昨日、対面セッションでの教育分析を受けてきました。
普段のセッションはスカイプを利用しており、音声だけではなく、お互いの顔も見ながら話ができるので、分析は確実に進んでいると実感しているのですが、でもやはり、久しぶりの対面セッションとなると、前日から何となくそわそわしている自分がいました。

「今回は“何が”出てくるんだろう・・・」と。



そして、いつもより多くの時間を取っていただき、沢山話したこともあって、帰宅後は充実感を伴った心地よい疲れが・・・。
見えないところでのエネルギーも、多く消費した感じがしました。

でもこれは、得るために使うわけだから、仕方ないですね。

だからなのか、昨晩は(早速?)今までにあまり見たことのないタイプの夢を見ました。
また、新たな展開が待っているのかな?



過去の記事にも書きましたが、ユング派の教育分析の軸となるものは、夢分析です。
夢を分析していくということは、自身が未だ理解しえていない(気づけていない)心の深層、無意識にあるものを、意識が受け取れるよう表面化していく作業であるとも言えます。


無意識には、自分が気づかぬうちに封じ込めていたネガティブなものもあれば、まだ、全く日の目を見ずに、秘められたまま静かに眠っている価値ある宝もあります。
私は自分が分析を受けてきた体験からもそう断言できます。

ざっくりと言ってしまえば、良いも悪いも含めた、『見知らぬ本当の自分に出会う旅』が、分析を受けるということです。


しかし、その旅は、それほど楽なものではありません。
無意識の世界は、当然ですが、現実に私たちが暮らしている世界とは違うものなので、その両方に足をつっこんでいるという状態は、なかなか厄介なものです。
正直、「しんどいな」と思うことさえあります・・・。

また、いくら自分のこととはいえ、
「知らぬが仏」 
という場合もあるでしょう。


知ってしまうということは、その分、無責任ではいられなくなるわけですから。


でもやはり、私は教育分析を受ける「意味」をとても重要視していますし、出来得る限り、無意識の声に耳を傾け続けていきたいと思っています。

知ることで荷が重くなることも確かにありますが、反面、「囚われ」から解放され、
「あれほど“そのこと”で悩んでいたのに」という、“そのこと”が、全く気にならなくなるという、心の平安にも結びついていくからです。


“そのこと”という、自分にとって大きな問題だったそれ自体に何の変化がなくても、自分のこころが“そのこと”に反応しなくなるのであれば、その問題は、もう無くなったも同然ですよね。

そんな風に、こころが成長していけば、自分が変わっていければ、環境に左右されにくい、自由で柔軟な生き方ができるようになってくるはずですから。


今日は、「無意識」についての、ユングと河合隼雄先生の次の言葉を最後に―



・「われわれは、無意識を理解することによって、その支配から解放される。」【ユング】

・「無意識は普段、意識との間で摩擦も障害も起こさず共同作業しているので、誰も無意識が存在しているなどとは気づかない。だが、個人、あるいは社会集団が本能的基盤から逸脱しすぎてしまうと、無意識の力を存分に思い知らされることになる。」【ユング】

・「まず自我を相当に強化し、その強い自我が自ら門を無意識の世界に対して開き、自己との相互的な対決と協同を通じてこそ、自己実現の道を歩むことができる。」【河合隼雄】


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