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もう10月・・・。
中秋の名月も過ぎてしまい、日に日に秋の深まりを感じます。

今年の夏休みも、なかなか「静かに腰を据えて」とはなりませんでした。
ずっと、この場で書きたいことは色々と頭に浮かびつつも、結局は手つかず状態。
でも、今はそれで良し、と思うことにしています。


純粋にしたいことと、やっておかなければいけないと思うこと。

どちらも捨てがたい、それは決して強制ではなく自分自身の気持ちで、その自覚があってもなお、簡単に折り合いがつくものではありませんが、揺れた時には、「葛藤保持力」(河合隼雄先生が表現された深い意味の言葉です)の一言が、いつの頃からでしょうか、自然に頭に浮かんでくるようになりました。

そうすると、少し気持ちにゆとりが生まれてきて、多少なりとも"揺れていること自体"を受け入れられるようになります。
(おかげで記事の更新はさらに遅れますが・・・)




そもそも人間は、その根本的な存在原理として「矛盾を抱えた葛藤する生きもの」なのです。
そのことを理解できれば、「葛藤保持力」を実践する上での支えとなります。

人が「有る」こと自体が、大きな矛盾を抱えていることについては、河合隼雄先生はじめ、このブログでよく取り上げる賢者たちも、みな同様に指摘している哲学的な命題です。


生きている限り決して逃れることのできない矛盾の意味について知ることが出来れば、それは、主観的な揺れを客観的に受け止める静かな力となり、沸き起こって来る情動を、無理に抑え込むのではなく、かといって無暗に振り回されるのでもなく、「そのまま」にしておける、というコントロールが(いくらかは)できるようになるのではないかと思います。

葛藤自体をすぐに、安易に、解消しようとせず、「そのまま」にして抱える。葛藤保持力。



 
人という存在がそもそも「矛盾」していることについては、「心の有り様」を熟慮することが不可欠となります。


意識というものがなければ実際上世界はない。

世界は心に意識され、反映され、
表わされてはじめて存在する。
意識は存在の一条件なのである。   『人格の発展』

パラドキシカルな性質は、全体性が一部は人間の意識から、一部は無意識からなっているという事実に照応している。
『心理学と錬金術』
                      【C・G・ユング】


明らかになることは、力の概念が二つの力のなかへ二重化されて、現実的になるということ、そしていかにしてそうなるかということである。
これら二つの力は、自分だけで存在するものとして、現に在る


悟性と物の内面という二つの極を結び合わせる媒介〔媒語〕は、力の展開された有であり、この有は、これから後は、悟性自身にとり消え去るものである。
だから、この有がつまり現象なのである。


一般者は、物の内面をなすものであり、その内面は、二つの力のたわむれが自己自身に帰る〔反照する〕ことである。  
                 『精神現象学』 【ヘーゲル】



世界は絶対矛盾的自己同一
として、自己自身を超えたものにおいて自己同一を有ち、我々は超越的一者に対することによって個物なるが故に、我々は個物的なれ ばなるほど、現実から現実へと動き行きながら、いつもこの現実の世界を超えて、反省的であり、思惟的であるのである。
                『絶対矛盾的自己同一』 【西田幾多郎】

                    


独坐大雄峯は根本的無分別の世界である。
絶対が相対にあるところがある。
が、無分別が分別になっただけではまだ十全でない。
ここに批判的なものがなくてはならぬ。
無分別と分別の世界の交加、相即ともいうべき、もう一つの働きが出なくては、
事の始末がつかぬ。
ここが丈すなわち打つ心であります。


(前略)
いわゆる阿轆轆地に転じなければならぬ。
そして一たび転ずれば必ず両頭に走るのです。   
転ずるというとき無分別が分別になる。
無分別が転ずれば両頭に走るようになるのだから、ここに是非善悪の世界が出て来る有無の世界が出て来る。
                『無心ということ』 
【鈴木大拙】

  
          
有名な哲学者、カントもこのように述べています。


私たちの認識がすべて経験をもってはじまるということについては、まったく疑いの余地はない。


私たちのうちに生じるいかなる認識も、時間的には経験に先立つものではなく、認識はすべて経験をもってはじまるのである。
しかし私たちの認識がすべて経験をもってはじまるにしても、だからといって、私たちの認識が必ずしもすべて経験から生じるのではない。

                               『純粋理性批判』 
 


夏目漱石も、(作品を読めば疑う余地はありませんが)「無意識」はもちろんのこと、「心の有り様」を知っていたことがよく分かります。


普通に私と称しているのは客観的に世の中に実在しているものではなくして、ただ意識の連続して行くものに便宜上私という名を与えたのであります。

(中略)すると煎じ詰めたところが私もなければ貴所方(あなたがた)もない。
あるものは、真にあるものは、ただ意識ばかりである。


通俗の考えを離れて物我の世界を見た所では、物が自分から独立して現存しているという事もいえず、自分が物を離れて生存しているという事も申されない。
換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。
(中略)だからただ明かに存在しているのは意識であります。
そうしてこの意識の連続を称して俗に命というのであります。

甲が去った後で、乙を意識するのであるから、乙を意識しているときは既に甲は意識しておらん訳です。
それにもかかわらず甲と乙とを区別する事が出来るならば、明瞭なる乙の意識の下には、比較的不明瞭かは知らぬが、やはり甲の意識が存在していると見做さなければなりません。

意識の分化と統一とはこの根本的傾向から自然と発展して参ります。
向後どこまで分化と統一が行われるか殆んど想像がつかない。
 

                     『文芸の哲学的基礎』

 
人間は、無意識から意識を区別することで、自他を含めた‟世界”を認知できるようになります。
意識が有るからこそ、無意識を知る〔反照する〕ことも可能となります。
 
そして、この「心の有り様」が矛盾(二律背反)なのです。


意識は自己自身に対している。

それは、区別されていないものを区別することである。
言いかえれば、自己意識である。
私は私を私自身から区別する。
そして、そうしながら、区別されたものが区別されていないということが、そのまま私に対している
〔無媒介に私にとってある〕。

一つの自己意識がもう一つの自己意識に対しているのである。
こうして初めて、自己意識は事実上存在していることになる。


自己意識に対しては別の自己意識が在る。
つまり自己意識は自分の外に出てきているのである。


二つの自己意識の関係は、生と死を賭ける戦いによって、自分自身と互いとの真を確かめるというふうに規定されている。                 

               『精神現象学』 【ヘーゲル】
 


表現するものが表現せられるものであるということが知るということであり、自覚においては、知るものと知られるものとが一であるのである。
何処までも自己の中に自己否定を含み、自己否定を媒介として働くものというのは、自己自身を対象かすることによって働くものでなければならない。

表現するものが表現せられるものであり、自己表現的に働く、即ち知って働くものが、真に自己自身の中に無限の否定を含み、自ら動くもの、自ら働くものということができる。     『デカルト哲学について』


精神は実在の統一作用であるが、統一の裏面には必ず矛盾衝突を伴う。
                        『善の研究』
              
          【西田幾多郎】



カウンセリングにあくまでも二律背反ということがよく入ってくるということは、私は、人間というものがこういうものだから致し方ないと思っています。

人間性のなかに必ずこういう二律背反的なダイナミズムがある。
           
           『カウンセリングの実際問題』 【河合隼雄】 


「心の有り様」を考えれば、まさにそこに向き合うカウンセリングについても、一筋縄ではいかないことは「致し方ない」のだと納得できます。




日常の様々な場面で大小の葛藤が生じるのは人の世の常だと思いますが、その葛藤を"とりあえず"ですぐに解消しようとするのではなく、「保持する意味」については、今回は下記の引用に留めることにして、次の記事で改めて触れていきたいと思います。



悩みや問題があるのが問題なのではなくて、問題があるのにちゃんと悩んだり迷ったりしないことが問題なんです。

迷いを持ちこたえる力は大事です
                     
『こころの子育て』 【河合隼雄】 


個性化プロセスによって私が意味するのは(中略)、二つの基本的な心的事実の間の葛藤から生まれてくる、発展の過程、ないしは経過である。
                        【C・G・ユング】
 
                                              

衝突矛盾のある処に精神あり、精神のある処には矛盾衝突がある。

実在の統一作用なる我々の精神が自分を意識するのは、その統一が活動し居る時ではなく、この衝突の際においてである。

分裂や反省の背後には更に深遠なる統一の可能性を含んでいる。


我々は小なる自己を以て自己となす時には苦痛多く、自己が大きくなり客観的自然と一致するに従って幸福となるのである。

                   『善の研究』【西田幾多郎】




【参考文献】
アンソニー ストー 『エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学 [単行本]』 創元社(1997-02)
C・G・ユング 『心理学と錬金術 (2) [単行本]』 人文書院(1976-10-01)
G.W.F.ヘーゲル 『 精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200)) [新書]』 平凡社(1997-06)
西田幾多郎 『絶対矛盾的自己同一 [Kindle版] 』(2012-10-01)
鈴木大拙 『無心ということ (角川ソフィア文庫) [文庫] 』  角川学芸出版(2007-09-22)
竹内 昭 『哲学案内 [単行本] 』 梓出版社(2004-04)   
夏目漱石 『漱石文芸論集 (岩波文庫) [文庫]』 岩波書店 (1986-05-16)
西田幾多郎 『デカルト哲学について [Kindle版]』(2012-10-03)
西田幾多郎 『善の研究 (岩波文庫) [文庫]』 岩波書店(1979-10)
河合隼雄 『カウンセリングの実際問題 [単行本]』 誠信書房(1970-08-10)
河合隼雄 『Q&Aこころの子育て―誕生から思春期までの48章 (朝日文庫) [文庫]』 朝日新聞社
 (2001-09)