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先日、公開中の映画『ノア 約束の舟』を鑑賞してきました。
旧約聖書の「ノアの箱舟」の物語が映画として公開されると知ったとき、それだけでも内心ざわめき立ったのですが、それが、ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞に輝いた、あの『ブラック・スワン』のアロノフスキー監督がメガホンを取った作品だと分かって、私の「絶対に観る映画リスト」に即追加されました。

『ブラック・スワン』は、レビューなどで一部の人が指摘しているように、私も、ユング心理学の「影の統合」の問題に関連が深い作品だという感想を持っていました。
ですので、そのアロノフスキー監督が、『旧約聖書 創世記』のノアの物語をどのように描くのか、とても興味が湧いたのです。

そして観終わった感想は、「やっぱり」。
全くの個人的憶測ですが、私が気づいた部分だけでも(でもかなり細部にわたって)深意が含まれていました(と、私には感じられました)し、入念に練り上げて作られた作品だという印象でした。

『ブラック・スワン』のみならず『ノア』でも、どうにもユング心理学がチラついて、「深意」を漏らすまいと、集中して見入ってしまいました。


たとえば、作られた箱舟にまず最初に乗り込むのは「鳥たち」。
そして次にあらわれた大群は「蛇」でした。
まさに、天の象徴と地の象徴の両者(対立物)が、まず助けられるべき存在として、舟に乗り込んだわけです。

映画には登場しませんが、東西に古くから伝わる想像上の生き物である龍(Dragon)は、鳥と蛇の両方を兼ね備える対立物合一の象徴です。

龍はそれ自体としては一箇の怪物である。つまり蛇の地の原理と鳥の気の原理とが合体した一箇の象徴である。龍はしかし、(略)メルクリウス(対立物合一)の一変形である。
メルクリウスは原初の具有存在ヘルマプロディトスであり、一旦は二つに分れて(略)対の形を取るが、最後に「結合」において再び一つに結びつき、「新しい光 lumen novum」すなわち「賢者の石」という形態をとって光り輝く。
                                        (ユング)

堕落した人間を滅ぼし、新たな世界を創造するという神の意志に従うことを決めた、ノアが造った箱舟に、最初に乗り込む鳥。そして続く蛇。

ノア自身の結合、「新しい光」が輝くためには、当然の成り行きだったのかもしれません。


また、ノアの箱舟造りを手助けし、"神の裁き"が始まった混乱時に、ノアたち家族を守る役目を果たす者として岩の巨人「ウォッチャー(番人)」が登場しますが、彼らはもともと「光」だったものが、物質としての石に閉じ込められており、最期(物質としての石が崩壊した時)には「光」として天に帰っていきます。

ユングが、心的内容と深い関連があるとして研究した錬金術では、「石(ラピス)」が象徴的に重要な意味を含んでいます。

石(ラピス)には発端というものはなく、永遠そのものの内から出てきたところの「根源的本質」を持ち、それゆえまた決して終りを知らず、永遠に存在しつづけるということである。

この光は神がその太初において自然とわれわれの心とに点し給うたものなのだ。
                                          『賢者の水族館』

映画で岩の巨人の中に閉じ込められていた光。
実は「われわれ人間の中にも秘められている」ことを神話は密かに語り、(一部の)哲学者や錬金術師、そしてユングも、そのことに気づいていました。

哲学者たちの著作を研究することによって人間は秀れた術を身につけこの「賢者の石」を手に入れることができる。が、この「賢者の石」とはまたしても人間なのである。それゆえドルネウスは「汝らは死せる石から賢者の石に変身せよ」と叫び、この言葉によって、人間の内にひそむものと物質のうちにひそむものとの同一性を極めて明瞭に表現しているのである。 
                                                (ユング)
「(前略)これらの石こそ魂の真の火であり、賢者の光に他ならない。」
                        (ベルアルド・ドゥ・ヴェルヴィル 『暗号書写法選』)


「鳥と蛇」と同様、ノアが新しい世界にたどり着くためには、「ウォッチャー(番人)」との信頼関係と助けが必要でした。
巨人との関係が成り立っていなければ、箱舟を造ることも、箱舟を乗っ取ろうと襲ってくる暴徒たちを食い止めることもできなかったのですから・・・。
ノアの仕事は、(心理学的には)錬金術でいうところの「業(オプス)」であり、とてもひとりでやり遂げられるようなものではありません。

彼らの術は聖なるものにして神的なるものであるという点、そして彼らの作業(オプス)は神の助力によってのみ成就されるという点がそれである。
                                              (ユング)

そして、その後のノアの大業の結末を暗示するかのように、ノアを助けた岩の巨人たちは、自らも救済されて天に昇っていきます。
(グノーシス神話では、グノーシス(自己認識)に応えられた「光の粒子」「本来的自己」が、プレーローマ(上位世界)に帰還します。過去記事

人間は救済されるべき者であるとともに、また救済する者でもあるということを教えている。
                                              (ユング)

ノア(自我)と巨人との関係が同一だと仮定すると、発想がどんどん広がりました。


(引用はすべてこちらから)


とにかく随所に、寓意を感じる場面が散りばめられていて(そもそも聖書が題材なのですから当然とも言えますが)、長い上映時間があっという間に終わってしまいました。
この映画については、色々と書きたいことはまだあるのですが、自分でもイメージの収拾がつかなくなってきそうなので、今日はいったんここまで。
ノアのみならず次男ハムの存在など、ほかにも気になる点があったので、できれば後日続きを書きたいのですが・・・。


頭を一度リセットして、キャストについても少し。
ノアを「ラッセル・クロウ」が、その妻を「ジェニファー・コネリー」が演じています。
この配役を事前に知った時も、ちょっとした感慨でした。

二人は以前にも夫婦役を演じていますが、その作品は、私にとって忘れられない映画、『ビューティフル・マインド』です。
この映画を通して、初めて大事なことに気づきました・・・。

主人公は実在の天才数学者で、統合失調症を発症します。
本人にしかわからない幻覚や幻聴がどのようなものなのか、この映画を通して少なからず想像できますし、「無意識」についても、興味のある方は考えさせられることがあろうかと思います。

再び夫婦役を演じた、『ノア』の画面に映る二人の顔つきから感じられる年月と自分のそれが重なり、さらに二つの映画の内容も重なり、余計にしんみりとしてしまいました。


最後に。
アロノフスキー監督、シンクロニシティ?を体験されたみたいです。
「NOAH」についての"偶然"。しかも日本に関連しています。
ご自身も興味深く感じられたようで、わざわざtwitterでも紹介しておられますよ。
監督、やっぱりユング心理学に・・・・・?


※今日の記事は、映画『ノア 約束の舟』についての個人的感想です。