(今年は、家族で私だけ見に行けなかった花火大会)

ブログup、少し間が空いてしまいました。

みなさんは、お盆をどのように過ごされましたか?
私は、いわゆる“お盆休み”に入る前に、思いもよらぬことで腰を痛めてしまい、
家族で遊びに行く予定が流れてしまいました。

とはいえ、私はお盆にも自分の仕事が入っていたので、
痛い腰をかばいながら、カウンセリングのクライアントさんとの対面セッションに臨みましたが、
セッションが終わると、面接中には忘れていた腰の痛みが襲ってきて、
帰宅後は横になっているという、何とも情けない“お盆”でした。


さて、私の近況報告はこれぐらいにして、今日の本題です。

前回まで2回にわたり、『ゲゲゲの女房』を題材にブログを書いてきましたが、
今日も水木しげるさんをテーマにしたいと思います。

NHKの朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」でも、とうとう「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放送が始まり、
貧乏を脱した村井家(水木しげるさんとご家族)では、新たな展開が繰り広げられていますが、
売れっ子の人気漫画家という地位を得てからは、それはそれでまた、
貧乏とは別のご苦労もあったようです。

そして、多忙の数年を過ごされた後には、仕事が急に落ち込んだ時期もあったと、
奥様が自伝で書かれていました。

それまでがむしゃらに働いてきただけに、その時期には、
水木さんもご家族の前で不安を口にされることがあったそうです。

そしてあるとき、ポロっとこんなことを言われたとのこと。
「いまの人は(1980年ごろ)、目に見えるものしか信じない。
オレがいままでやってきたことはムダだったのか。
妖怪なんて、いないのかもしれない」



話はここで少し変わりますが、深層心理学派の一つであるユング心理学もある意味、
「目には見えないもの」を扱う学問と言えます。

心理療法の中心は夢分析ですし、集合的無意識元型
共時性(シンクロニシティ)布置(コンステレーション)などなど、
(他にも、タロットなどにもユングは興味を示し、研究の対象としていました)
その理論は独特で、神秘的な要素を含んでいます。


でもそもそも、“こころ”とは「目には見えないもの」であり、
だからこそ、その世界をいわゆる科学的に(「1+1=2」というように)、
誰の目にも明らかにする、 なんてことは、その性質からいうと困難が付きまといます。

例えば、心理療法でも、ユング派以外にも様々な療法があるわけですが、
決して同じ療法が必ず同じような効果を上げるわけはないですし、
それぞれ“個人”(来談者)によって、「何が誰が(治療者)どれくらいで」効くかは、
実際、やってみなければ分かりません。
誰の目にも見えて、すぐに(理論を軸に)理解できるようなものではないのです。

「こころ」というものは、そういうものであって、
でも、その「目には見えないもの」は、
何より、私たち一人ひとりの中に確実に存在しているものでもあるのです。

※ここで誤解のないように申し添えておきたいのですが、ユングはそういう目には見えない
“こころ”の世界に、出来得る限り経験科学的に、そして偏見を持たずに挑んだのであって、
それは決して、ただの非論理的なものと切り捨てられるような理論ではありません。
実際、個人のプライベートに深く因る、“こころ”の現象を、一般的な理解を得るために説明することは、
非常に難しいことでもあります。
しかし、そのようなものでありながらも、ユング理論に共感を示す科学者たちも少なくはありません。
それは、「こころと科学」という、一見すると対極にあるものの根底に、
共通する何かを見い出せる場合があるからです。
有名なところでは、ノーベル物理学賞の受賞者である、スイスの物理学者「ヴォルフガング・パウリ
などが挙げられます。



話が逸れてしまいましたが、水木しげるさんが、「いまの人は、目に見えるものしか信じないのか」
と嘆かれた時代のある日、次女の悦子さんが、中学校の修学旅行で、“妖怪”を見たそうです。

「お父ちゃん、夜中にね、京都の旅館の障子にね、目みたいなものが浮き上がって動き回ったんだよ。
あれ妖怪だったんじゃないかなぁ」

(中略)

「おお、それは 目々連 だ!ほかの子も見たのか?」

「うん。それで同じ部屋の子たちみんなで大騒ぎになったんだよ」

「そうかそうか。目々連が出たのか・・・。ハハハハ!」


この父娘の会話に、どんな意味があったのか、その真意はもちろん私には分かりません。

でも私が感じるのは、やはり、水木しげるさんは「目には見えないもの」を
大切にされている方なんじゃないかな、ということです。



日常を過ごしていると、私たちはついつい、「目に見えることばかり」を重要視し、
それが“全て”であるかのように捉えがちです。

でも実は、このような態度で自分の生を生き続けていくことが、
ある時期になって、神経症などの心の病(や受け入れがたい事件・事故など)
を誘発することにつながる可能性があります。

見えないからと言って捨て去ってしまっていたものに、
結局、正面から向き合わざるを得なくなるわけです。


それにしても、当時(1980年ごろ)、「妖怪なんていないのかもしれない」と言われた
水木しげるさんの目には、今の時代はどのように映っているのでしょうか・・・。

私は、お盆に行けなかった父母のお墓参りに、行ってこようと思っています。


          “あなたの一押しが、更新の励みになります”
              人気ブログランキングへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ