アランは〈見うるためには、すでに多くを読んだのでなければならぬ〉といった。古典主義者としての読書の効用についての正当な讃辞である。事実、本を読まなければ現実は筋道をたてて見えてこないものである。
しかしまた、本を正しく読みうるためには、すでに多くを見た、あるいは経験したのでなければならぬ、ともいいうるのである。                   

引用:『桑原武夫集』 桑原武夫


どだい、ネットなどで情報を得ようというのが間違っています。
ちゃんと本を読んで勉強してください。

「学のあるバカ」というものがいます。知は現場にあるのに、頭の中や本の中だけにあると思っている人です。僕もおそらくそうした人間の一人だろうと思います。学はあってもバカはバカというところです。だから、本を読んだら街に出て下さい。
                    
引用:言語学専門 金川欣二氏のHP


  両者とも、「経験に裏打ちされた知識」こそ本物であると語っています。

  先人からの偉大な知識を受け継いでくれている「本」は、人生の羅針盤になります。
  でも、「読書(知識)だけ」では、本物の理解には到達できないこともあります。

  例えば“痛み”。
  “痛み”が何かは辞書を引けば意味は分かります。

  でも痛みにも色々あります。  
  擦り傷、切り傷、刺し傷、打ち身、頭痛、腹痛、歯痛・・・。
 
  どれも痛いことは共通しているけれど、その痛みの種類は全部違うし、何よりその感覚の違い
  は経験してみないと分かりません。

  心への痛みを考えた時も、その痛みを引き起こした原因は人それぞれ違います。

  自分が似たような痛みを経験していて、そこから相手の痛みの限りなく近いところまで「イメ    
  ージ」することはできても、その人自身が感じているその苦しみや辛さを100%理解すること   
  なんてやはりできないのだと思います。

  人の心や体験に向き合うということはそういうことなのだと思います。
  ましてや「自分が相手を助けてあげる」なんていうのは・・・。


  一方、読書(知識)が大事というのも事実です。
  自分に今起こっていることが何なのか、知らないが故に混乱を招いていることも多々あって、そ  
  こに「知識」の光が当たれば、冷静に自分を客観視できるようになるからです。
  自分を「I」と「ME」に分けて考えられるようになります。


  私はどちらもまだまだです

  だから読書もするし、街にも出かけます!

  あと、ネットで手っ取り早く情報を得ることも、いつも当たり前にやってることだなー。

  やはり、使い分けとバランスが大切なんですね。


               “ありがとうございます”
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