先日、約8か月ぶりにシュリンクの“佳代先生”との対面セッションのため、県外まで出向いてきました

スイス在住の先生と実際にお会いできる機会はそうそうないので、この日のセッションは私にとって、

とても貴重なものでした。

佳代先生が日本に帰国される前に、「対面セッションの日までに、当日用の資料をお送りします」と

メールを送ったところ、「せっかく久しぶりの対面セッション、資料は事前に送らないでください。

資料があるとどうしても『知的レベル』の話になってしまうので。」とのお返事をいただきました。

この佳代先生の言葉にはとても深い意味があったのだと、後で気づきました。

私はセッション当日、また日が明けた今日も、その深い意味を“感じられた“気がしています。


さて、実際のセッションがどうだったかというと・・・、

今まで8ヶ月間、電話でセッションを続け、メールでのやりとりもさせていただいていたにも関わらず、

実際に先生にお会いすると、私は緊張で少し固まってしまいました

佳代先生は私より小柄で、女性らしい風貌なのですが、その存在感は何とも言えないもの、

とても大きなオーラのようなものが滲み出ていて、こんな華奢な先生から、

どうしたらこのようにすごい雰囲気が出てくるんだろう・・・、と思わずにはいられません。

やはりそれは、豊富な心理的知識と分析経験を持ち、深層心理に精通していて、

目に見えない世界(無意識)にも通じている佳代先生ならではの“オーラ”なのだとつくづく感じました。

そんなわけで、「少し落ち着きましょうか」との先生の言葉のあと、椅子に腰かけてからの数分間

沈黙が続いたのですが、その静けさの中で序々に緊張がほぐれ、自然に私から話し始めていました。


佳代先生はよく、私とのセッション(分析)に関して「対決」とか「真剣勝負」いう言葉を使われます。

夢を扱う“夢分析”、いわゆる“精神分析”とは、「無意識」を扱うものですので、

語り合うことそのものの行為が、私と先生の無意識レベルまで含めたやりとりになってきます。

意識の何十倍もある無意識を扱うのですから、一方では危険も伴いますし、

まさに「真剣勝負」なわけです。

佳代先生が「分析家とクライアントの相性」を重要視することも納得できます。


その「対決」がどのような効果を生むと思いますか?

「語ること」→「気づく、知る(意識化)」→「無意識にも新たな刺激が加わる」→

「意識上(現実世界)に目に見える変化が出てくる」

とっても(あまりにも!)簡単に書いてしまうと、こういったサイクルが成り立ってくるわけです。

このサイクルを知ると、無意識を扱うことが無意味だとは、少なくとも私には言えません。

いいえ、それどころか「いかに重要か!」と思うわけです。


例えば、無意識の産物である“夢” 。

深層心理学的にいえば、夢を扱うことは「自分の無意識を知る」、一番てっとり早いツールです。

(「てっとり早い」と書きましたが、この表現は実は少し不適切です。
夢が語る内容そのものは、普通残念ながらそんなにてっとり早くは理解できません。
手段としては、一番取り扱いやすいという意味です。
他の手段としては「自由連想法」などがありますが、これは子供や一部の成人にもその危険性から
使用することは不可能です)

 「夢を記録する」「夢を思い出し、そのときの感情を味わう」

という行為そのものでも、無意識に既に何かしらの作用が働いているんですよ

ただ、作用の強弱については個人差があります。

中には(その時においては)全く作用しない人もいるでしょう。

それはその人自身の心の持ち方、物事の捉え方、無意識の状態など、

その人の持っている個性に関係してきます。


さて私はというと、先日のセッションで、自分の意識できる範囲でも大きな活力を得ました。

自分の奥底からみなぎるパワーが湧いてくるのが感じられました。

そして、佳代先生からいただいた言葉からも、新しい視点や自信をいただきました。

(これは電話セッションも含めて、いつものことなのですが

そして、意識上の世界でも、昨日の今日でもう変化が感じられました

佳代先生が『知的レベル』の話にならないよう、『感じること』をセッションで掴めるよう配慮して下さった

意味が、私にもよーく分かったのです。


そのへんのお話はまた明日・・・。


応援クリックです! いつもありがとうございます(^^)    ↓       
                                 ブログランキング・にほんブログ村へ