Under the sea / 

 ・・・前回記事から、かなり間が空いてしまいました。

私はユング派の教育分析(夢分析)を受けていますが、自分の無意識に意識を向けることは、
実はかなりの量の心的エネルギーを使います。
心的エネルギーは一定なので、その分、他に向けるエネルギーが足りなくなることもあります。
(これは“実感”としても確かに・・・)

でも、私は今どこに“エネルギー“を注ぐべきかも、夢などを通して無意識が教えてくれるので、
今は、出来得る限りそれに従っている状態です。


ちなみに、日本人でユング派分析家第一号となられた、河合隼雄さんも、
自伝で次のように書かれているので、少しご紹介しておきます。


(スイスのユング研究所に入り)
「初めは分析を受けるのに専念しているわけで、外的な刺激はなんにもないのです。
自分の子どもと遊ぶだけですから。
それで週二回、多い時には三回分析を受けていました。

それでも、初めはなんかよう疲れました。
日本にいるときに比べたら走り回っているわけでも仕事しているわけでもないのに、
なんで疲れるんやろう言うたら、分析家のマイヤーから、
『おまえは週に二回も分析を受けているではないか』 と言われました。

ですから、分析を受けるということは、初めのうちはそうとうエネルギーを必要とするもんやと思います。
それはすごい集中でしたから。」

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私の場合、数年分析を受けていて感じることは、「分析を受け始めた時」だけではなく、
その時々に応じて、無意識が必要とするエネルギー量が違うような気がしています。

というか、無意識に集中して向き合うべきときには、
自ずとそこに流れ込むエネルギーが大きくなるわけです。

ですから、すごく疲れてひたすら眠くなる時期と、外的なことと並行しながら、
そこそこ何とか(内的なことも)やっていけるときがあります。


そうそう、とても“疲れやすく”なっているときに、私はこんな夢を見たこともあります。

「(一部抜粋)
 私の眼前には、大きな黒いコンクリートの壁が立ちはだかっていて、
 壁の上には敷布団が掛けてあった。                       」

この夢の全体の解釈はここではお伝えできませんが、でもこの夢のメッセージを受け取り、
その後、眠くなったときには可能な限り素直に寝るようにしました。


現実的に色々とやることがあるのに、睡眠に時間を割くなんてひどくもったいない気がして、
“あがいた”時もありましたが、でも結局、無意識には逆らえない場合が多いのです。

そして例え逆らってみても、大抵は無駄な努力だったり、どちらにしても良いことにはならないようです。
(でも、「必ず」ではないわけで、だから“自我”も大切なのですが)


やっぱり“自我”は、無意識と比べたら、
「ちっぽけなもの(でもそれは間違いなく必要でとても大切なのですが)なのかな・・・」
なんて感じたりもしています。

無意識、無意識と書かれても、ピンとこない方も多分いらっしゃいますね。
そんな方はここでは、「運命」と読み替えていただいてもいいかもしれません。
(確かに、私たち個々の運命を握っているのは、意識ではなく無意識のほうですから・・・)


あと、書きながら思いだしましたが、前述の河合先生と作家の吉本ばななさんが以前対談され、
その本が出版されていますが、その中で、吉本ばななさんが学生の時に、
「眠くて眠くてしかたがなかった」というお話をされていました。

それに対して河合先生は、
「『三年寝太郎』の昔話がありますよね」
と言われていましたが、なかなか興味深いお話でした。
(寝太郎は、ぐうたら寝てばかりいた後で、ある時期になると突然起き始めて、“事”を始めます。
これを心理学的に解釈すると・・・というお話は、河合先生が他の著書でも取り上げています。)


河合先生も大好きだという「寝太郎」のテーマでも、いつかブログを書きたいなと思います。
(こんな更新頻度の私ですから、話半分に聞いておいてください・・・)


今日は、「共時性2」の記事を書こうと思っていたのに、またとんだ脱線をしてしまいました。
しかも、とても主観的内容&記述で・・・。
(って、ブログだからいいのかな)



「自分の無意識に向き合うこと」、そして「聴く」という仕事・・・。

この二つは、相当な心的エネルギーを使うものです。
そしてどちらも、決して中途半端には出来ないものでもあります。

(「共時性2」はまた後日・・・)


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