Green shoots(芽吹き) /
Osamu Uchida



2012年の幕が開け、あっという間にひと月ほどが経ちました。

ブログを書くたびに思うのですが、日々が過ぎ去っていくのが本当に早い。

それだけ、やりたいこと、やらなければならないことがあるということは、有り難いことなのかもしれませんが・・・。


新年の挨拶には時期を逸してしまいましたが、改めまして、

超ゆっくりペースのこのブログに、いつもお越し下さっているみなさま。

感謝もこめて、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



さて、では今日の本題です。

前回の記事で、「辛と幸」の漢字について書きましたが、

私は、この二文字の形が似ているというのは、「単なる」というだけではなく、

そこには、何か奥の深い「意味」も隠されているような気がしました。


ちなみに、私はこの二つの漢字の成り立ちについては全く知り得ていませんし、

そういった学術的な根拠については、(少なくともこの件については)正直あまり興味はありません。(ので、調べてもいません・・・。)


とにかく、「辛と幸」の字が非常に似ているということを認識した時点で、すぐに頭に浮かんできたのは、「エナンティオドロミア」という言葉でした。



「エナンティオドロミア」について、ユング派分析家で現大阪大学教授の老松克博先生は、このように説明されておられます。


「『エナンティオドロミア』について説明しておく。

これは古代ギリシアの哲人、ヘラクレイトスの術語で、文字どおりには「逆転」「反転」を意味する。

万物の生々流転の原理を表わすもので、中国の陰陽思想に近い。

陰陽の言葉を用いて説明するならば、陰の極まるところおのずから陽が現われ、陽の極まるところおのずから陰が現われる、ということである。

状況は極端になると反転する。

宇宙のいっさいは、そのようにして変転していく。

この原理は、心という宇宙で起こる諸現象にも当てはまる。

無意識は極端を嫌う。

意識のなかで偏りがひどくなってくると、反対のものが無意識からおのずと現われてきて補償しようとするのである。」

無意識と出会う ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1
無意識と出会う ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1





また、ユングがエナンティオドロミアの言葉を使って、このようなことも述べています。


「こころの無意識的な活動を組み立てている壮大な計画というものが、

われわれの理解をあまりにも超えているので、

どんな悪がエナンチオドロミアによって善に招くのに不要なのか、

そしてどんな善が悪にしばしばつながっていくのか、決して知りえないということである。

ヨハネが薦めた〈汝、霊を定めよ〉ということも、もっとも好意的にとったとしても、

事態が最終的にどうなるか、

注意深くそして根気よく待って見守るということにほかならない。」

エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学
エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学



「どんな悪がエナンチオドロミアによって善に招くのに不要なのか
ということは、言い換えれば、

「どんな悪がエナンチオドロミアによって善に招くのに必要なのか
とも受け取れるのではないでしょうか。


そして、老松先生が説明されていた陰陽思想。

「陰の極まるところおのずから陽が現われ」。



辛い辛い状況の中では、人はなかなか未来の幸せを想像することはできません。

不安や絶望に苛まれて、一切の希望が打ち砕かれ、一筋の光すら見つけられないときもあるかもしれない。


でも、もしかしたら、その「陰が極ま」ったときにこそ、「おのずから陽が現われて」くるのかもしれません。


「辛い」も、それが極まった時に、自然と「幸せ」につながっていく道が開けてくるのかもしれない。

だから二つの字が、意味は正反対なのにも関わらず、こんなに似ているのではないか。

そんな風に考えることができると、とても素敵だと思うのです。



星野富弘さんの

「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。」

という言葉が、真実味をおびてきませんか?


「辛い」渦中にいても、未来につながる望みが見出せそうですし、そうして望みを持つことができれば、人は力強く困難に立ち向かっていけるようになるのだと思います。



・・・未来のことはだれにも分かりません。
ユングが言うとおり、「善に招くのに不要な悪」もあるかもしれない。

辛いが必ず幸せにつながる保証はありませんが、でも投げ出さずに諦めずに、

「事態が最終的にどうなるか、注意深くそして根気よく待って見守る」

‟エナンティオドロミア”が起るのを待つ価値は充分にあるのではないでしょうか。




今日は最後に、佳代先生が翻訳された『ミドル・パッセージ』から。

やっぱり‟希望”を持って。


「激しい苦しみの中にある、たましいの暗闇にいる人にとって、(中略)

その痛みが自分にとってよいものであるなどというのは、非常に受け入れがたい真実である。

しかし、先へ向かう道は苦しみの中に見つけられるといってもよい。

人生は病ではないし、死は罰ではないのだから、そこには本来治療というものはない。

しかし、そこにはもっと意味のある、もっと豊かな人生へと向かう道があるのである。」


ミドル・パッセージ―生きる意味の再発見
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