昨年最後に鑑賞した映画 『インターステラー』

過去に『ダークナイト』や『インセプション』といった作品を、世に送り出しているノーラン監督の最新作ですから、観に行かないわけにはいきません。
そして当日。
3時間近い長い上映時間が終わり、映画館を後にする興奮冷めやらぬ私にとって、『インターステラー』はノーラン作品のトップに輝く映画となっていました。


そしてその日の夜、書斎兼仕事場にしている部屋で平積みにされている未読本の中から、一冊の本を引っ張り出してきました。


アインシュタイン『相対性理論』 2012年11月 (100分 de 名著) [ムック]


アインシュタインの相対性理論。
この言葉自体はあまりにも有名ですし、私も過去に読んだアインシュタインの伝記(といっても児童向けの漫画。でも今考えるとこれがなかなか重厚な内容でしたが。)で何となくは触れたことがありました。
でももちろん、「結局は時間と空間のこと?」ぐらいの上澄みだけの理解(?)で、ただアインシュタインがおこなったとされる「思考実験(頭の中の空想で実験した)」というエピソードだけは強く印象に残っていました。

Eテレの『100分de名著 アインシュタイン 相対性理論』を観たときも、その理論は相当難解で、複雑な数式などを理解していなければ全貌を把握し切れるものではないことを改めて感じつつ、でも放送内容自体は一般向けに噛み砕いて解説されていたので、それにより少し"知った"ことで逆に頭に?マークがついた点も含めて非常に興味が湧きました。

そこで、少しでももっと理解を深めたいと上記のテキストを購入したのですが、結局その時は他に読んでいた本に時間を取られ、一度パラパラッとめくられた後はそのまま、「平積みグループ」に埋もれたままになっていたのです。



さて、私がどうして、『インターステラー』を観た日を境に、埋もれていたその本に手を伸ばしたか、同映画を既にご観になった方はお分かりだと思います。

上記『相対性理論』の中に書かれていた内容、世界は、『インターステラー』でまさに映像化されていました(もちろん映画には"まだ"ファンタジーとしての要素も含まれていますが)。
動画で得たそのリアルなイメージに、改めてきちんと手に取った本(理論)の内容が相乗効果となり、まさに未知の世界が自分の中に広がってくるようで、「スゴイなー」とワクワクが止まらなくなりました。

ノーラン監督は映画製作にあたり「科学的正確さを目指し」、「実際の可能性を検証したい」とし、理論物理学者のキップ・ソーン氏の協力を受け、ストーリーには「実際の科学がとても深く盛り込まれ」ているとのこと。
(映画『インターステラー』 オフィシャルサイト スペシャル映像 より)

自身の頭で「相対性理論」に少しでも触れてみると、確かに映画のあの世界観は、決して荒唐無稽なものではないことが腑に落ちるのではないかと思います。


 時間と空間は縮む。
 「時間」は絶対ではない。
 動いているものの時間は遅れる。
 「空間」も絶対ではない。
 重力による時間の遅れ。

これらは全て、相対性理論が示していることです。


 相対性理論の描き出す世界は、(略)日常生活の世界とは大きく異なり奇妙な世界です。
 しかし、この奇妙な世界が、実は私たちの住むこの世界の真実なのです。      
                                               【佐藤勝彦】
                                             
私たちが地球上で送っている日常、普段の"常識"で「当然」と思っている世界が、実は「絶対」ではないのだということが、物理学(科学)の世界ではすでに"常識"となっていたんですね。


一般相対性理論に示された、時空の曲がりと物質のエネルギーの関係を示す「アインシュタイン方程式」を解いていくと、ある場合には時間が「ループ」になっている答えが存在するのです。

未来へどんどん進んでいくと、いつの間にか過去につながり、さらに進むと現在に再び戻るという、ループ状の時間の流れが出現することが理論上はあるのです。

物理学者はこの世界は物理法則という論理だった法則によって動いているのだという信念を持っていますが、物理法則の中でも特に時間や空間の物理学である相対性理論が不条理なことが起こることを許してしまっているのです。                      
                                               【佐藤勝彦】




ここでユングが、ノーベル物理学賞を受賞したスイスの物理学者(ヴォルフガング・エルンスト・パウリ)との共著、『自然現象と心の構造』の中で「空間と時間」について記した内容を次に挙げます。

人間が元来持っている世界観では、未開人に見られるように、空間と時間は非常に不安定な存在である。それらは、主として測定の導入のお蔭で、精神発達の過程においてのみ、「固定」観念になったにすぎない。

それら自身においては、空間と時間は、無から成立している。それらは、意識的精神の分別の活動から生まれて実体化した概念であり、運動する物体の行動を記述するのに不可欠な座標をなしている。

もし空間と時間が運動する物体の単なる見かけ上の属性にすぎず、観察者の知的な欲求によって造られたものであるなら、心的条件によってそれらが相対化されることは、もはや驚くべきことではなく、可能性の範囲にもたらされることになる。

この可能性は、心が外的な物体とではなく、自己自身を観察するときに現われる。

                                               【C・G・ユング】


アインシュタインの相対性理論でも、時間や空間の認識を、光の速度を絶対的なものとして捉え、その動きやスピードと矛盾がでないよう再構築していくのが基本ですが、たとえば動いている人と動いていない人の時間と空間の関係を考えたとき、「自分を基準に相手の速度を見るという『相対的な捉え方』をすれば、矛盾点」がなくなるのです。

「止まっている人から見ると、動いているものの長さは縮んで見える」
「空間(長さ)は、ものの動きや時間と同様に、唯一絶対のものではなく、相対的に捉えるべきもので、誰からも同じに見える唯一の尺度というものは存在しない」    

いかに、外的な事象を認知する上において、各々が置かれている条件(心的条件)が大きく関わっているか、心理学とは対極を為すともいえる物理学によって、ある意味認められているのだと私は思いました。

   
空間と時間は影響しあっているとはいうものの、これも「時間の遅れ」や「長さの縮み」と同様で、普段の私たちの生活の中ではその影響を感じることはありません。
(略)差は、あまりに小さすぎるために、普段は気づくことがないというわけです。
                                               【佐藤勝彦】    
私たちは「気づいていない」だけなんだと・・・。



西田幾多郎がその点について、簡潔にダイレクトに次のように言っています。

我々に最も直接である原始的事実は意識現象であって、物体現象ではない。
我々の身体もやはり自己の意識現象の一部にすぎない。

我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、その実はただ一種あるのみである。
即ち意識現象あるのみである。
物体現象というのはその中で各人に共通で不変的関係を有する者(ユングの説に通じます)を抽象したのにすぎない。

我々の世界は意識現象の事実より組み立てられてある。
種々の哲学も科学も皆この事実の説明にすぎない。

深く共感します。


今日はこのへんで。
『インターステラー』にも絡んでもう少し思ったことがあるのですが、それは近いうちに次の記事として必ず書いてみたいと思っています。


○●○●○●○●○

今日取り上げたEテレの「100分de名著」の新春SP、「100分de日本人論」がとても面白かったので、ちょっとご紹介です。
論者の一人である人類学者の中沢新一さんが「今日の話ずーっと(語り合っているのは)一貫してるんだけど、"無意識"なんですよ」と番組内でおっしゃられたように、まさに「無意識」について様々な角度から考えることができます。
このブログで前回取り上げた鈴木大拙の『日本的霊性』、そして河合隼雄先生の『中空構造 日本の深層』が、まさに名著として取り上げられています!

1/25に再放送があるようなので、まだ観られていない方で、「無意識」に興味のある方は是非。



もちろん『インターステラー』もおススメします。
あれは大画面で観るべきです!



【参考文献】
佐藤勝彦 『アインシュタイン『相対性理論』 2012年11月 (100分 de 名著) [ムック]』 
 NHK出版  (2012/10/25)
C・G・ユング W・パウリ 『 自然現象と心の構造―非因果的連関の原理 [単行本]
 海鳴社 (1976-01)
西田幾多郎 『善の研究 (岩波文庫) [文庫]』 岩波書店 (1979-10)