(※ロジャーズ一番の代表作とのこと。未読だったので、今日をきっかけに読み始めたいと思っています。ちなみに今日の記事の講師の先生が翻訳されています。)


新年が明けて早一ヶ月。
昨年は結局、たった4度しか記事を書けません(書きません)でしたが、今年はもう少し、しっかりと整理していきたいと思っています。(あくまでも抱負です・・・)

さて、前回書いた老子や夏目漱石、無為、個性化については、まだまだ整理したいことがあるのですが、今日は全く違う内容にします。


昨年、ロジャーズ派の(某大学教授の)先生の講義を受ける機会がありました。

カール・ロジャーズ(Carl R.Rogers)といえば、今日のカウンセリングの3つの主要理論、精神分析療法(精神分析理論)、行動療法(学習理論)と並ぶ、「来談者中心理論(client-centered therapy)」の創始者として有名ですが、1940年当時のアメリカで、それまで主流であった指示的アプローチを批判し、非指示的方法を提唱したその背景には、「人は自分自身を発展・成長させる力を内在している」といった、技法よりも“人間中心”の人間観があり、また、カウンセラーとクライエントという2人の人の“心理的接触が人格変化の生起に必要な条件”とされている点、「潜在的な自己(potential self)を体験する」などの自己理論における体験を重視したその概念は、ユングの考え方に(かなり!と私は思います)通ずる点も感じられ、改めて、その共感できる興味深い理論に、受講中ワクワクしながら耳を傾け、ペンを走らせていました。

ロジャーズによる自己概念と生命体的体験の一致・不一致による人格の適応理論
「心理的適応とは、自己概念が、ある水準以上の象徴化において、生命体の知覚的・直感的な体験(sensory and visceral experience)の全体を自己概念と一致した関係の中に取り入れているか、あるいは取り入れることができるときに存在する。」(Rogers,1951)

やはり私たちの心の安定には、「適切な意識化」、「無意識と意識の適切な関係」が重要なのだと、つくづく考えさせられました。



たった1日の講義ではありましたが、ご存命のロジャーズの直弟子の談話についてなど、紙面ではなかなか伝わってこない、講義ならではの貴重な情報も得られて、もう、あれもこれもとこの場で取り上げたいことは沢山あるのですが、その中でもあえて今日は、カウンセリングに関するあるデータに的を絞って書いていきたいと思います。

下記は、そのデータです。

・カウンセリングに申し込んだだけで、セッションを一度も受けずに症状が消える人・・・14%
・セッションを2回目まで受ける人・・・3割超え
・ドロップアウト(カウンセリング中断)・・・46%(それ以外は長期継続となる傾向)
・一応の問題解決が出来たとクライエント本人が感じる・・・セッション60回前後(個人差あり)
                                  

上記データ分析が具体的にどのような統計を基にしているのかは、「ロジャーズ派のみならず、他のセラピー法でも大体共通しているデータ」としか聞かなかったので、私も詳細については分かりません。
しかし、流派を超えた“カウンセリング”におけるデータとして、このような数字が出ているのだということには、強い関心を持ちました。

まず、「申し込んだだけで」症状が消える人が1割もいることに、色々と考えさせられるところがありますし(本人がそう思っただけなのか、本当に問題症状が無くなったのか、その辺も詳しくは分かりませんし)、次のステップの2回目を受ける人が3割ほどというのも、ある意味、「なるほどな」と思いました。
(一度は受けたけれどそれっきり、の方のほうが多いという事ですね)

そして、数回受けたけれどドロップアウトする人は約半数。
このドロップアウトには、その後、またカウンセリングを再開する人は含まれていないのか、などについては不明ですし、厳密なことは確言できませんが、でも多分この半数とは上記の「3割」に係るものだと考えられるので、こうしてみると、「カウンセリングを続ける」ということだけでも、なかなか高いハードルなのだと、このデータは物語っているような気がしました。

なおかつ、「一応の問題解決が得られた」とクライエントさんご本人が感じるのは、「“セッションを60回前後”続けた時点において最も多い」というのですから、「カウンセリング」というものがいかに“お手軽”ではないか。
その事実だけは“分かりやすく”、数字が説明してくれているなと思いました。


多くの場合、「カウンセリングを受けよう」と実際にカウンセラーのところへ来られる方は、かなり切羽詰まった問題や辛い思いなどの早急な改善を求めておられると思います。

「今すぐに解決したい」
そう強く望まれているからこそ、手間やお金を使ってまでカウンセリングを受けてみようと思われるわけで、日常の中で多少感じているような問題であれば、あえて“そんなこと”をしなくても、何とかやり過ごしていけるはずですし、実際大抵みなさんそうしておられるのではないでしょうか。

「カウンセリングに行けばどうにかなるかもしれない」
そんな気持ちを抱えて相談に来られる方が多いにもかかわらず、でも残念ながら、“実際”はそう簡単ではないことを、先の「カウンセリングに関する統計データ」は明らかに示しています。
セッション60回となるとかなりの長期戦ですが、その時点においてやっと、「問題解決」に至ったと感じる方が一番多いわけですから、多くの方がカウンセリングに求めている(であろう)“早期解決”とのギャップは著しいものがあります。
これでは、「なんだ、こんなものなのか」と、多くの方が継続しなくなるのはある意味当然だとも思えますし、「カウンセリングなんてやっても意味ないよ」という意見が出てしまうのも致し方ないのでしょう。
でも私には、それはカウンセリングというものの「本当のスタート地点」にすら立ったことのない人の感想であるような気がするのです。
(ちなみに私が分析を受けている佳代先生に、「本当のスタートは(セッション)20回目ぐらいから」と、教えていただいたことがあります。)


河合隼雄先生も、「カウンセリングに対する批判」として、この「時間がかかりすぎる」点について解説されています。

カウンセリングに対する批判として、まず言われることは、「時間がかかりすぎる」ということです。
そんなのんきなことをしてはいられない。(略)すぐによくしたいのだ。
それに一週間に一時間会って・・・などとゆっくりしたことはしておられない。
(略)待ちきれない。もっと早く解決する方法はないかという批判です。

時間がかかりすぎるという批判に対して、もし正面から答えるとするならば、「よいことをするには時間がかかります」と言わねばなりません。よいことをするのに時間がかかったり、お金がかかったりするのは当たり前のことなのです。

われわれの第一のねらいとしている、クライエントの可能性に注目してゆこうとする仕事は、どうしても時間を必要とするのです。たしかに、時間がかかることは残念ですけれど、これはまったく仕方のないことなのです。
カウンセリングの実際問題
 
河合 隼雄
誠信書房
1970-08-10





なぜ、カウンセリングとは時間がかかるものなのか、「これはまったく仕方のないこと」なのか。
その点については、“こころ”についての深い意味合いが絡んでいますので、今日はとてもそこまでは触れられませんが、抱えている問題に取り組む際、“根っこからのホンモノ”の解決に至るためには、時間がかかるのはやはり「仕方がない」のです。

もちろん、「取りあえずの解決」という道もありますが、それでは、またいつか同じような問題に悩まされることになるとも限りません。

そのときは一見成功したように見えても、結局は発展させるべき可能性に目をつむることによって得た一時の安定にすぎないときもあるわけです。                    (河合隼雄)

“一時の安定”という早急な解決は往々にして、根本的には何も変わっていない、また同じような問題をくり返すことにもなりかねないのです。


「よいことをするには時間がかかる」カウンセリング。
進むスピードも様々ですし、時には休憩もOKなのだと、私は思います。
ゆっくりでも休みつつでも良い。
一度ドロップアウトして、環境や体調を整えて、また始めるのでも良い。
(カウンセリングを始めることによって、“状態が悪くなる”場合も十分あり得ます。しかしそれは、乗り越えなければならない道であることが多いのです。その点についても、またいつかこの場で書いてみたいと思っています。)
歩みを止めない限り、自らの秘められた可能性への扉は、ずっと開かれているはずです。

そしてゴールは、60回というデータが示すような、遠いものかもしれません。
でも、フィニッシュテープを切った者にしか分からないカウンセリングの醍醐味。
味わって後悔することはないと、個人的には強く、そう感じています。
そしてその味わいは、確実に新しい私の血肉となるものです。


※今日ご紹介したデータについては、根拠の出典はなにも明示できません。
あくまでも、私が講義のなかで聞いて書きとめたものを取り上げただけなので、その旨ご了解いただいて参考にしてくださればと思います。
(と言いつつ、個人的体験としては、私は“納得”しています)