Goddess /

暦ではとうに秋ですが、まだまだ残暑が厳しいですね。
でも、朝晩はかなり過ごしやすくなってきたように思います。
秋は私が一番好きな季節。
今年も、秋を堪能できる自然に包まれに、どこかへ行ってみたいなと考えてます



さて今日は、5月のブログ記事の最後で触れた“ソフィア”について。

まず、ユング関連の著作の数々を読んでいますと、「グノーシス」という言葉を
目にすることが度々あります。

ユングは、中国思想のタオや易、占星術、タロットなど、様々な分野に興味を示し、
その心理学的意味について考察していますが、古代「グノーシス主義」についても
その内容に深層心理学的に有意味な関連を見出し、たいへんな感銘を受けたようです。
グノーシスの一派である「バシレイデース」の名で、本まで出版しているのですから、その関心ぶりの高さがうかがえます。
また、「個性化の過程」を考案した際にも、グノーシス主義の思想に影響を受けたことが指摘されています。


さて、この「グノーシス」についてですが、講談社選書メチエから出版されている
『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』にはこのように説明されています。


紀元二世紀後半、誕生して間もないキリスト教会では、総称的に「グノーシス」とか「グノーシス主義」と呼ばれるさまざまな異端的流派が広がりを見せていた。

「グノーシス」とは、ただの単語として見るなら、「認識』や「知識」を意味する古代ギリシア語の普遍名詞である。
ならば、キリスト教グノーシスとは、「知る」ということに特に重きをおくキリスト教流派であったのだろうと想像することができるだろう。
事実、そう考えても間違いではない。
ただし、いったい何を「知る」というのか、この点で一定の方向性があった。
多くの場合、キリスト教グノーシスにおける「認識」の対象は、(中略)
人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれているということ、救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ることなのだということ、といった事柄である。


キリスト教の異端とされたグノーシス主義。
でもユングは、その思想の中に、人の心的過程に通ずるものを見出したわけです。


グノーシス主義は何を信奉するのか。
それはこの世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」、
そしてそこに位置している「至高神」である。
そして人間の霊魂も、もともとはこの上位世界、別名「プレローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている形になっている。
(中略)
そこで、霊魂が身体を含むこの世界から解放され、故郷である上位世界に
戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」となる。

人間にとっては、自分自身のこのような本質に目覚めること、
それを「認識」することが、救われるための必須条件になる。


一見するとあまりにも現実離れした話で、まさに遠い昔の“神話”であり、
あくまでも宗教的な事柄のようにも受け取れます。
しかしその内容を、人の(無意識の)心的成長のプロセスという切り口で捉えた
場合、それは私たちにとって、重要な意味を秘めていると理解できるのです。

そんな“グノーシス”。
深く多様な意味を含んでいるようです。

グノーシス主義を筋道立てて総合的に解説するという課題は、きわめて複雑で困難なものとなる。
むしろ、すべての側面を完全にフォローするのは、実際問題として不可能だというべきであろう。

“無意識世界”の説明にも同じことが言えるような気がします。

では、ここからは話を“ソフィア”に移してみたいと思います。
と言っても、まだグノーシスの話は終わりません。
なぜかというと、“ソフィア”とは、このグノーシス主義に登場する、
重要な役割を負う女神の名前だからです。

グノーシス主義では、プトレマイオスという人物による宇宙創成神話が有名ですが、
その内容について簡単に触れてみたいと思います。


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

まず最初に、至高神(プロパトール)とエンノイアという女性神のペアから、
順次男女ペアの神が流出し、合計30の神々、アイオーンが成立し、
そして、その神々による「上位世界」、“プレーローマ”が完成される。

しかし、至高神を見知ることができるのは、至高神から直接流出した
“ヌース(叡智)”のみであって、他のアイオーン達には許されていない。

にも関わらず、最下位のアイオーンであった“ソフィア”が、大胆にも至高神を
直接に知ろうと企てるが、勿論そんな無謀は失敗に終わり、絶望したソフィアは
プレーローマから転落しそうになる。

しかし、ホロスという存在によって転落は食い止められ、過ちを悟ったソフィアは
自らの「情念」を切り離してプレーローマの外に捨て、自身は救われる。


その後、ヌースという高次のアイオーンから流出した「キリスト」が、
投げ捨てられたソフィアの「情念」を哀れに思い、それに形を与える。
これこそが、この世の創造神(デミウルゴス)と人間を含む「この世界」の起源と
なる。


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

グノーシス主義では、「創造神デミウルゴス(=旧約聖書のヤハウェ)」の上に、
上位世界と至高神がいるとされているわけです。


プトレマイオスの理論によれば、創造神とこの世界はソフィアの向こう見ずな好奇心から―文字どおり―「生まれ落ちた」産物なのである。


そしてここからが肝心です。


ソフィアの「情念」はあくまでソフィアというプレーローマ構成員から出たものであり、そのため、わずかとはいえ、プレーローマの要素が混入していたのである。
これが、今でも人間の肉体に閉じこめられて解放をまっている「霊魂」
「本来的自己」「光の粒子」にほかならないということになる。
その後、プレーローマからキリストが派遣されて覚醒ないし自己認識(グノーシス)を呼びかけ、それに応えた霊魂たちがプレーローマに次々に帰還する。




今日は、グノーシス一色で、どっぷりと“非現実的”な感じになってしまいましたが、
“ソフィア”について、そして「自己」やこころについて、次回以降、続きを書いて
いきたいと思います。
そして、グノーシス主義を始めとする様々な思想と無意識について、
“非現実”と“現実”について、結び付けていければな、と考えています。



―締めくくりに少し。
「哲学」の語源は、 philosophia(愛知) であり、その意味は、
「ソフィアを愛し求めること」というものです。
「哲学」という言葉の意味とグノーシス思想との繋がりが感じられますし、
人が“哲学する”ということが何を意味するのか。
その深さも表している気がします。



(今日の引用文は全てこちらの文献から)
グノーシス (講談社選書メチエ)
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