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寒中お見舞い申し上げます。
今年は、クライエントさんへの年賀状・年賀メールが出せませんでしたので、
この場で、年始のご挨拶に代えさせていただきます。
今年もよろしくお願いします。

さて、年初めの記事。
当初は、前回記事の続きで、「ムスビの御神像」について取り上げようかと思っていたのですが、
変更して、ゆるりと映画の話題など。

それにしても、いつも、後から後から書きたい話題が出てきて、アウトプットが全然追いついていない。
バランスを取る難しさを今年も抱えながら、多分、このブログも相変わらずのスローペースで続けていくことになりそうです・・・。


戯言はいいとして、
昨年暮れの休日、主人に子守を任せて、ひとりである映画を鑑賞に行きました。

『危険なメソッド』

    

キーワードは「ユング」と「ヴィゴ」。
個人的には、はずせないこの2人が絡んでいる映画がつくられていると知った時から、
日本での公開を待ちに待っていたのです。

当時つぶやいたTwitter記事を探してみると、この映画の存在を初めて知ったのは、
もう2年も前のことでした。
    ↓



『危険なメソッド』については、鑑賞された方には言わずもがな。
観ていない方も、関連サイトを見ていただければ分かるとおり、「ユング」が主人公の映画です。

複数のサイトで、レビューも色々と書かれていますので、ご興味のある方はそれらを読めば参考になると思います。

私の個人的感想としては、意外にも!?、過剰な脚色もなく真面目に作られていたという印象を受けました。

『危険なメソッド』の前に観ていた、(監督の)クローネンバーグの作品、『イースタン・プロミス』が
なかなか強烈だっただけに、重度の神経症を患っていたザビーナや、そのザビーナとユングの恋愛、
ユングとフロイトの関係など、曰く付きな内容がどのように描かれているのか、実際に観るまで少し気がかりではありました。

でも、史実とそれほどかけ離れた作られ方はしていなかったように感じましたし(もちろん私の浅い知識による評価ですが)、「フロイトの書棚事件」と呼ばれる、一歩間違えれば、“ただの怪しいオカルト”になってしまいかねないような場面も、悪意なく自然に描かれているように感じました。

ユングがフロイトの家を訪れ会話をしていた際、オカルト現象を批判したフロイトに対して苛立ちを覚え、横隔膜が熱くなってきたかと思うと、突然書棚から激しい音が鳴り響いた。この現象は自分のこころのエネルギーが引き起こしたと確信したユングは、そのことを信じようとしないフロイトに向かって、「同じことがもう一度起るでしょう」と言ったところ、本当に同じ現象が再度起ったという出来事。このときばかりは、さしものフロイトも返す言葉がなく、唖然とするしかなかったと伝えられている。)

あえて挙げるとすれば、ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)の狂気ぶりには、「実際のところはどうだったのだろう」と、疑問符が頭に浮かんできましたが、他の場面について不信感をさほど感じなかっただけに、ザビーナの病状についても、事実をきちんと調べた上での演出だったのかも知れません。


映画を観たことによる収穫は、まず、ユングの生きた時代背景を動画によるリアルさで擬似体験できたこと。付随してさらに膨らむイメージ。

そして何より心に残ったのは、私が知らなかった、ユングが日常のなかで体験したシンクロニシティの場面が、いくつか描かれていた点でした。

それは、映画には描かれていない、記録にすら残っていないシンクロニシティを、他にももっとユングは体験していたかもしれない、いや間違いなくあったであろうと、私に強く思わせる発見でした。

どちらにせよ、活字でしか知らなかった、そして全く知らなかったエピソードも含め、それらを映像を通して体験できたことはやっぱり感動でした。


この映画の「はずせない」もう一方、「ヴィゴ・モーテンセン」についても、書きたいことがいっぱいあるのですが、完全に“自分の世界”になりそうなので、今日は控えめにしておきます・・・。

近年、ヴィゴが主演した映画、『ザ・ロード』や前記した『イースタン・プロミス』、『善き人』など、これらのどの作品の人物とも全くカラーの違う、そして今回は実在の偉大な心理学者“フロイト”を、違和感なくしっかり溶け込みながら演じていると感じました。
(また、体重も調整した模様・・・)

十年来、密かに(ここで公言したから、もう密かにではなくなりましたが)ヴィゴのファンを自認している私としては、“ユングの映画”で、フロイトとして登場するヴィゴの姿が観れると知った時、興奮せずにはいられませんでした。

ヴィゴの出演作品には、ほぼ目を通してきましたが、下積みが長かったヴィゴが、『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルン役で大ブレークし、こうして今、フロイト役で画面に登場してくれるなんて、端役時代のビデオを借りまくって観ていた頃を思い出すと、それだけでも『危険なメソッド』は、私にとって“ごちそう”でした。

Viggo Mortensen Translation Archive

(残念ながらもう更新されていませんがヴィゴファンにお薦めのサイトです。)


さて、映画のほうに話を戻すと、この若き日のユングの恋愛話に、眉をひそめる方もいるかもしれません。

山中康裕氏監修の『ユング心理学』では、このように書かれています。

ユングはザビーナを不幸にした責任を痛感していたことでしょう。

のちに彼は倫理的な意味から逆転移の意識化を強調するようになりますが、その根本には、ザビーナに対する痛恨と贖罪の念があったにちがいありません。


そして、ユングの自伝には、このような一節があります。

私は多くの人々の感情を損ねた。
というのも、彼らが私を理解しないと見るや否や、もう話はすんだとして私がとり合わなかったからである。
私は先を急がねばならなかった。

私は自分に課せられた内的な法則に常に従わねばならず、選択の自由が残されていなかった。
もちろん、私は常にそれに従ったわけではない。
いったい誰が矛盾なしに生き得られるだろうか。

ある人たちにとって、彼らが私の内的世界に関係あるかぎり、私は常に近い存在としてあった。しかし、私を彼らに結びつけるものがなくなってしまうと、私はもはや彼らとともにいないということも生じた。

多くの人々が、生きた人間性の感情を私の中にひきおこした。


ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)
ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)


確かにザビーナとの関係は悲劇だったかもしれませんが、ユングにとって彼女との出会いが、大きな意味をもっていたであろうことは間違いないはずです。

そしてユングが、自己(Self)からの要請と自我との狭間で、重圧を抱えていたことも、上記の自伝からは読み取れます。

そのような視点でこの映画を観ると、フロイトとの関係も含め、また違った捉え方ができそうです。


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