noah












鑑賞からあっという間に1か月ほどが経ち、記憶はかなり曖昧になってしまいましたが、前回からの続きです・・・。

映画の題材である『旧約聖書』の〔創世記〕に記されている「ノアの洪水物語」でノアは、
「正義の人と神に認められて」います。
そのノアは、「地上に人の悪がはびこっているのを見た神」から、『わたしは彼らを地もろとも破滅させ
る。しかし、あなたは家族と共に箱舟に入るがよい』と、箱舟の制作を命じられました。
ノアは “神に選ばれ、その命令に従った” のです。




聖書で、神に正義の人と認められているノア。
映画でも、冒頭からノアは「正義の人」として登場します。
観ている側は、善人であるノアだからこそ神に選ばれたのだと、ストーリーの流れを自然に受け入れられます。
箱舟が完成し、ノアたち家族とつがいの動物たち(だけ)が乗り込むことにも、それ自体が「神の命令」であり、何より聖書にそう記述されているのですから、そもそも疑問を抱くことではありません。

「旧約聖書」は「掟」である

きわめて重要なことを指摘しておきます。
(略)
(「旧約聖書」は)「法律」「掟」のように権威あるものとして存在しているので、無視したり否定したりすることはできません。とするならば、
物語が「法律」「掟」とされていることの意味を考えて対処する、ということになります。
                                                                                                  【加藤 隆】         


アロノフスキー監督は、聖書の「掟」を守りつつ、その意味を考えられたのでしょう。
そして、現代のスクリーンでは、その掟には記されていないノアの葛藤の物語が展開し始めます。


次男ハムの恋人をはじめ、洪水に飲み込まれ叫び声をあげている大勢の人たちにも背を向け、誰ひとり助けようとはしないノア。
「地上にはびこった人の悪」を破滅させるのが神の御業なのですから、その命に従うと決めたノアは逆らうわけにはいかないのです。
その行為が、としての自分の思いと相反するものであっても、ノアは頑なに、ただただ神の宣告に従おうとします。
そしてついに、強いきずなで結ばれていた家族をも敵にまわし、生まれ出ようとしている、血を分けた自身の孫にさえ刃を向けようとします。

箱舟に乗りこみ、洪水の中を漂っている40日間のノアの行動は、人の側から見ると、善どころか悪です。
ノアは、自分の家族以外の人間を見殺しにし、いずれ、残ったその血さえも絶やそうとするのですから。

イラ(エマ・ワトソン)を助けた時のような、温かくて優しかった「正義の人」とはまるで別人のような、徹底した非情さを、そこでノアは露わにします。


しかしノアは、決して何も感じていないわけではありませんでした。
神の命令だからと全てを割り切れていたのではなく、自分の取っている行動に葛藤や疑念を抱え、苦しんでいたのです。
夫の人柄を誰よりも知っている妻のナーマが、ノアに静かに語り掛けるシーンがきちんとそれを物語っていました。


絶対的存在の神からの使命と自身の人間的感情との、まさに両極の狭間で、舟に乗っている40日の間、ノアはひとりで苦しみぬいていたはずです。
終盤のクライマックスを除いて、ノアの苦悩の場面が劇的に描かれることはありませんでしたが、神の命に淡々と従おうとするそのノアの姿が逆に、家族とすら分かち合えない孤独な苦しみを、巧みに表現しているように感じました。

他の人を見殺しにしても何も感じない、愛しい家族を苦しめても罪悪感を持たない生粋の悪人(なんてそもそもいないはずですが)ではなく、ノアは元来「正義の人」なのですから、その葛藤の大きさはそのまま苦の大きさと比例していたはずです。


しかしノアは、その苦難の40日間を耐え抜き、最後には「自分を見失わなかった」からこそ、家族と共に"新世界”に一歩を踏み出し、芽生えた自分の血を継ぐ新しい命を絶やすことなく腕に抱くことができました。



ここで、ユングが自身の著書『転移の心理学』で引用している、イギリスの神学者で錬金術師であるポーディジが錬金術の《作業(オプス)》との関連で残している記述を取り上げます。

ここで術師は、彼の仕事がすべて水泡に帰したのではないかと思う。

誘惑の40日が過ぎ去るまで、あなたの忍耐の日々が終わるまで、忍耐と我慢と沈黙のうちに内部に留めておかなければならない。

し かしこの作業は、人間の意志がそうした態度(人間の意志が委ねられあるいは放棄されて)を取れるようになるまでは、すなわちその眼前に火という火が放たれ あらゆる誘惑が襲いかかってくるときも泰然として冷静でいられるようになるまでは、人間の意志にとってなんと難しく、苦しく、辛いことであろうか。

つ まりそれは大勢の悪魔や誘惑しようとする多数の元素にぐるりと取り囲まれ攻めたてられるからである。しかしチンキがこの火=試練と強い誘惑に耐えて持ちこたえることができるなら、そして勝利を収めるなら、そのときあなたは地獄、罪、死と死すべき者の墓場からそれが復活し始めるのを(略)見るであろう。

いまや石は形を与えられ、生の秘薬が準備され、愛らしい子供あるいは愛の結晶が生まれる。

こうして新たな誕生が実現され、作業はすべて申し分なく成就される。

転移の心理学
C.G. ユング
みすず書房
2000-10




また、錬金術の書である『哲学者の薔薇園』には、このような記述があります。

数知れぬ苦しみと大いなる殉難を経しのち
われは蘇りたり、聖化され、あらゆる汚れを洗い浄められ。
  
心理学と錬金術 (2)
C・G・ユング
人文書院
1976-10-01

                               


ノアの存在する世界は、大洪水ののち「汚れを洗い浄められ」蘇りました。
ノアが(新しい)大地に再び立つことができたのは、彼が「数知れぬ苦しみと大いなる艱難を経しのち」でした。

ノアは、全ての陸地が沈んでしまうほどの洪水に飲み込まれた40日間の、艱難辛苦の道を渡りきる強靭さを持っていたからこそ、神に選ばれたのではないでしょうか。
そして、最後の決断の時に人としての自分を見失わなかったからこそ・・・。


今日は、ユングの聖書に関する次の文章で終わりたいと思います。
好意的な読者へ(という前置きがあります)

「物理的に」ということは真理の唯一の基準ではない。というのも心的な真理というものもあるからであって、これについては物理的には説明も証明も反論もできないのである。
私は(略)、心理主義の嫌疑をかけられる危険を顧みず、聖書の記述をもこころの発言とみなす


ヨブへの答え
C.G. ユング
みすず書房
1988-03

(※、ユングは、「無意識と意識のドラマ」という心理学的な解釈によって、この著書を書き上げました)



私も"自分なり"に、そのような視点で映画を鑑賞し、感想を書きました。
「好意的な読者」の方々には、ご理解いただけるのではないかと思っております。


※映画では、「人はみな自分の中に悪を持っている」「(人殺しという悪を働いた次男セムに対して)これでお前も人になったな」というような、意味深いセリフもありました。
ぜひまた、続きを書きたいなと思っています。
(ただし我が家の、”熱い”40日の夏休みが終わった後になるかもしれません・・・)