私が、ユング派の教育分析(夢分析)を受け始めて、もう数年が経ちますが、
後から、以前の夢日誌を読み返してみると、
「なるほどー」と思うことが度々あります。
夢を見た当時には、その意味することがよく掴み取れていなかったものでも、
時間が経過し、現実に“外側”(そして内側)の世界に起きたことと
照らし合わせてみると、
「あー、“このこと”をあの時の夢は語ってくれていたのだ」
と、後付けの事実を持って、夢の意味をやっと“頭”で理解できる場合があるのです。
(確かに、分析を受け始めた当時と現在の、私自身の「ユング心理学」に関する
知識量の差も無関係ではありませんが・・・)
今日は、私が佳代先生に最初の分析を受けたときに提出した、
夢の中の一つをご紹介したいと思います。
(ちなみに「最初の夢」ではありません。)
『雪山というよりは、氷山のようなとてつもなく大きくて何もない、
白く凍った山を私は下っていた。
(山の中の道ではなく、山の輪郭の斜面をそのまま下る感じ)
雨がすごく降っていて、途中から下り坂の道が足元から溶けてなくなっていく。
既に完全に溶けてものすごく深くて広大な水たまり(というより海のような)
になっている箇所もあって、そこは泳いで渡った。
難関な道のりだったが、何とか無事に下りることができた。
―(後略)― 』
実は当時のセッションでは、この夢については、ほとんど取り上げませんでした。
なぜなら、他の夢の分析に時間を割いたからです。
佳代先生とは、
「“広大な(海のような)水たまり”とは、
(私自身の)“無意識”のイメージでしょうね」
ぐらいの話しか交わさなかったのです。
(※一般的に“無意識”は「水」のイメージで表されます。)
だからこの夢に関しては、
「確かにこうして分析を受け始めることになったし、
だから“無意識の中を泳ぐ私”が出てきたんだなー」
ぐらいのイメージしか(私は)持っていませんでした。
でも、それから大分経って、ユングの著書の中でこのような一文を見つけました。
「雨は、意識と無意識の間の緊張が解けたことを示していた。」
その時すぐに、自分の“氷山が溶けるどしゃぶりの雨の夢”を思い出し、
その雨の意味を、自分なりに納得できたのです。
実は、同じころに見た別の夢でも、私自身の意識と無意識の“新しい関係性”を
表してくれているものがあります。
次回以降は、それらもご紹介していきたいと思っています。
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コメント
コメント一覧 (6)
こちらこそ、興味を持って(ブログを)読んでくださり、
ありがとうございます。
自然に子供たちに接していることが多いので、彼らが自分の感情をどう扱うかという
ことについて、私が何か意識しているということも特にありません。
(わかなさんのご指摘どおり、何よりまだまだ小さいですから)
私の態度として、強いて言うとすれば、親の権力で持って(子供の感情を)抑え込み“すぎない”ようにすることでしょうか・・・。
もちろん、自分の態度を後で反省することもありますし、自覚しながら親の権力を
振るう時もあります。
・・・何より私は、「自身のこころのワーク」を大切にすることが、
自分のみならず、家族にとっても良い影響を及ぼすであろうと思っています。
周囲、特に子供に対する建設的な影響は量り知れないでしょうね。
Yuriさんのお子さん達が、お子さん達自身の感情を‘取り扱う’ことに関して、
何か心掛けていることはありますか?(まだお小さいとは思いますが...。)
いつか、記事にでもして頂けると幸いです。
私も“思考”より“感情”が劣等機能であると分かっているので、
日頃から、意識して感情を大切にしようと思っています。
一番大切な、でも一番本音(無意識)が出やすい家族に、
不用意に“感情”を吐き出さないようにするためにも、
自分の劣等機能に、まず自分が振り回されないようにすることが
大事だなと感じています。
「感情を感じることは、過去を手放して前に進むための基本」【チャック・スペザーノ(心理学者)】
これを幼い頃に知っておきたかった...と心底思いますが、
私という「個性」は、思考機能が(先に)発達して
そのぶん感情機能の発達が取り残されてしまい、
それがその後から現在の課題となったということなんだなと言い聞かせてます...。