脳科学"の視点から人間を探求して
いますが、その視点を"こころ"に置き換えても、探求の道は同じ方向に向けて、交差しつつ、
繋がりあいながら、開けてくるのではないでしょうか。

エベン・アレクサンダー博士が自身の臨死体験を「神経生理学や神経解剖学の様々な知識を駆使して自分の体験について考えてみた。しかし、私の身に起きたことを神経科学によって説明することは不可能であるという結論に至った」という話や、ハメロフ博士が「脳死宣告を受けた患者の、血液が流れていない脳に、ニューロンが爆発的に活動している現象を確認した。驚くべきことだが、まさにこの目で見たのだ。」といった話など、やはり、 脳とこころは決して切り離せるものではなく、深いレベルで相当に影響しあっているのだと、今まで夢分析を受けてきた自分の体験も重ねて、強くそう思います。


というより、西田幾多郎が述べていることそのものだと、私はその考えに深く共感しています。

我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、
その実はただ一種あるのみである。


我々の世界は意識現象の事実より組み立てられてある。
種々の哲学も科学も皆この事実の説明にすぎない。
                                     『善の研究』




それでは、ユングの自伝からの言葉で、今日は終わりにします。


理性はわれわれにあまりにも狭い境界を設定している。そして、われわれに既知のこと―それに対しても限界をもって―のみを受けいれしめ、既知の枠組の中で生きてゆくようにせしめる。
それは、ちょうど、われわれが生命がどの程度の範囲までであるかを確信しているのと同様で
ある。
実際のところ、われわれは毎日毎日、意識の限界をこえて生きている。
つまり、それに気づいていないが、われわれの中で無意識の生命もまた、続いているのである。


心の一部は、時空の法則に従わないという徴候がある。

顕在的な世界の背後にある異なった体系をもつ世界の存在の可能性は、避けることのできない問題となり、われわれの世界は、その時間、空間、因果律と共に、その背後あるいは、下に存在する他の規範によるものと関係している事実に直面しなければならない。





「もっと自分に優しくしてあげていいのだ」

(Congratulations!)
lily_bouquet./Nitis Florist

以前、ブログでご紹介させていただいたことのあるBさんから、先週、嬉しいご報告をいただきました。

Bさんは、辞職について迷われている中、キャリアカウンセリングをお受けになったのですが、

この度、見事、以前から興味のあった分野への転職を果たされたとのお知らせでした。

(以前ご紹介した、辞職に関する記事については、こちらをご覧下さい)
         ↓
キャリア形成「辞職の決断」 

「行動変容」への起爆剤を手に入れる


Bさんにご承諾いただきましたので、その内容の一部について、

今日の記事としてご紹介させていただきます。


*****************************

「自分自身を大切にする」という事を学んだ気がします。

悩んでいた頃は、様々な事を考え過ぎて毎日が恐いくらいでしたが、
「もっと自分に優しくしてあげていいのだ」と気づかされました。
それは甘えではないのだと。

自分自身の内から出る感情に向き合ってあげる事、気付いてあげる事が出来るのは自分でしたし、
新しい歯車を回し始めるのも自分自身でした。

もしかすると、私は当時いた職場の集団から見ると「変わり者」だったかもしれません。

でも、自分を信じる事を諦めず勇気を持ち突き進んでみると、
共感、賛同、応援してくれる方々はそれ以上にいた事も、初めて目に見えて気付かされました。

誰かの意見や社会・・・様々な力に現実世界の毎日はごまかされ流されそうになるけど
例えば会社を「辞める」「辞めない」に対し、良い悪いや正解と間違えなど、
他人がレッテルを貼る事では決してないですし、
自分自身が心から納得した選択を、その人の人生だから応援したい、
これからは自分に対しても応援していこうと思っています。

最後に、私は田村さんとのセッションで
今回の転職に至る、初めの第一歩を踏み出せたきっかけだったと今あの日を思い出すと、
確信できます。

生きにくい世の中と言われる一方で
様々な考えを持っている人は沢山いる事や、オープンになっている事で
自分で目の前の世界を選んでいける自由もあるのではないかと感じます。
私は今、仕事も含め1日1日が楽しみでワクワクします。

どうもありがとうございます。

(原文ママ)

*****************************


Bさんは責任感が強く、だからこそ以前の職場でも周りを慮り、

なかなか「辞めたい」というご自身の本音を表に出せずに悩んでおられました。

「辞める」と決意されてもなお、自分の立場を考え、自分がいなくなった後の職場の事を考え、

辞意を伝えることが出来ぬまま、時間ばかりが過ぎてしまう。

心はその職場から離れているにもかかわらず、悶々とした日々を送っておられたのです。


でも、カウンセリングをお受けになり、自分の思いや感情に真正面から向き合ったことで、

「軸」を、周りからご自分に引き戻されたのではないでしょうか。

そして、

「もっと自分に優しくしてあげていいのだ、それは甘えではないのだ」と気づかれたのです。


以前、「夏目漱石の自己本位」について、このブログで書きましたが、

自己本位になるということは、決して自分勝手になることとは違います。

それは、痛みや罪悪感を分かっていながらきちんと背負う事も含め、

自らへの責任をしっかり持った上で、「自分に軸を据える」ということです。


私たちは、社会や組織の一員としての自分をかえりみるとき、どうしても周りの意見を尊重しがちです。

自分の意見や思いを抑え込んでも、周りに合わせる。

それは、組織が円滑に成り立っていくためには確かに大切なことで、

そういった「協調性」は、社会人として生きていくために、一般的に高く評価を受ける能力でもあります。


しかし、私はカウンセリングをしている中で、この「協調性」ゆえに、

(そこには責任感や優しさ、思いやりも含まれます)

ご自身を殺し苦しんでおられると、感じられる場面に遭遇することが少なからずあるのです。


河合隼雄先生も書かれていましたが、そもそも、

「自分を大切にしながら、同時に周りも大切にすることは難しい」わけです。

そこにはどうしても、「対立」が出てくるからです。

でも、その難しい事に正面から向き合い、自分なりにどうにかしていく。

そこをどうやっていくかということにこそ、その人の個性が表れるのであり、

決してマニュアルはありませんが、このようにして、

「自分なりの生き方」を進んでいくことこそ、ユング心理学では重要だといわれています。


Bさんはこの度、苦い思いや辛い体験を経た上で、新しい道に踏み出されました。

そして私たちにも、一人ひとりにそれぞれの道があるはずで、

ワークキャリアの形成においても、マニュアルなんて存在するはずがありません。

でも半面、Bさんが体現されたこと。

「自分自身を大切にする」 

これは、誰しもが忘れてはならないことではないでしょうか。



今日は最後に、「自分に軸を据える」という視点で、twitterで見つけた名言を。

(ジョン・レノンの表現には、少し毒が交じっていますが、でも私の胸には、
  何かストレートに迫ってくるものがありましたので、そのままご紹介します。)

・人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう…」 
  こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
                                                  (John Lennon)
 
・自分のしている事が、自分の目的になっていない程苦しい事はない。   (夏目漱石 行人)


○●○●○●○●○

「抑え込んだ自分」は決して消え去りはしません。

それはあくまでも、抑え込んで表面から「見えなくしてしまった」だけのことです。

そしてそれが、“勝手なこと”をし始めたら、手に負えなくなることもあるのです・・・。



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病気になって良かったこと


sunbeam./Matthew Hine


先日、4月1日発刊の雑誌に掲載された、俳優の萩原流行さんとの対談の中で、

記事では紹介されなかったお話について、今日は取り上げたいと思います。


流行さんとの対談では、本当に共感できるお話を色々とお聞かせいただいたのですが、

その中でも特に印象深く、今でも私の胸に響いている言葉があります。


うつ病に罹られての辛さ、そして失ったことなど。

思いを率直に語られた後、流行さんはこのように言われました。

「でも、悪いことばかりではなかった。“病気になったからこそ”分かったこともあった。

自分がうつになって初めて、それまで意識せずにしていた自分の言動で、

知らないうちにどれだけ周りの人を傷つけていたかということに気づいた。

自分が病気になり、その苦しさを思うように伝えられない中で、周りの無理解さに出会ったとき、

今までの自分のことも改めて振り返られるようになった。

このことは、この病気になったからこそ分かったこと。

だから病気になって悪いことばかりではなかった。

病気になって良かったこともあったんですよ。」


そのように、淡々と述べられた流行さんからは、その言葉の持つ深い重みのようなものが、

私には伝わってきました。



ユングは、大病を患い苦しい思いを体験した後に、

「存在するものにyesということ。あるがままに対して無条件にyesということを学んだ。

自分の運命にyesということがどれほど大切かを初めて理解した。」

と言っています。

これは、病を患い苦しんだ経験をしたからこその思いが、ユング自身にあったということです。


私自身も、その渦中にいたときには、

「なぜこんな思いをしなければならないのだろう」

と思い苦しんだ出来事も、時間が経って振り返ってみれば、その時の経験や思いがあればこそ、

少しは自分の成長につながったのではないのかと、過去を冷静に振り返られるようになりました。



どんなことも、後から振り返ってみると、少しずつ何かが見えてくるのかもしれません。

(以前にも同じような内容の記事を書いていますので、合わせてご覧ください。
 コンステレーション )



「病気になって良かったこと」

長年、うつ病と向き合っておられる萩原流行さんだからこその、静かに響いてくる言葉でした。



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キャリア形成 「辞職の決断」


Gerberas /
Katy


今日は、ご本人に承諾を得たうえで、
ある方の『ワークキャリア』にまつわるお話をご紹介したいと思います。


ワークキャリアに関するご相談でお越しいただいた20代の女性、
「Bさん」は、今の職場に勤めるようになって3年ほどになります。

そして、来年には昇進することが既に決定しており、
現在より責任の重い、職場を取りまとめるマネージャー的立場に就くとのこと。

しかし、Bさんご本人は、この昇進を前に、大きなプレッシャーと葛藤を抱えておられました。


自分の今までの業績を評価され、より大きな権限を持つことができるようになるにも関わらず、
Bさんが、昇進に「嬉しさとやりがい」より、「プレッシャーと葛藤」を感じておられるのには、
もちろん訳がありました。


連日、日にちが変わってから帰宅というサービス残業が続き、
夕食はいつも、深夜のコンビニで済ませるという毎日。
また、せっかくの休日にすら仕事が入るときがあり、
なかなか、「ゆっくりと仕事以外の自分の時間」を持つことが出来ない、
仕事漬けの3年間を、ずっと送ってこられていたのです。

そのオーバーワークに、就職後すぐに体調を崩し、様々な症状に悩まされ続けたとのことです。

そして、「いずれは辞めよう」というお気持ちを抱えながらも、その本心を出せないまま、
ずっと頑張り続けておられたのですが、そんな中、上司から「昇進」の話を伝えられ、
「今まで以上に忙しくなる。責任が重くなる。」ことが自明の理だと感じられた時、
「もうこれ以上、勤められない。辞職しよう。」と、決断されたとのことでした。


「しかし、重要なポストに就くことが決まっている中、辞意を伝えても、
会社側は全力で引き止めてくるだろうし、現実すぐに辞めることはできないだろう。
それを考えると、どのように辞意を伝えれば、会社側に納得してもらい、
スムーズに退職できるか、早く伝えたいという意思とは裏腹に迷っている。」
そのような思いを抱え、私とのセッションに臨まれたわけです。


そうして、未来への展望も含め、色々とお伺いしながら、
セッションもそろそろ終わりの時間となり、
私は、「では最後に、何か伝えておきたいこと、聞きたいことなど、ありませんか?」
と言うと、Bさんは、遠慮がちにこのように言われました。

「私、“軽い”でしょうか?」

こう言われて、一瞬私は何のことだか分からず、逆に聞き返してしまいました。

「えっ?“軽い”、ですか?」


Bさんは、3年間も激務に耐えてこられながら、それでもなお、
辞職を決意したご自身のことを、
「この自分の決断は、軽いのではないか?」と、気にされておられたのです。

“軽い”の意味が分かった時、私は、
「よくぞ今まで、3年間も頑張ってこられたと思います。」と思わず、
頭で考えるより先に、素直な思いを口にしてしまったのですが、
(この時の私は、Bさんの言葉に少しビックリしていたのです)
それを聞いたBさんは、何かのスイッチが入ったかのように、
涙を流され始めました。

それまで、整然とお話をされていたBさんが、
最後の場面で、抑えきれず流したその涙が、
Bさんの3年間の忍耐と思いを、全て表しているような気がしました・・・。



Bさんのお話をうかがって、
仕事に人生の大半の時間を奪われ、激務により体調まで崩しながら、
それでも、頑張り続けておられる方が、一体どれくらいいるのだろう、
と、改めて考えさせられました。

私も以前は、長らく組織に勤めていましたが、その時、
当時まだ20代だった同僚が、Bさんと同じように、
毎日毎日深夜まで仕事をして、家に帰るのは寝るだけという日々の中で、
「布団に入ると、悲しいわけでもないのに、なぜか涙がでてくることがある。
自分は何のために生きているんだろうと、思うことがある。」
と話していたことを、思い出しました。

一般的には、生きていくためには仕事をしなければならないですし、
そのために、職業を選ぶにしろ、実際の職場で勤めるにしろ、
そこに、自分の自由な意思や、選択権をどこまで持てるかは、
個人の条件によって様々だと思います。

そして現実問題、給料をもらい、組織という集団に勤めるということは、
何かしらの制約の中で、耐える場面が出てくるのは避けられないことだとも思います。

でも、その中で、どこまで“自分を見失わない”でいられるか。
「自分は何のために生きているんだろう」
「自分は何のためにこの仕事を続けているんだろう」
という、“本来の目的”を忘れてしまうような働き方をしてはいないだろうか。

時には立ち止まって、自分に深く問いかけることは、
限られた人生を送る中で、とても大切なことだと、
私は自身の経験も踏まえたうえで、そう思います。



ご自身の決断によって、大きな転機を迎えることになったBさん。

セッションの中では、今まで興味があっても手をつけられなかったこと、
辞職後に、自分の本当にやってみたいと思えること、
についても、お聞かせいただきました。

そして、そのことをお話になっている時のBさんの表情には、
未来へ向けての生き生きとした明るさがありました。


私も、数年前に長年勤めた職を離れ(私自身もその当時、迷いの中にいました)、
今振り返ると、その時が大きな転機だったなと感じています。

それぞれが、様々な形で迎えるこの「転機」。
キャリア発達理論においても、その意味について取り上げられています。


・・・では、この続きはまた次回に。



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共時性 2

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共時性1
 の記事からあっという間にひと月が経ってしまいました・・・。


前回は、ユングのシンクロニシティのエピソードをご紹介しましたが、
今日は、日本人として、ユング派精神分析家の資格を初めて取得された、
河合隼雄先生の体験談です。


〜スイスのユング研究所では、もちろん幾度か試験を受けることになるのだが、
その試験官である(ユングの高弟である)フォン・フランツが厳しいことで有名なので、
「恐いな」と思っていた。

そうしたときに、「カラスが自分の肩の上にすばらしい宝石箱を背負って出てくる夢」を見た。

「これはなんやろ?」と、自身の分析家マイヤー博士に尋ねたところ、
「自分にも分らないが、せめてカラスのことでも調べておいたらどうか」と言われたので、
“カラス”についてものすごく調べた。
でも、調べてみても夢の意味はよく分からない。

ところが、フォン・フランツの口頭試験を受けてみたら、“カラス”が話の中心だった。
それで、
「ぼくは調べたことをワーッとしゃべったわけですよ、それで最高点をとった。」〜


おもしろいシンクロニシティですね。

“カラスが宝石箱を背負って出てきた夢”をきっかけにして、
河合先生は、厳しいフォン・フランツ女史の試験で、“最高点”を取れたのですから・・・。

夢の意味が分からないから、「とりあえず調べてみたらどうだ」とマイヤー博士に言われ、
調べていたことが、良い結果に結び付いた。
この一連の流れ・・・。

シンクロニシティとしてもですが、夢ってこんな感じで“知らせてくれる”ことがあるのだという、
分かりやすい例だと思います。


ここで少し私見をはさみますが、こうした夢のメッセージも、“見過ごして”しまっていたら、
せっかくの“宝石箱”も、ただの箱にしかならなかったと思うのです。

河合先生も、その夢に意識を向けてみたからこそ、現実の世界で“活かす”ことができたわけです。

だから我々は、そこ(夢)に意識を向けない限り、もしかしたら、
日夜送られてくる無意識からの大切なメッセージを、
どんどん取りこぼしてしまっているのかもしれません・・・。
(本当はみなさん夢を見ているのですから。覚えているかどうかの違いです。)

もちろん、どの夢も、こんな風に“分かりやすい結果”として出てくるとは限りませんが。


この河合先生のシンクロニシティ、実はまだ話が続きます・・・。

〜フォン・フランツ女史は、シンクロニシティの話がものすごく好きで、
でも、河合先生は「それが」いやだった。

でも、この一例は「ものすごい見事なシンクロニシティ」になっていて、
あんまりおもしろいから、やはり(フランツ女史に)言おうかなと思っていた。

そんな折、別の試験の時に、試験官であるフォン・フランツを図書室で待っていて、
ある本をぱっと開くと、

「中国の絵で、八咫烏(やたがらす)、太陽の中にいる三本足の烏、
それを猟師がねらっているところの絵が描いてあったのです。
そして、It is true,but pity you have said it.(それはほんとうだけど、言ったのは残念だ)
と書いてあったんです。
おもしろいですね。
だからフォン・フランツに言うのをやめたんです。」

これこそほんとにシンクロニシティ。
しかも、本をパッと開けたらその絵がピタッと出てきたんですよ。
しかもカラスでしょう。
あれは感激しました。

この一件により、その時には“伝えなかった”河合先生ですが、
さらにさらに、この次のフォン・フランツ女史の試験の時にも、
おもしろいシンクロニシティが起こったそうです。

だからそれも、あまりに不思議だったから、
「前はじつはこうやった」と、その時に、
カラスの夢の件も伝えたとのことです。〜


これを読んで、にわかには信じがたいと思われる方もいるかもしれませんが、
私は、このようなことは実際に起こるのだと思っています。

「実際に起こるから」
ユングもそれをシンクロニシティとして理論にしたのですし、
その理論に共感して支持する人も大勢いるのだと思います。


まだご紹介できるお話はありますが、今日はこのへんで。

〆も河合先生談で。

「ぼくはこのような傑作な話いっぱいあるんですけれども、
あんまり言うとみんな喜びすぎますからね。」

ぜひ、いっぱいご紹介いただきたかったなーと思います・・・。



(今日ご紹介したお話は、こちらに詳しく書かれています。)

未来への記憶―自伝の試み〈下〉 (岩波新書)
未来への記憶―自伝の試み〈下〉 (岩波新書)









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共時性 1


blue-gold beetle on leaf /
Austin Turner

前々回の記事 を始め、今までに幾度か、
「シンクロニシティー(共時性)」について取り上げてきましたが、
ユングは勿論のこと、日本人のユング派の方の著書にも、
シンクロニシティーの“体験談”が書かれているのを読んだことがあります。

これから、それらの一端をご紹介したいと思います。


まずは“ユング博士”です。
有名な話は、ユングが自身の患者の死を、“感じた”というエピソードです。

『ある日ユングは、講義の後、旅先のホテルで床に入り、なかなか寝付けずにいました。
そして夜中、ようやく眠りに入ったころに、何かに驚いて目を覚まし、
誰かが部屋に入ってきたと感じます。
しかし、辺りを調べてみても、何事もありません。

「変だな。確かに誰かが入ってきたのに!」

そしてその時に起こったことを正確に思い出してみると、

「私はまるで何かが私の額、それから後頭部を打ったような鋭い痛みの感じに
目を覚まされたのだと気づいた」 のです。

次の日、ユングは自分の患者が、拳銃で自殺したという電報を受け取りました。
そして、その患者の頭蓋後壁に小銃弾が残っていたことも、後になって知りました。』


ユングは、この出来事について、このように述べています。
この経験は元型的な状況―この場合は、死―と関連して非常にしばしば観察されるような
一つの純粋に同時的な現象であった。
無意識における時空の相対化によって、私は現実には他所で起こっている何かを
知覚することができたのである。
集合的無意識はすべての人に共通である。     『ユング自伝 1 』(みすず書房)



もう一つ、ユング自身が書き遺している、ある体験談があります。

『ユングが治療していた女性患者が、治療の重要なポイントで、黄金のスカラベ(コガネムシ)を
与えられる夢を見ました。(ユング心理学で治療の中核をなすのは“夢分析”です。)

そして、この夢について、女性がユングに話をしているまさにその時、ユングの背後の窓ガラスに
コツコツと何かが当たる音がしたので開けてみると、その音の主は、飛んできた“コガネムシ”でした。

しかも、普通“コガネムシ”は、明るいところに向かう性質があるのに、この時には不思議に、
ユングたちの居た暗い部屋に入ろうとしていたのです。』

このスカラベ(コガネムシ)の“非合理的な出来事”は、固い合理主義者だったその女性患者に、
決定的ともいえる影響を与え、変容のプロセスが動き始めたとの事です。


ユング自身の言葉です。
(進展が見られなかった女性の治療について)
明らかに、私の力を超えた何かまったく非合理的なことが生じる必要があったのだ。

ちなみに、スカラベは、「再生の象徴の古典的な例である」とも、ユングは指摘しています。

頑固な合理主義者だったが故に、ユングを始めとする医師に(ユングの治療を受ける前に、
既に二人の医師の努力があったようです。)診てもらわざるを得なかったであろう、
彼女の心の変容→再生に、「再生の象徴をもつ(この象徴の意味についてもユングは記していますが、
ここでは割愛します)」スカラベが、“非合理的なできごと”として現れた、という事実は、
やはり、とても意味深いように感じられます。


さて、これらの出来事を始めとして、ユングは、その他にも、「非合理的な」現象を、
多数経験していたようです。

しかし、このようにも述べています。
私は、(中略)ここで報告した事実(スカラベの出来事)が本当のことであることを十分に知っているが、
こうしたことはあくまでも「偶然」にすぎないのだと確信している人々の考えを
この話で変えられるとは少しも思っていない。
このできごとを述べたのは、実際生活のなかでいかに意味のある偶然の一致がよく生じているのか、
単にその例を示したかったからにすぎない。      
                                 『エッセンシャル・ユング』(創元社) 


以前にもブログで書きましたが、ユングは自分の経験を通して、
シンクロニシティ(共時性)の概念を確立したことが理解できます。


ユングの信頼を得て、個人的秘書も務めた「アニエラ・ヤッフェ」もこういっています。
科学者としては、彼(ユング)は経験論者である。

経験論者であるからこそ、ユングは“異論”があることも十分承知していたのですね。

でも、“非合理”な現象に、偏見を持たず、ただただ事実を見据え、
正面から取り組んだユングのその理論を、支持する人たちも沢山いるということは、
そこにもちゃんと意味があるのだと、私は思います。


では、今日は最後にユングのこの言葉を。
集合的無意識の仮設抜きでは、説明しがたいような象徴的対応現象が生じる事例に、
心理学者はつねに応じざるをえない。


次回はこのユングの言葉につながるような、他の事例をご紹介したいと思います。
(また“日が空いてしまう”かもしれませが・・・)


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目には見えないもの


(今年は、家族で私だけ見に行けなかった花火大会)

ブログup、少し間が空いてしまいました。

みなさんは、お盆をどのように過ごされましたか?
私は、いわゆる“お盆休み”に入る前に、思いもよらぬことで腰を痛めてしまい、
家族で遊びに行く予定が流れてしまいました。

とはいえ、私はお盆にも自分の仕事が入っていたので、
痛い腰をかばいながら、カウンセリングのクライアントさんとの対面セッションに臨みましたが、
セッションが終わると、面接中には忘れていた腰の痛みが襲ってきて、
帰宅後は横になっているという、何とも情けない“お盆”でした。


さて、私の近況報告はこれぐらいにして、今日の本題です。

前回まで2回にわたり、『ゲゲゲの女房』を題材にブログを書いてきましたが、
今日も水木しげるさんをテーマにしたいと思います。

NHKの朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」でも、とうとう「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放送が始まり、
貧乏を脱した村井家(水木しげるさんとご家族)では、新たな展開が繰り広げられていますが、
売れっ子の人気漫画家という地位を得てからは、それはそれでまた、
貧乏とは別のご苦労もあったようです。

そして、多忙の数年を過ごされた後には、仕事が急に落ち込んだ時期もあったと、
奥様が自伝で書かれていました。

それまでがむしゃらに働いてきただけに、その時期には、
水木さんもご家族の前で不安を口にされることがあったそうです。

そしてあるとき、ポロっとこんなことを言われたとのこと。
「いまの人は(1980年ごろ)、目に見えるものしか信じない。
オレがいままでやってきたことはムダだったのか。
妖怪なんて、いないのかもしれない」



話はここで少し変わりますが、深層心理学派の一つであるユング心理学もある意味、
「目には見えないもの」を扱う学問と言えます。

心理療法の中心は夢分析ですし、集合的無意識元型
共時性(シンクロニシティ)布置(コンステレーション)などなど、
(他にも、タロットなどにもユングは興味を示し、研究の対象としていました)
その理論は独特で、神秘的な要素を含んでいます。


でもそもそも、“こころ”とは「目には見えないもの」であり、
だからこそ、その世界をいわゆる科学的に(「1+1=2」というように)、
誰の目にも明らかにする、 なんてことは、その性質からいうと困難が付きまといます。

例えば、心理療法でも、ユング派以外にも様々な療法があるわけですが、
決して同じ療法が必ず同じような効果を上げるわけはないですし、
それぞれ“個人”(来談者)によって、「何が誰が(治療者)どれくらいで」効くかは、
実際、やってみなければ分かりません。
誰の目にも見えて、すぐに(理論を軸に)理解できるようなものではないのです。

「こころ」というものは、そういうものであって、
でも、その「目には見えないもの」は、
何より、私たち一人ひとりの中に確実に存在しているものでもあるのです。

※ここで誤解のないように申し添えておきたいのですが、ユングはそういう目には見えない
“こころ”の世界に、出来得る限り経験科学的に、そして偏見を持たずに挑んだのであって、
それは決して、ただの非論理的なものと切り捨てられるような理論ではありません。
実際、個人のプライベートに深く因る、“こころ”の現象を、一般的な理解を得るために説明することは、
非常に難しいことでもあります。
しかし、そのようなものでありながらも、ユング理論に共感を示す科学者たちも少なくはありません。
それは、「こころと科学」という、一見すると対極にあるものの根底に、
共通する何かを見い出せる場合があるからです。
有名なところでは、ノーベル物理学賞の受賞者である、スイスの物理学者「ヴォルフガング・パウリ
などが挙げられます。



話が逸れてしまいましたが、水木しげるさんが、「いまの人は、目に見えるものしか信じないのか」
と嘆かれた時代のある日、次女の悦子さんが、中学校の修学旅行で、“妖怪”を見たそうです。

「お父ちゃん、夜中にね、京都の旅館の障子にね、目みたいなものが浮き上がって動き回ったんだよ。
あれ妖怪だったんじゃないかなぁ」

(中略)

「おお、それは 目々連 だ!ほかの子も見たのか?」

「うん。それで同じ部屋の子たちみんなで大騒ぎになったんだよ」

「そうかそうか。目々連が出たのか・・・。ハハハハ!」


この父娘の会話に、どんな意味があったのか、その真意はもちろん私には分かりません。

でも私が感じるのは、やはり、水木しげるさんは「目には見えないもの」を
大切にされている方なんじゃないかな、ということです。



日常を過ごしていると、私たちはついつい、「目に見えることばかり」を重要視し、
それが“全て”であるかのように捉えがちです。

でも実は、このような態度で自分の生を生き続けていくことが、
ある時期になって、神経症などの心の病(や受け入れがたい事件・事故など)
を誘発することにつながる可能性があります。

見えないからと言って捨て去ってしまっていたものに、
結局、正面から向き合わざるを得なくなるわけです。


それにしても、当時(1980年ごろ)、「妖怪なんていないのかもしれない」と言われた
水木しげるさんの目には、今の時代はどのように映っているのでしょうか・・・。

私は、お盆に行けなかった父母のお墓参りに、行ってこようと思っています。


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「妖怪とは人の心の中にいる」


前回の記事で、「ゲゲゲの女房」について書きましたが、
今日も引き続きです。

私が、水木しげるさんの奥さま“武良布枝さん”の自伝本、
『ゲゲゲの女房』を購入したのは、
テレビドラマを観始めて1週間も経たないうちでした。

そして、本が届くなり、一気に読み終えてしまいました。

それだけ、ドラマを始め、著書についても、
私にとっては、とても“響く”ものがあったのです。


それまでは正直、水木しげるさんについては全くと言っていいほど、知りませんでした。

数年前に、境港の「水木しげるロード」に行ったこともあるのですが、
これも、隠岐への旅行の帰りに、時間が余ったので立ち寄ったというのが実情でした。
(今更ながら、もっと興味を持って巡覧すれば良かったと、後悔しきりです・・・)


さて、前置きはこれぐらいにして、今日も『ゲゲゲの女房』の中からいくつか、
個人的に響いたものを、ご紹介したいと思います。


水木しげるさんは、ご存じのとおり、「戦争」を体験されています。

ラバウルに派兵され、水木さんが属していた部隊は全滅したそうです。

水木さんも、その戦時の中で左腕を失われたのですが、
しかし、生きて日本に戻ってくることができたのです。

奥様は自伝の中で、(それは)「奇跡」であると、書かれています。

そして、いまでも戦争の話になると、水木さんはこう言われるそうです。
「人間が生きているということは、自分の力以外にどんなものの力が作用しているか知れない。
自分の意思以外のさまざまな要素が自分を生かしてくれている。
軍隊生活でそれがわかった」

戦争を、体験では知らない私には、いくら想像しても絶対に理解しきれない、
その“凄まじさ”を、実際に通りぬけてこられた水木さんのこの言葉には、
芯のとおった重みを感じました。

想像を絶する状況と、人間の「負の部分」を、肌でもって体験され、
そして「死」に毎日直面しなければならない中で、
「自分の意思以外の力」を感じられたのですから、
それは本物だと、私には思えました。


また、戦争中、いつ兵に自分の身がとられるようになるか分からないと思った頃、
死を強く意識し、哲学書をむさぼり読むようになったそうです。

そして、“ゲーテ”に傾倒し、「聖書」や「仏教の本」も愛読されたそうです。

(“ゲーテ”といえば「ファウスト」ですが、ユングも非常に興味を持って、
ファウストを心理学的に解釈しています。
また、あの手塚治虫さんも「ファウスト」には心酔しておられたそうで、
関連した漫画も描かれているそうです。
そして、私は拝読したことはないのですが、水木さんの漫画「悪魔くん」にも、
“ファウスト”も“メフィスト”も登場するそうです)

私には、水木さんのこのような経験全てが、「目に見えないもの」に対する姿勢を
形作られたのではないかと、感じられました。



また、著書の中には、奥様がこのように書かれている箇所もありました。
「つまるところ、妖怪とは人の心の中にいる」
と、(水木さんは)自著の中でさらりと書いているのですから。


水木しげるさんは、何か「目に見えないものに“実際に”通じているのでは?」と、
思わずそんな印象を受けました。


ユングも、小人を“見た”らしいですし、他にも色々と不思議な体験をしています。

そして、それらの現象を、「自分の内側のこころの世界」と結び付けて考察しました。


そういった、ユングの思想にも通じるような、ご自分の深いところとのパイプを、
水木しげるさんも(もしかしたら)持っていらっしゃるのかもしれません・・・。


「自分の内側につながる」

私はいつも思っているのですが、このパイプを持つことが出来れば、
“生き抜く強さ”みたいなものが与えられます。

そして、色々とおもしろい体験もできそうです・・・。


それにしても、

「自分の意思以外のさまざまな要素が自分を生かしてくれている」

このように心底思えるようになれば、多分、生きることがとても楽になることは
間違いないと思うのです。


※今日の記事で、水木しげるさんについて述べた私の思いは、
  あくまでも私見です。
  もちろんですが、水木しげるさんの真意は全く存じ上げませんので、
   ご留意ください。


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「ゲゲゲの女房」

ゲゲゲの女房ゲゲゲの女房
著者:武良布枝
販売元:実業之日本社
発売日:2008-03-07
おすすめ度:4.5
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「ゲゲゲの女房」とは、ご存じのとおり、
今、NHKの朝の連続テレビ小説で放映されているドラマのタイトルです。

私は2週間ほど前から、あることがきっかけで(これも私の“無意識とのつながり”が関係しています)
観始めたのですが、今ではこの15分間のドラマを視聴することが、
毎日のささやかな楽しみになっています。
(連続ドラマを欠かさず観ようとするなんて何年ぶり


水木しげるさんと言えば、「ゲゲゲの鬼太郎」ですが、
このTVアニメが、ちょうど私が子どもの頃に放映されていました。
(時期的にこれは多分、“第2シリーズ”の、しかも再放送だったのかもしれません)

でも当時は、やはりその“雰囲気自体”がとても怖くて、結局は観れなかったことを覚えています。

子どもの敏感な感受性には、訴えかけてくるものが大きかったのかもしれません。


そして実際、妖怪ものの「ゲゲゲの鬼太郎」をTVアニメ化するまでには、
大変なご苦労があったのだと、この度ドラマを通じて知り、
自分の子供時代を思い出しながら、感じ入るところがありました。

ドラマ内でも表現されていましたが、マンガがなかなか売れず、どん底の貧乏を経験される中でも、
水木しげるさんは、漫画家としてのその強烈な「個性」を最後まで捨てずに、
信念を持って仕事に取り組み続けていました。 

そして、その時は来ます。
漫画家として世間から認められ、その後大成していく、「来るべき時が来た!」のです。
(「来るべき時が来た!」はドラマと原作本のサブタイトルにも使われている言葉です)

1965年、講談社児童漫画賞という権威のある賞を受賞したことがきっかけで、
その後、どんどん仕事の話が入り始め、誰もが知る漫画家の巨匠になっていったのです。


そういえば、「アンパンマン」の原作者の、“やなせたかし”さんも、
漫画家として大成されたのは晩年に入られてからですが、
何かでこのように言われていたのを聞いたことがあります。


私が漫画家として世に認められたのは、70に入ろうかという頃です。

それまでは色々とやりました。
よく、『成功の秘訣は?』と聞かれることも多くなりましたが、
その時出来ることを、ただただ一生懸命やる。
私はそうしていましたし、それでいいんだと思います。
時期が来れば、自然とうまくいくようになります。




水木しげるさんは、後年、
「なまけ者になりなさい!」「がんばるなかれ!」「のんきに暮らしなさい」
というようになったそうです。

でも始めは、その言葉を「おかしい」と奥様は思われていたそうです。


水木は、なまけ者どころか、誰よりも一生懸命生きている人だからです。

誰よりも働き、誰よりも努力してきた人だと思います。

                                   『ゲゲゲの女房』

しかし後には、

(水木しげるさんは)人が本来持っている生きるための知恵や本能みたいなものを
働かせたからこそ、生き抜いてこられたわけです。
「現代人も、そうした『生きる力』を取り戻すべきだ」と水木は伝えたいのでしょう。

と、水木さんが言われる言葉の意味が、なんとなくわかったような気がしてきたということです。




そして、著書のあとがきにはこのようにも書かれていました。

(奥様は)「すべてを受け入れる」だけの人生でした。
あの洗うがごとき赤貧の日々も、たしかに辛かったけれど、私は不幸ではありませんでした。
もちろん、惨めだったこと、寂しかったこと、いまも納得できない理不尽なことが、
数え上げればキリがないほどにあります。
(中略)
人生の入り口での状態は、といえば、水木も私も、お世辞にも、幸運だったとはいえないでしょう。
でも、「いろいろなことがあったけれど、幸せだ」と素直にいえるのは、
「水木が自分自身を信じ続け、私も水木を信じ続けてきた」からだと思います。
自分が選んだ道をひたむきに生きていれば、
「来たるべきときが必ず来る」
とふたりとも信じていたのです。



ユングも、

「あるがままに対して、無条件にyesということ」
「自分の運命にyesということがどれほど大切か」

と言っています。


自分が今置かれている状況を受け入れられない。
(自分の力で)どうにかしようとするけれど、どうにもならないことを、納得できない。

このような葛藤を抱え続けるからこそ、延々と悩みが続きます。

そしていつしか、悩み続けることに心が悲鳴を上げ、
様々な症状が表面化してくることにもなりかねないのです。


「今この受け入れがたい状況に、苦しんでいる自分がいるんだな」

と、その苦しんでいる自分を客観的に受け入れられるようになれば、
心の病にかかることはなくなります。


水木しげるさんも奥様も、
「全てを受け入れ、自分を信じ続けられた」からこそ、
苦労の時代にも、自らを見失うことなく、その時を乗り越えられたのではないのでしょうか。


今日のブログの冒頭にご紹介した著書。

水木しげるさんの奥様である“武良布枝さん”が書かれた、
この、ドラマ『ゲゲゲの女房』の原案本には、実話に基づいた心に響く言葉が沢山ありました。


最後に、水木しげるさんが「オレの生き方の礎になっている」と語られた“ゲーテ”の言葉を。

「精神の意思の力で成功しないような場合には、好機の到来を待つほかない」

(これも、著書に、そしてTVドラマ内でも取り上げられていた言葉です)


自分の運命を受け入れられるようになれば、心に平安が戻ってくるはずです。



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お知らせです

今日は2つ、お知らせがあります。

 まず、1つ目。 私の友人が、運営事務局の一員として携わっているプロジェクトのご紹介です。
 その名も「J-SaaS全国キャラバン」 内容は、「J-SaaS」を紹介するイベント(セミナー)です。
 「J-SaaS」とは、 「主に中小企業を対象に、財務会計、顧客管理など様々な業務をITで行える、便利なワンストップサービス(SaaS活用型サービス)」 で、 今年の3月末にサービス開始予定です。

 「さまざまなITサービスにより経営者の悩みを解決すると同時に、これまでITを活用するために中小企業が抱えてきた課題も解消します。」 とのことなので、興味のある方はぜひ参加してみてください!

 参加費は無料、全国10か所で開催されています。
実はすでに一か所で終了しており、これから3月末まで、各地で順次開催されるので、参加希望の方は下記よりお早めに問い合わせしてみてください。
http://www.j-saas-seminar.jp/


さて、次に2つ目のお知らせです。
こちらも友人がボランティアで参画している“Room to Read”の活動の紹介です。
これは、「本を整理して途上国の子供たちに、図書館をプレゼントしよう!!」といった素晴らしい活動です。

 ※以下は“Room to Read”のHPより抜粋。
 「本を読む部屋」という名前の、このNGOを立ち上げたのは、ジョン・ウッドという1人の男性でした。(※ジョン・ウッドはマイクロソフトの元幹部社員) 開発途上国の本のない図書館。本を読みたいのに、本に触れることもできない子どもたち。
その現実を目の当たりにしたジョン・ウッドは、子どもたちに本を贈る仕事を自分の天職であると確信し、マイクロソフトを退職し、ルーム・トゥ・リードを設立します。

 “Room to Read”には、いくつかの寄付の方法がありますが、そのうちの一つが、今回ご紹介する、「不要になった本の寄付」です。
 もし、読まなくなった本が、自宅の貴重なスペースを奪っているという方がおられたら、ぜひその本たちを、この価値ある活動に参加させてあげてはいかがでしょうか?
(ただし、本の集荷は30冊からとなっていますので、自分一人では冊数が足りないといわれる方は、趣旨に賛同してくれるお友達とご一緒に!)
手続きは簡単です。不要な本をブックオフに送るだけ。送料も無料です。


 実は、前記の「お知らせ」以外にもう一つ、私のブログを見てくださっているみなさんに、ぜひともお勧めしたかったことがあったのですが、今回は見送らせていただきました。
それは、 「“マイ・シュリンク(shrink)”の佳代先生の日本帰国が決まったので、夢分析や精神分析に興味のある方は、この貴重な機会に、ぜひ分析を受けてみてください!」 と、お伝えしたかったのです・・・。
ですが、佳代先生ご自身のスケジュールがいっぱいで、この度は新規のクライエントさんを取ることは難しいとのことでした。
私は個人的に、(というより深層心理の偉大さとその影響の大きさを知っている方、全てに共通する認識だと思いますが)精神分析や夢分析を受ける機会を得られれば、それは大多数の方において、自身の人生の根幹を揺るがすような、大きな実りになると信じているので、一人でも多くの方に、「是非体験してもらいたい」と、常日頃から思っています。
 もちろん、分析を受けることによる「大きな実り」は、正直すぐには実感できないことも多く、逆に辛いことを「まずは」体験しなければならないかもしれません。
でも、やはりどんな道を辿ろうと、そこから得られるものはとても大きいのです。

 「本当に貴重なものは、楽をして手には入らない」とユングも言っています。

 “人生は順調だし、今はとっても幸せだから、自分には必要ないや” と言われる方にも、「精神分析」はとても有効なんですよ。
(というより、実はそういった方にこそ、必要なのかもしれません・・・)

 「精神分析(夢分析を含む)」というと、悩みがあるとか、精神が不安定な方が受けるべきものといった印象を持たれている方も多いかもしれませんが、「心」は全ての人にあるのですから、その「心の中の無意識」を扱う分析は、万人に有効なのです。

 その辺の詳しいことは、また別の機会に取り上げるとして、藤南佳代先生は日本人として貴重な、数少ないユング派分析家なので、ぜひセッションを受けたいと思われる方は、早目にコンタクトを取られておくことをお勧めします。


余談ですが、私はここ1年ほどで、実は“かつてないシンクロ”を体験しています。
 その内容は、プライバシーに関わることもあり、全てをブログでお伝えすることはできないのですが、今後、出来得る範囲で少しずつブログに書きたいなとは思っています。
“無意識のすごさ”を現実に体験し、目に見えない力を信じざるを得ない状況になっています。
 科学的見地に立って冷静に考えるからこそ、「これを“偶然”の一言で片づけることは不可能だ」といった感じです。
ユングの言葉を借りると、 「理性の懐疑を払拭するに足るものである」    のです。

河合隼雄先生も、著書の中で書かれていましたが、心理療法の現場に携わっていると、このような“不思議”に出会うことは、ままあるそうです。
私も、“ここまでの”シンクロは初めての経験だったので、正直かなりとまどいましたが、佳代先生に逐一報告し、“見守っていただいていた”ので、ひどく混乱することは避けられました。

・・・それにしても“こころ”(無意識)の世界は、本当にスゴイです。
知っている方も多いと思いますが、ユングが発見した「集合的無意識」の世界では、人類全てがつながっています。(だからこそ、シンクロが起きるんですよね!)


今日お知らせしました“Room to Read”の活動を知ることで、毎日の生活の中では、なかなか意識できない「地球のどこか」の現状について私も考えさせられました。
 “みんなとつながっている”ということを、たまにでも思い出すことができれば、それは“自分”にとっても、とても意義あることなのです。


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