心とこころを響かせて

ユング派の教育分析を受けるカウンセラーが、ユング心理学などをベースに「こころ」や「自己実現」などについて、自分の考えや思いを書き綴っています。

子育て

人をつくる愛着

mother and child by gustav klimt
mother and child by gustav klimt./Kim+5

今日も『Dr.倫太郎』絡みです。
こころの病がテーマのドラマですから、当然ながら、あちらこちらに引っかかりどころ満載です。
(自分なりに咀嚼して)毎回、色んな意味で学べる点があります。


8話では、母親に「あんた、もう必要なくなった」と別れを告げられた明良が、「私を捨てないで」と激しく取り乱すシーンがありました。
そして感情のコントロールが利かなくなった夢乃(
明良)は、倫太郎の家に無断で入り込みお金を
探して荒らすという、常軌を逸した行動にまで及んでしまいました。

明良と夢乃という、分離した両方の人格が表に出てきてしまっている「解離性同一性障害」の根底に
あるものが、幼少期から何度となく繰り返された母親に置き去りにされる体験、大きな不安感に
あることが、はっきりと示された場面でした。



一方、そのひとつ前の7話は、明良親子とは対照的な、看護師の薫母子の心温まる物語でした。

息子の深也くんが、倫太郎の診察室で夢乃が散らかした箱庭アイテムの動物たちを並べるシーン。
どの動物も、親子対で一列に並べられていました。

そして、深也くんが外のベンチで、ピンクの象のおもちゃで遊んでいるところへ明良が来るシーン。
話しかけられた深也が指し示した草むらの先には、お母さん象が置かれていました。
小象が遊んでいる少し離れた場所から、ちゃんとお母さん象がその様子を見守っていて、そこには
「安心」がありました。


その他にも、倫太郎と薫の会話や、親子で倒れた自転車を起こすシーン、検査の申し出があったときの薫の(自身と)深也くんへの向き合い方など、全ての場面で、「明良親子」とはまさに相反する
母子関係が描かれていたように思います。

深也の検査が終わった後、倫太郎と薫が深也くんを見守りながら語り合っているシーン。
そこでも、深也くんはひとりで、倫太郎の診察室の外で動物のアイテムをベンチの上に並べていましたが、その親子の動物たちは全て、「きちんと向き合って」いました。

見えない心の部分での薫親子の関係性が、言語ではないところで(だからこそ)見事に表現されているその様子を見た倫太郎が、優しく微笑みながら「深也くんはしっかり成長しています」といった
言葉には、薫への敬意が含まれていたように私は感じました。



このドラマで、明良の解離性同一性障害の原因となったのが、母娘の関係性にあると設定されていることは誰の目にも明らかで、それはかなり「ドラマティック」な描かれ方をしていますし、明良の置かれた境遇は確かに“特殊”な例なのかもしれません。

しかし、根本の部分。
「親子の愛着の問題」として捉えた場合には、観ている側にとっても決して「他人事」ではない、
普遍的な意味を持ってくるのではないでしょうか。

従来、愛着の問題は、子どもの問題、それも特殊で悲惨な家庭環境で育った子どもの問題として扱われることが多かった。
しかし、近年は、一般の子どもにも当てはまるだけでなく、大人にも広くみられる問題だと
考えられるようになっている。

愛着の問題は、一部の人の特別な問題ではない。
ほとんどの人に広く当てはまる問題でもある。

愛着の安定性や様式は、対人関係のスタイルや親密さの求め方だけでなく、その人の生き方や関心、恋愛や子育ての仕方、ストレスに対する耐性や生涯の健康にまで関わっている。
意識しないところで、知らずしらずその人の心理と行動を支配しているのである。
                                        【岡田尊司】


「愛着障害」が人格形成に及ぼすマイナス面だけではなく「創造性」という部分、両義的な意味に
きちんと視点を充て、また克服のプロセスや人格成長についてなどにも触れられていて、
厳しさのみではなく希望も持てる内容なので、「自分や家族を振り返る」きっかけとしては
とても良い本だと思います。

(実際、よく売れているようです)


まさに、明良を思わせるこんな一文もありました。
どんな理不尽な仕打ちをされようと、子どもは親を愛し、求めようとする。
そのため、深く傷つきながらも、親を責めるのではなく、むしろ自分を責める方向に気持ちが
向かう。

自分がダメな子だから親は愛してくれないのだ―そう考えて納得しようとする。

「納得しようと」、頑張って自分の気持ちを抑えて抑えて、その挙句に出てきたのが、
夢乃という影の人格。
「私が明良を守っているのだ」と夢乃は言っていましたが、確かに、自分を守るためには致し方なかったのでしょう。

ひどく乖離してしまった二つの人格を統合していくことが、明良と夢乃の治療になってくるわけですが、実は私たちも、通常は無意識内に留まってくれている「もうひとり(いえ複数)の私」を、
自我の私に統合していくことで、こころの成長をはかることができます。




少し脱線してしまいましたが、もう一冊、こちらも同じく岡田尊司氏の著書です。


明良は解離性同一性障害ですが、近年では、この「境界性パーソナリティ障害」が、“時代の病”として急増しているようです。

ドラマの中でも、倫太郎に激しく執着する人物像として描かれて(登場して)いましたが、
このこころの病にも「愛着」の問題が強く絡んでいます。


子どもの数が減り、一人ひとりの子どもが、手厚く大切に育てられているはずの現代において、愛着の問題を抱えた子どもだけでなく、大人までも増えているという現実がある。

比較的マイルドな愛着の問題は、愛着スタイルが確立するとともに、自立への圧力が高まる
青年期以降にさまざまなトラブルとなって現れ始める。


大人にひそむ愛着障害の増加を間接的に示しているのは、たとえば、境界性パーソナリティ障害の増加であるし、依存症や過食症の増加である。
これらは、愛着不安の強いタイプの愛着障害が増えていることを示唆していると考えられる。
                                         『愛着障害』


『愛着障害』を読んで何か興味が湧いた方は、さらに『境界性パーソナリティ障害』に目を通されることで、更なる気づきや理解が得られる点があろうかと思います。

境界性パーソナリティ障害だけではなく他のパーソナリティ障害など、こころの病には併存する症状がみられる場合が少なくないので、その根底にあるものを知ることはもちろん、回復の過程についても、共通項として学べる内容が含まれていて理解が深まります。

境界性パーソナリティ障害は、一見、特殊で狭い問題のようでいて、実際は、さまざまな領域の幅広い問題に通じる普遍的なテーマを含んでいることに気づかれるだろう。

まさに、人が生きるとは何か、何によってそれが可能になるのかという、人間にとってのもっとも根本的な問題を突きつけてもいる。

                            『境界性パーソナリティ障害』




こちらは専門的にはなりますが、河合隼雄先生をはじめとする、錚々たる心理専門の先生方が執筆に加わっておられ非常に重厚な内容の著作です。






河合隼雄先生は境界性パーソナリティ障害という“時代の病”が、現代人の意識の拡大に関連して
いると、大きな視点から指摘されておられます。


(前略)必要なことは、片子の人間としての存在も、鬼としての存在も両方を許容すべきでは
ないだろうか。


近代自我を拒否するのではないが、それをよしとして、自我の強化のみを(中略)目標にするのではなく、近代自我とは異なる視点から−(中略)ものごとを見ようと試みることではないだろうか。

「現代に生きる」人間、あるいは、せめて生きようとしている人間であることを自覚すると、境界例の人たちが、そのためにわれわれに教えてくれる−教えるというよりは、きたえるというほうが
いいかもしれぬが−ことがわかるのである。


現代人は相当な意識の拡大を強いられており、それはそれ相当の苦しみを必要とするもので
ある。



半鬼半人という表現がどうしても気にいらない人に対しては、われわれは人間ではあるが、
鬼の世界との接触を保ち、それを切って棄ててしまわないように努力すべきだ、
と言い換えてもいいだろう。

そのような意識の拡大は現代人すべての課題であると思うのである。

                                           【河合隼雄】


「“時代の病”がわれわれに教えてくれる」こととは、
安易に片方に偏ってしまわないこと、「半鬼半人」のしんどさを抱え続けること、
「海と陸」の両方に立ち続けること、「自己も自我も」実現すること。


「中庸を生きる」意味を知り、それを自分のこととして自覚することにあるようです。

そしてそれは、「現代の子育て」の問題にも通じています。
親の生き方や子どもへの接し方が簡単に「偏ってしまうこと」によって、その影響を受けた子どもが、
否応なく境界に立たされる苦しみを抱えてしまうという、皮肉な結果につながる可能性があることが
示唆されています。




おわりに−愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻
 
愛着障害は、多くの子どもだけでなく、大人にもひそんで、その行動を知らずしらず左右し、ときには自らを損なう危険な方向に、人生をゆがめている。
その人のもつ愛着スタイルは、対人関係だけでなく、生き方の根本の部分を含む、
さまざまな面に影響している。

それほど重要な問題であるにもかかわらず、一般の人だけでなく、専門家の認識も非常に
遅れており、むしろ、愛着の問題を軽視してきたとも言えるのである。


すなわち、なぜ、手厚く子どもを育ててきたはずの現代社会で愛着障害をベースとする問題が
増え続けるのか、ということにも関わってくる。


この数十年、社会環境が、愛着を守るよりも、それを軽視し、損なう方向に変化してきたということに尽きるのである。

愛着という要素は、効率主義に反するものとして、ないがしろにされ続けてきたのである。
合理的な考え方からすると、古臭く、本能的で、原始的とも言える仕組みは、もっと効率的で、
近代的な仕組みに取って代わられるべきものとみなされたのだ。



                                             『愛着障害』




女性の社会進出は、たいへんにけっこうです。それはどんどんやっていただいてかまいません。
それをやりながら、自分の子どもの本質的な幸福というものを考えてもらえたらいいわけです。
                                        【河合隼雄】




母性の機能を、今日は意識したうえで行わなければならない。すなわち、「母性の意識化」で
ある。

                                      【河合隼雄】




「自分自身を生きつつ、子どもとの愛着も固めていくこと」に、マニュアルも、合理的で効率的な方法もなく、道なき道を掻き分けてとにかくやっていくしかないようです。

その意味と大変さを自覚することがなにより大切で、迷いながらも真正面からそこにきちんと取り組む重要性を、実際の家庭問題に取り組んでこられた心理エキスパートの先生方が、もう何年も前から、
それぞれの言葉で伝えようとされているのだと、新しい表紙を開くたびに感じとれます。




倫太郎や明良がずっと向き合っている(引きずっている)のも、結局はその土台の部分ですが、
次回最終回では、ひとつのトンネルの出口が垣間見えるようなストーリーになっていればいいなと
思います。



こころの課外授業(出雲大社 2012)

記事upにタイムラグが生じてしまいましたが、今年も行ってきました。
我が家の恒例行事、出雲大社の神在祭参詣。

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神在祭にお参りするようになって、もうかれこれ5年ほど経つでしょうか。
始めの頃は、ツインズを双子用ベビーカーに乗せて、フーフー言いながら長い砂利の参道を
歩いたものですが、今では、とっとと足早に駆けていく彼らに、親が急かされるまでになりました。

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神在祭に行きはじめたのは、私や家族にとっての大きな転機につながった、ある個人的理由が
あったのですが、今では当初とは違った思いで通っています。


私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。両親も無宗教でした。
でも、まだ小さかった時分、キリスト教会の日曜学校に近所のお友達と一緒に通ったり、
当時暮らしていた土地柄、神社やお寺が其処彼処に建っていた(今考えると恵まれた)環境もあって、
とにかく和洋、神仏の垣根を越えて、日常のなかで自然に「手を合わせる」ということは多かったように
思います。

日曜学校に通うようになった経緯については、全く記憶がないだけに今となっては私もよく分からない
のですが、でも多分母は、近所で親子共に仲良しだったお友達のお母さんと、「子ども会」に行かせる
ぐらいの感覚で、一緒に入れたのだと思います。
そして教会のシスターも、それぐらいの気持ちでも「来てくれることが良い」と、歓迎してくださっていた
のでしょう。
実際、私はその日曜学校で、みんなと一緒にご飯を食べたり遊んだりして楽しく過ごすことと並行
して、聖書を読んだり、イエス様やマリア様に関するお話を聞いたり、礼拝の仕方を学んだりという、
お勉強もしていたわけですから。


話が逸れてしまいましたが、私はそのような幼少期の体験があったからなのか、括りはないけれど、
自分より“大きな存在”というものを、どこかで自然と受けいれられるようになったような気がして
います。

そして、その「受けいれられる心」に、実は何度も守ってもらっていたのだと、今になってようやく
分かったような気もしているのです。



「こころと宗教」について、ユングや河合隼雄先生は「切り離せないもの」として述べています。
多くの哲学者も「宗教」の意味について、それぞれの時論を語っています。

心理学においても、哲学においても、避けることのできない「宗教」という命題。
どれも“根本”は同じなのでしょう。
もっと広義に解釈したら、一見宗教とは相反するように見える「科学」だって、根っこは同じはず
です。


だから私にとって、我が子への教育に「宗教心」の課外授業は欠かせないのです。
科学が進歩した現代だからこそ、それは欠かしてはいけないものだと考えています。

目に見えない何か大きな存在を感じられるように、自然に受け入れられるようになってもらいたい。
神さまでも仏さまでも妖怪(笑)でも、とにかくよく分からないし実体はつかみきれないけれど、
そういった不可視の存在を「非科学的」「馬鹿らしい」とばっさり切り捨ててしまうのではなく、
“どこかで”信じられるようなを持ってもらいたい。

長い長い人生を生きる中で、「自分の努力だけではどうにもならない」苦難にぶつかったときに、
そのはきっと、彼らを守ってくれる大きなになるに違いないと、私は信じているからです。
ずっとずっと先に、外の世界に見ていた盾を引き戻す日が来るとしても、まずはそれを
「持てるように」ならなければ話は始まりません。

こころの太陽中心説」をしっかりと感じ取れるように成長してくれれば、人生の荒波にもまれる
ようなことがあっても、すぐに絶望するのではなく、そこに「意味」を見出そうとする僅かな力が
湧いてくるはずです。
「意味」があれば、人は生きていくことができます。


ユングは、「宗教心」と「心の病」に深い関連があることも指摘しています。

重篤な心の病とについて、無視できないつながりがあることは、例えば、「神は死んだ」といった
ニヒリスト、天才ニーチェの悲劇的な末路が、そこに確かなものを物語っているように、私には
思われます。


だからやっぱり、「頭のお勉強」と同じくらいに、いえ、もしかしたらそれ以上に、「こころのお勉強」も
大事。

知力を鍛えることは、確かに、現実社会で「自由な環境」を得るための重要な武器にはなります。

でも、いくら頭が良くて学力が高くても、それだけが「人生を幸せに生き続けられる」条件ではないはずです。

知的レベルを上げ、外的な実力ばかりを身につけ、お金も地位も名誉もそろった、恵まれた環境を手に
入れることができたとしても、それで「苦」から完全に逃れられるわけでもないはずです。

心理学者マズロー(欲求段階説理論)が言っているとおり、外的欲求が完全に満たされたとしても、
人間はそれで、「めでたし、めでたし」とはならないのです。


また、外的基盤のほうが、一度何かのきっかけで崩れ始めたら、非常に脆いような気がします。
その時に何が底力になるかというと、やはり「こころ」の基盤なのではないでしょうか。

そしてその「こころ」の基盤が強く大きく成長していけば、外的不足はもはや、「幸福(感)」を妨げる
必要条件ですらなくなるのです。



さて、“神在祭”に話を戻しますと、子供たちに「今、ここに日本中の神さまが集まってるのよ」と
説明すると、「じゃあ、絶対に聞いてもらえるね!」と、深々と頭を下げて、真剣モードでクリスマス
プレゼントのお願いをしていました。
時期的に、去年も同じパターンだったような・・・。

そして私も、セルフを思いつつ、(見えないけれど)ずらりと鎮座されている日本の八百万の神さまに
手を合わせました。

周りの素晴らしい自然と相まって、その時、内側から感じられたなんとも言えない重みと清々しさは、
「確かなもの」だったような気がしました。


□■□■□■□■□

子どもたちが大きくなり、ゆとりを持って参詣できるようになったと実感できた今年、ふと、
「ここ数年素通りしていたけれど、久しぶりに手を合わせよう」と、銅鳥居手前、参道右手に
御座する「ムスビの御神像」に立ち寄ってみました。

そして、像の前にあった由来碑に書かれている文章に目を通してみると、私の心の中で小さな
感動が起こりました。

また、記事にしたいと思っています。


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春日大社

今日はプライベートな話題です。


先日、家族で奈良へ行ってきました。

「なぜ奈良に?」ということについては、去年のブログを見ていただければと思いますが、

実は今回、子供の一人が出発前夜に高熱を出してしまい、

予定していた日程を中止せざるを得ないと、一度は諦めていました。


でも、一夜明けてみると熱もすっかり下がり、すこぶる元気な様子。

「あれ、大丈夫なの?」ということで、夫婦で迷った挙句、「予定してたんだし行ってしまおう!」と、

決行することにしました。

そんなこんなで出足は遅れてしまいましたが、マイカーでいざ出発

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道中、吉備SAで休憩。

何やら看板を見つめながら、語り合うツインズ。








奈良へ到着したころには既に日暮れ時

その日はとりあえず休み、翌日に目的地へ。

用事を済ませた後、時間の余裕を考慮して、今年は「春日大社」に行ってみることにしました。


私は子供の時分、奈良を始めとする近畿地方で暮らしていたため、

奈良公園には何度か足を運んだことがあり、

東大寺や興福寺には数回(大人になってからも)行ったことがありますが、

春日大社に参拝した記憶がありませんでした。

そういうわけで「世界遺産の春日大社とは」と期待しながら向かったのでした。

でも、駐車場に着いてみると、子どもたちは車中でぐっすりお昼寝中

ここまで来て引き返せないと親の都合で起こしたものの、“グズグズな出だし”となってしまいました


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でも、「西回廊」を歩くころには、

二人の機嫌も何とか収まっていました。

 
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 「砂ずりの藤

 まだ花が咲く気配は

 全く感じられませんでしたが、

 あと数週間で見事に

 咲き誇るのでしょうか・・・?

   






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 「中門・御廊
 
 写真が小さくて見えにくいですが、

 結婚式が執り行われていました。
 
 白無垢の花嫁さんが綺麗でした。

 別の場所で、他にも一組結婚式の

 カップルを見かけましたし、

 お宮参りをしているご家族も数組いました。

 おめでたい光景があちらこちらに。


          
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             「南門」から見た「幣殿・舞殿
  
             何処も彼処も、重要文化財。
             














          

神社、寺院、美術館などなど・・・。

小さな子供がいるとじっくり見物するのはなかなか難しいですが、

大人にも子供にも良い思い出になりました。

またいつかゆっくりと参拝できればと思います。(今度は宝物殿も!)


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蜂ヶ峯総合公園

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今日はプライベートな話題です。

先週土曜日に、山口県の『蜂ヶ峯総合公園』に家族で遊びに行ってきました。


3月に、岩国での出張カウンセリングの予定が入っているので、場所の下見も兼ねて、

岩国近郊で子供たちが思い切り遊べるようなところはないかと探して行ってみたのですが、

想像以上に大きな公園で、飽きることなく楽しめました。


到着してすぐに、『子供広場』の近くでまずは腹ごしらえ

お腹が満たされると、子どもたちは早速、遊具に向かって走って行きました

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『子供広場』の周りには飛行機やポニーもいて、

そして道路を挟んだ向かい側には大きな原っぱもあるので、

この場所だけでも、十分楽しめます。


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遠くには山も見渡せて、気分も晴れ晴れ。

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子どもたちは、ここでまだまだ遊べる様子だったのですが、事前リサーチしたときに、

公園内に「恐竜のオブジェ」があるようだという情報を掴んでいたので、

早速行ってみることに・・・。


道中には、『ミニ動物園』があり、うさぎやお猿さんにも会うことができました。

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そして、『恐竜の森』入り口に到着。

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 (看板が興味をそそります・・・) 



まず、キャンプ場が出てきました。

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ちなみに、後で立ち寄った管理棟で係の人に聞いたところ、泊キャンプは6月から解禁とのことでした。

デイキャンプは現在でも受け付けているそうです。



キャンプ場を過ぎて、斜面を上がっていくと、出てきました!

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(かなり大きなオブジェです)

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 “食べられちゃったよー!”


  



そして、更に高台には、観覧車も回っていました。

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ここまで結構歩いてきたので、「そろそろのどが渇いたね」と、

その後管理棟に立ち寄り、水分補給してからは、近くのグランドでボール遊びをしました。

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グランドもかなり広くて、

みなさんそれぞれに楽しんでいました。

(写真には写っていませんが









時間がなくて今回はできませんでしたが、

他にも『ローラーすべり台』という長ーい滑り台や、『バッテリーカー』もありました。

これからの時期、春を満喫できる自然たっぷりのお勧め公園です。

野外で良い空気を吸うだけでも、何だか元気になれますね



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秋キャンプ

今日はプライベートな話題です。

連休の初日、岡山県の蒜山高原に行ってきました。
蒜山高原HP


蒜山には、前々から行ってみたいと思っていたのですが、今回ようやく“思いきる”ことができ、
家族で、dayキャンプグッズを車に積み込み、いざ出発

家を出る時刻が、予定よりかなりオーバーしていたので、着いたのは13時をまわってしまいましたが、
無事、目的地である“蒜山高原キャンプ場”に到着しました。


  蒜山キャンプ場1    111 133
  (早速、キャンプ場の『みんなの原っぱ』を駆け回るツインズ)


大きな木陰の下で、デイキャンプのメインイベント、(遅い)ランチを摂ることにしました。

  111 134
  (この木陰。持参していたタープを張る必要もなく、しっかりとランチタイムの家族を、
   日差しから守ってくれました。大助かり!)


ランチは、家でこしらえた、おむすびとサンドイッチ、そして数種のおかず。
そして、この日はバーベキューをする時間は取れないだろうと、事前に夫婦で話し合い、
キャンプ場では、“豚汁”を作る予定にしていました。

・・・ですが、我が家の男衆が広場で遊んでいる中、心地よい風に吹かれながら、
切って持参していた具材を入れ、ぐつぐつと煮ている鍋をぼんやりと眺めているときに、
肝心なものを忘れていたことに気づきました。

「あっ、お味噌!」

よりによって、豚汁には欠かせないものを・・・。

(どうしよう、“味なし豚汁”を食べることになるのか?)
と思いつつ、主人に、管理センターにお味噌が売っていないか見てきてもらうことに。

すると、やはりさすがにお味噌は売ってなかったようですが、「お醤油」があったとのことで、
最悪の事態は回避できました

そんなドタバタもありつつ、でもやはり、外で食べる食事は、どんなものでも美味しく感じられました

(ドタバタ劇のせい?で、食事前のショットを撮るのを忘れてしまいました。
 何より、自分自身が残念・・・。)


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  (これは『炊事棟』。
   私たちが陣取った場所のすぐ近くにあり、何かと便利でした。
   ちなみに、手前の木陰は、上の写真の陰から続いています。)

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 (食事をしたテーブルからの眺め。
  まだ、張られているテントが少ないですが、この後、どんどん増えていました。)

さて、お腹も満たされ、気持ちよい空間で、もっとゆっくりとしていたかったのですが、
この日はあくまでもデイキャンプ。

そして、「牛さんを見に行こうね」と子供たちにも約束していたので、
時計を見ながら、そろそろキャンプ場は後にすることに・・・。

私たち家族以外は、ほとんど(いや、全員?)の方が、お泊りされるようで、
みなさん、大きなテントを張ったり、薪を割ったり、夜に向けての準備をされていました。
そして既に、テント内でゴロンと横になっているお父さんもいました。
子どもたちは、網で虫を取ったり、ボール遊びをしたり、みんなのびのびと楽しそうに遊んでいました。


そんな光景を横目で見ながら、キャンプ場を出て、次に向かった先は、
『ひるぜんジャージーランド』

ここも、何より自然が素晴らしくて、景色を眺めているだけで、
気持ちまで晴れ晴れとしてくるような素敵なところでした。

牧場では、遠くで、“ジャージー牛”が、固まってくつろいでいました。


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  111 139 (“牛、遠い〜” “この中、入っちゃダメ?”)→(“ダメ!”)


牛さんたちを見た後、『ビジターセンター』で、「ジャージー牛乳ソフト(350円)」に舌鼓を打ち、
今度は、『ひるぜんジャージーランド』に隣接する『蒜山ホースパーク』へ。

そろそろ夕暮れ時という時間帯だったのですが、乗馬を楽しんでいる方もいました。

厩の外には、4頭ほどの馬がつながれていて、係の人に体をキレイに洗ってもらっていました。
馬小屋に戻る準備をしていたようです。

でも、まだ数組の家族やカップルが見学していて、そんな中、我が家の子どもたちも興味深々で、
恐る恐る近づいて行きました。

そして、にんじんスティック(100円)を、怖々と、大きなお口へ・・・。
お馬さんの方が慣れていて、“引き気味”のにんじんを、口をのばして上手にパクリ!ボリボリッ!

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(“お馬さん、よしよし”。 慣れた後は、お鼻を撫でることもできました。)

私自身、馬に接したことは今までほとんどありませんが、
何て言うのか、「人とのつながりが深いだけのことはあるなー」と思えるような、
親近感というか、癒しのオーラというか、
美しい毛並みの馬たちを見ていると、
ほっこりと気持ちが温かくなるような気がしました。


こんな感じで、念願の蒜山での1日を終え、帰途につきました。

想像していたとおり、自然を満喫できる素晴らしいところで、子どもたちはもちろん、
帰宅後の夫婦も、「また行こう。今度は泊キャンプだ。」と、すっかり意気込んでしまいました。

蒜山高原は、他にも楽しめる施設や場所が色々とあるので、
本当は、長期滞在しながらゆっくりと過ごすのが良いようですね。

・・・現実は、なかなか厳しいですが、さて、今年の「秋キャンプ第2段」が決行されるか否か。
また、ブログでレポートできればなー、と思っています。


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手打ちうどん作り

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今日はプライベートな話題です


先日、家族で「手打ちうどん作り」の体験会に参加してきました。

最近、こういう体験会は、色んな所で催されていますが、
my familyは全員、初の手打ちうどん作り。

というわけで、子供たちのみならず、親も結構ワクワクしながら会場に向かいました


では、ここからは、簡単に“手打ちうどんの作り方”についてご紹介します




まずは材料。

「うどん粉、塩、水。」

余計なものは入れません。
それを目で確認できるのが、手作りならではの“安心”。


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「練り」

ボールにうどん粉を入れ、塩水を混ぜて、手早く練ります。



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それを、ビニール袋に入れて、



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「踏み」

厚み一センチ以下になるまで踏みます

ツインズ、「我が我が」とケンカしながら、“しっかりと”踏んでくれました



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「たたみ」

踏んで伸びた生地を、四つ折りにします。

この「踏み」、「たたみ」を2回繰り返します。


そして、当日は時間の関係上、工程がカットされたのですが、
本当はここで「寝かし」が入るそうです。
(夏なら15分、冬なら30分。)


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「菊もみ」

伸ばしやすいように、生地をお団子にします。

そして、また「寝かし」
(夏場30分、冬場1時間)

当日は手で持って、十数分温めました。


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「あら伸ばし」

成形しながら、麺棒で伸ばしていきます。



「これでいいの〜?」

「僕がやるー!」

またもやツインズ、真っ白になりながら奮闘(麺に?相方に?)



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「仕上げ伸ばし」

厚さ3ミリになるまで、ひたすら伸ばします。

大分、薄くなってきました。


それから、折りたたんで幅3ミリに切ります。(トップ画像)



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最後は、お楽しみの試食

“ぶっかけ”で、具は天カスとネギだけでしたが、
「打ち立ての麺」に勝るものなし!

とっても美味しかったです


残りの麺は、家に持ち帰りました。

冷蔵庫なら2,3日、冷凍庫なら1カ月保存できるそうです。

ちなみに、我が家ではすぐに食べてしまいましたが・・・


子どもたちには、遊び感覚で「食育」が出来ましたし、

私も、大好きなうどんの作り方を学ぶことが出来て、

とても楽しかったです。


作るのは本当に簡単。

興味のある方はぜひお試しください。

ただし、調理場&調理人は粉で真っ白になるので、

汚れても構わないように準備してくださいね。


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子どもの病気もポジティブに受け止める

2日前の水曜日、保育園から帰ってきたツインズの一人のご機嫌がどうも良くない・・・。

そうこうしていると「かゆい、かゆい」と言って、足裏をポリポリし始めたので、よくよく見てみたら、赤い発疹があちらこちらに

「えー、何?」と思って全身チェックしたところ、手のひらやひざにもたーくさん出ています。


すぐに、“子供の病気”の本を開いて、自分なりに調べてみたところ、

「うーん、手足口病かな?」


もう小児科が閉まっている時間帯だったので、翌朝、早速受診したところ、
素人診断が当たってました


口の中にもブツブツが出ていて、思うように食事も進まない上、痒みで夜中も何度か起きるので、痒み&空腹&寝不足の三拍子で、日中も“ぐずり”の波が何度か押し寄せます。


一方、母親の私も、昨日、今日と、仕事やプライベートでの来客、その他の予定も全てキャンセルしての看病ですので、そこにぐずりもプラスされると、正直イライラ


でも、ここで「ものは考えようだ」と頭を切り替えました。


日頃から私は、仕事や家事、自分のしたいことVS子供たちへ向き合う、時間や(自身の)気持ちのバランスに、常に小さな葛藤を抱えています。

これは、母親であれば、多分大勢の方が感じている問題だと思います。

ワーキングマザーは勿論のこと、専業主婦であっても、小さい子がいる家庭では、時間が思うように作り出せないという悩みを、実際によく耳にします。



私は元来、自分が作った予定通りに事が進まないと、苦痛を感じるタチでした。

でも、ツインズが生まれてからは、どんだけ頑張っても“物理的に無理”という状態に置かれ、それを受け入れること自体が一時期とてもしんどかった。

彼らが夜まとめて寝てくれるようになっても、「私の時間は夜しかない」と、睡眠3時間という日を続けたこともありました。
(双子は、昼寝も一緒にしてくれるとは限らないんです


だけど、母親が無理をしすぎることは、やはり子育てにも決して良くはないと、ある時点から割り切ることにしました。

私の場合は、物理的に無理をすると、体力的にも精神的にも負担が大きかったんです。
それをちゃんと自覚して、何事も「やりすぎない」ことに決めました。


お母さんの中には、どれだけ無理をしても、それで自分のやりたいことが全て消化できるなら、そのほうが精神的に楽。
という、パワフルな方もいらっしゃるでしょう。

でも私のように、頑張りすぎることに何かしらの負担を感じる方は、やはり無理しすぎないようにした方が良いと思います。

例え気づけてなくても、見えないこころの領域に与えている影響は、決して小さくはないでしょうから・・・。


今回の子供の病気も、自分の予定が狂ったことは確かにイヤだけど、逆にゆとりの時間が出来たと思うことにしました。

考え方を変えてからは、子供の急な病気も「私も一緒に休んじゃえ!」と、ポジティブに受け止めることにしています。

そう決めてしまえば、子供のぐずりも苦ではなくなるし、大らかな気持ちで接することができます。
そして、その“心のゆとり”は、多分子どもにもきちんと届いていると思うんです


今日は、お外も雨模様

気になることはとりあえず全部脇に置いて、今日はゆっくり穏やかに過ごします

(今回のブログは、2日がかりで“隙間時間”を使って書きました!)


写真素材 PIXTA
(c) サイパン写真素材 PIXTA



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「突発性発疹」

ツインズの一人が、少し前に“突発性発疹”に罹りました(+_+)


実は、その前に“嘔吐下痢”をやったばかりだったので、

急な高熱に「えっ、まだ治ってなかったの?」


嘔吐下痢症には、2年前に家族が全滅したときと同じく、

今年もみ〜んなモレなくやられてしまい、

やっと落ち着いたと思ったところの発熱でした。


小児科に行っても結局診断がつかず、解熱剤をもらって帰宅・・・。

「何の病気?」と思いながら看病していたのですが、

数日後に熱が下がったと思いきや、今度は発疹が。


元々肌が丈夫な方ではないので、熱の作用かな?と思いながら

また小児科に行ったところ、

ドクターに「突発やってたっけ?」

私 「いいえ。・・・もしかして?」



そうです。

ウチの子は4歳を目の前にして、赤ちゃんのイニシエーションを

経験いたしました。



実は“相方”の方も、昨年の夏、3歳を過ぎてからこの病気に罹り、

その時にドクターから

「3歳よね?うーん“奥手”だね〜」

と一言。

そして今回も、ざわめいている看護師さん達をバックに、

「もうすぐ4歳?“超奥手”だね〜」

と言われてしまいました^^;


既に完治していますが、知り合いの妊婦さんにこの話をしたところ、

「わー、突発性発疹って2歳ぐらいまでにするって聞いてたけど、
そういうこともあるんですねー。
参考にしておきます!」

と言ってもらったので、コチラでも紹介しておきました。


「ウチの子は突発やらないのねー」とすっかり安心していたのに、

子育てって何が起こるか分かりませんね・・・。



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